長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『君たちはどう生きるか』

2023-08-07 | 映画レビュー(き)

 加齢による作風の変遷について批評が欠如した市場では、82歳の巨匠の新作に80〜90年代の代表作を引き合いに出して酷評するのも無理はないかと嘆息してしまう。年齢や制作期間から考えておそらく最後の長編作品になるであろう新作『君たちはどう生きるか』の“君”に、ネット上で侃々諤々する私たち大人は少なくとも含まれていない。古塔であらゆる時と場所を司る老人は、後に第二次大戦の惨禍を迎える少年、眞人に向かって自分の後を継ぎ、世界の善なるバランスを託したいと語りかける。束の間、往時の宮崎映画の饒舌さを思い起こさせるこの老人が巨匠の投影であることは明らかだが、眞人はこれを拒んで自分の元居た1942年の日本へ戻ることを選ぶ。真の可能性とは老人の作り上げたシステムの外にこそある。

 宮崎駿はとうの昔に語るべきことを語り終えた作家だった。自然と人間の関係を活劇に昇華してきた御大は『もののけ姫』以後、語るべき物語を持たず、『千と千尋の神隠し』以後はいずれもストーリーテリングを放棄して、よりアニメーションの原初的な歓びに筆圧を強め、それは口さがない大人ではなく未来を生きる幼い子どもたちに向けられていた。『インセプション』の夢の階層の如く連続する『君たちはどう生きるか』の不条理さに大人は頭を抱えるところだが、抗し難いアニメーションの魔力に子供はわけもわからず吸い込まれてしまうだろう。

 往時の過剰なまでの熱量はなく、映画には静謐なテンションが張り詰め、明確なメロディラインを持たない久石譲と共に宮崎は82歳現在の新境地に到達している。巻頭、火災に見舞われた病院へ向かって眞人が群衆の間を突き抜けていく描線には、盟友高畑勲の『かぐや姫の物語』を彷彿。ジブリのトレードマークでもあった緻密な背景描写も実に淡白になっているが、代わって水彩画のような美しさを獲得している。

 『ハウルの動く城』から自身の老いを意識したかのような愛嬌ある老婆の造形は今回も楽しい一方、妙齢の女性に対するエロティシズムにギョッとさせられた。田舎へ疎開した眞人少年は、亡くなった母親そっくりの女性・夏子と出会う。夏子はおもむろに眞人の手を自身の下腹部に当てると、そこに弟か妹がいることを打ち明ける。初対面の女性に腕を掴まれ、身体に触れさせられる少年の戸惑いをこうも生理的に表現できるのか。後半、産屋で夏子が見せる狼狽の顔といい、『紅の豚』のジーナのような類型的造形とは全く異なる、実に生々しく性的なニュアンスに巨匠の非凡さを感じた。長年、ロリコンと揶揄されてきた御大だが、いわゆる“ジブリヒロイン”の原型が自身の母親であると明かされたのは衝撃と言う他ない(本作は吉野源三郎の同名小説からタイトルを得ているものの、ほぼ宮崎のオリジナル脚本である)。

 タイトル以外、全ての情報が伏せられていた本作はエンドロールで声優陣も初めて知らされる事となった。若手であるほど宮崎作品へのリスペクトが勝ったのか、高度な“ジブリ風ボイスアクト”をしている印象だが、夏子役の木村佳乃、父親役の木村拓哉ら年長の俳優の献身が耳に心地よかったことを特筆しておきたい。

 『君たちはどう生きるか』は尽きることのない奔放なイマジネーションと、老いてなお変容し続ける作家性が収められた、偉大なフィルモグラフィーに相応しい新作である。願わくば映画館の暗黒に身を沈め、耳を澄まし、息を潜め、酩酊する貴重な体験をぜひとも逃さないでもらいたい。


『君たちはどう生きるか』23・日
監督 宮崎駿
出演 山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉

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