長内那由多のMovie Note

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『ポトフ 美食家と料理人』

2023-12-29 | 映画レビュー(ほ)

 ベトナム生まれ、フランス育ちの監督トラン・アン・ユンは1993年のデビュー作『青いパパイヤの香り』でカンヌ映画祭カメラ・ドールを受賞すると、続く第2作『シクロ』でいきなりヴェネチア映画祭金獅子賞を獲得する。ベトナムを舞台に輪タク(シクロ)運転手の少年とその美しい姉、“詩人”と呼ばれる聾唖の殺し屋(トニー・レオン!)の関係を描いた映像詩は未だ見ぬ映画言語を感じさせる衝撃作だった。第3作『夏至』を最後にベトナムを離れると、7年のブランクを経て『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』、村上春樹原作『ノルウェイの森』を発表。それから『エタニティ 永遠の花たちへ』を撮るまで再び6年の時間を要す。そして本作『ポトフ』を製作するまでさらに7年の月日が経ち、若き異才トラン・アン・ユンも60歳となった。

 『ポトフ』には7年を要した必然の豊潤さがある。巻頭シークエンスは刮目すべき20分だ。ジュリエット・ビノシュが朝摘みのキャベツを持ち帰ると、調理が始まる。いつの時代かは判然としない。石造りの広々としたキッチンには、窓から田園地方の暖かな光が射し込んでいる。この家の主ブノワ・マジメルが階下に現れると、いよいよ調理は本格化する。手際の良い彼らの工程と、調理の過程に併せて刻々と変化する食材。交わされる言葉は少なく、しかし行われるべきことは全て通じ合っている。映像による動詞と、編集による頭韻、そしてかつてパートナーでもあったビノシュ、マジメルら“人生の秋”を迎えた俳優たちによる行間に劇伴などあるわけもなく、静寂と暗闇の劇場空間でこそ成立する詩的映画芸術である(主人公の2人と対比される“初春”のようなポーリーヌ役ボニー・シャニョー・ラボワールがいい)。

 映画にプロットらしいプロットが生まれ、物語が動き出すのはなんと1時間に至る頃からだ。マジメル演じるドダンは人々に“ナポレオン”と称される美食家。ビノシュ演じるウージェニーはそんな彼と20年に渡って研鑽を積んできた料理人。2人は男女の関係でもある。彼らは志を共にする批評家と芸術家であり、調理の工程の1つ1つは幸福探求そのものだ。ゲストから離れ、互いのためだけに精魂込めた料理を食する2人のなんと美しいことか。

 本作でカンヌ映画祭監督賞を受賞したトラン・アン・ユンだが、彼は再び長きブランクに入るのか?おそらく、そうかも知れない。だが、ドダンの人生に再び光が射し込み始めるラストシーンを見れば、いずれ新たな映画を撮ることは間違いないだろう。芸術と人生の探求に終わりはないのだから。


『ポトフ 美食家と料理人』23・仏
監督 トラン・アン・ユン
出演 ブノワ・マジメル、ジュリエット・ビノシュ、ボニー・シャニョー・ラボワール

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