監督ブラディ・コーベットも俳優出身。顔が思い浮かばないが、フィルモグラフィを見れば映画作家としての志向は明らかだ。ミヒャエル・ハネケ(リメイク版『ファニー・ゲーム』)、ラース・フォン・トリアー(『メランコリア』)、オリヴィエ・アサイヤス(『アクトレス』)とヨーロッパの個性派監督作に出演しており、アメリカの映画作家には珍しい独自の美意識と文学性、そしてシネフィル気質を持っている。ファシズムの勃興を描いた監督第1作『シークレット・オブ・モンスター』に続く本作は一転、ポップシンガーの物語だ(原題“Vox Lux”は主人公がリリースするアルバムのタイトル)。
映画はウィレム・デフォーの物々しいナレーションで始まる。ヒロインのセレステが遭遇する学校銃撃事件は2000年という時系列からもコロンバイン高校銃乱射事件を基にしているのは明らかであり、この場面の緊迫からもコーベットの非凡さが伝わってくる。九死に一生を得たセレステは追悼セレモニーで自作の曲を歌った事からセンセーションを呼び、ポップスターへの道を駆け上がることになる。
興味深い題材だ。アメリカはこれまでも凄惨な乱射事件が起きる度にアイコニックなムーブメントが起きるが、やがてそれもメディアやSNSに消費され、喉元を過ぎた頃にまた新たな事件が発生してきた。毎回“今度こそは”と願うが、アメリカは変わらないのである。
そんな消費される悲劇と、それによって誕生したポップスターの対比がユニークであり、ヒロインは「現実の悲劇を忘れられるポップソングがいい」と標榜するが、やがて時代はあらゆるポップカルチャーが現実を参照し、反映するハイコンテクストの時代へと突入していく。奇抜なファッションで歌い踊る彼女もまた時代によって消費し尽くされてしまうのだ。
ヒロインの10代を描く前半部で主演するのはラフィー・キャシディ。ディズニー映画『トゥモローランド』でデビューした彼女も18歳、本作やヨルゴス・ランティモス監督『聖なる鹿殺し』に出演するなど、オルタナティブなキャリアを形成しており頼もしい。後半では成人したセレステを演じるナタリー・ポートマンの娘役も兼任しており、実質上の単独主演だ。
だが、章立てられた映画の後半部でこれらのテーマは掘り下げられない。世間ではセレステに触発された銃撃テロが発生し、既にピュアネスを失っている彼女は酒とアルコール、周囲の視線に疲弊し、精神は衰弱している。ポートマンの神経症演技も映画を駆動させるには至っていない。コーベットはセレステを通してアメリカ20年の血と暴力を俯瞰しようとしたのではないか?彼の愛するヨーロッパの作家達なら現在の110分にもう20~30分を足して第3幕目を充実させただろう。
前半部が楽しめただけに後半の失速が惜しまれるが、コーベットの才能は疑いの余地がない。続く第3作目も非常に楽しみだ。
『ポップスター』18・米
監督 ブラディ・コーベット
出演 ナタリー・ポートマン、ラフィー・キャシディ、ステイシー・マーティン、ジュード・ロウ、ジェニファー・イーリー
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