今から13年前、エマ・ストーンが『Easy A』(『小悪魔はなぜモテる』という日本劇場未公開作らしい酷い邦題が付いた)で学校中の非モテ男子‐彼らは“男らしくない”ばかりに虐められ、境遇から脱するには童貞を卒業したと公言する必要があった‐を救い、代償にヤリマン“Easy A”として石を投げられるという、ホーソーンの『緋文字』をパロディにしたコメディで大ブレイクした時、彼女がこんな偉大な女優になると想像した人がどれだけいただろう?もちろん、弾けるようなスマイルと抜群のコメディセンスに多くの人がジュリア・ロバーツ以来のスター誕生を確信し、予想よりも早く『ラ・ラ・ランド』でオスカー女優となったストーンだが、まさかギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスとコンビを組み、ハリウッド最強のオルタナ女優になるとは思ってみなかった。
歴史劇『女王陛下のお気に入り』に続く『哀れなるものたち』でエマ・ストーンが演じるのは、幼児の脳を移植された人造人間ベラ。彼女は天才科学者ゴドウィン(ベラは父親代わりの彼を“ゴッド=神”と呼ぶ)の庇護の下、急速なスピードで成長していく。時は19世紀、舞台はスチームパンク仕様のロンドン。奇抜な衣装に箱庭のようなセット、素っ頓狂な音楽。ランティモス印の絢爛かつグロテスクなファンタジーはなんとフェミニズム史を辿るオデッセイでもある。なんだこの映画は!
大人の肉体を持つ子供ベラは程なくして性に目覚めると、周囲の大人、とりわけ男たちを当惑させていく。監督第3作『籠の中の乙女』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、ハリウッドに認められたランティモスは一貫している。2009年のこの映画では、世間の害悪から我が子を守りたい両親が「外には恐ろしい怪物がいる」と吹聴し、3人の子供を自宅に閉じ込め続ける。しかし世界の醜さ、残酷さ、そして映画の楽しさを知らない子供がまっとうに育つハズもない。
ベラに対しても大人たちは社会規範を説くが、それは父権社会によって成り立った男の論理だ。ゴドウィン役のウィレム・デフォー、ベラを外界へと連れ出すスケコマシ成金野郎ダンカンに扮したマーク・ラファロらは、自らに課した男としての在り方と、思い通りにならない女性ベラを前に七転八倒し、その哀れは可笑しいったらない。蔑みでも自嘲でもなく、“男性性”という個体差に対する創り手のヒューマニズムがここにはある。
『ロブスター』『聖なる鹿殺し』を撮ってきたランティモスならもっと意地悪くもなれた所だが、エグゼクティブプロデューサーも兼任するエマ・ストーンは映画をメインストリームに引っ張り出した。ストーンはフィジカルからセリフ回しに至るまで、あらゆる演技的テクニックを駆使してこの世の全てを謳歌するベラに命を吹き込んでいる。そのキャラクターアークとメソッドは偶然にも同年のメガヒット作『バービー』とマーゴット・ロビーに重なる。ロビーの演技も評価されて然るべきながら、同じピグマリオンものでも傑出した大胆さの本作がオスカーレースでは“差した”。エマ・ストーンはランティモスと共にあらゆる人間により良い進化を夢見させるファンタジーを創り上げ、キャリアの新たな次元へと突入している。いやはや、こんな女優になるなんて思ってもみなかった!
『哀れなるものたち』23・英
監督 ヨルゴス・ランティモス
出演 エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ、ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット、スージー・ベンバ、キャサリン・ハンター、ビッキー・ペッパーダイン、マーガレット・クアリー、ハンナ・シグラ
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