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黒沢清監督がヴェネチア映画祭で銀獅子賞(監督賞)に輝いた『スパイの妻』はエレガントで、断然“現在=いま”な巨匠の1本だ。映画の舞台は1940年の神戸。貿易業を営む福原は、出張先の満州で偶然にも731部隊による人体実験の証拠を手に入れる。国際世論の場で日本軍の非人道性を訴えようとする彼と、秘密を共有し、スパイに妻になることを選んだ聡子はアメリカへの亡命を試みるのだが…。
本作はNHKの出資のもと、8Kで撮影されたTV放映版を劇場公開用に再調整している。高画質のスペックを再現できている劇場はそう多くないだろうが、高明度を前提に作られた本作は衣装、美術とあらゆるプロダクションデザインに監督の目が行き届いており、それは当然、俳優にも同じである。大戦当時の反知性的な日本に対する高橋一生の侮蔑の表情、証拠フィルムを見た蒼井優の目に宿る感情を見逃してはならない。
国家への反逆、という“大望”を抱いた2人の力関係の変化が本作の重要な見所だ。福原は大戦時にも関わらず商売を繁盛させる辣腕ビジネスマンであり、国際感覚を持った紳士だ。愛妻家に見える一方、その本心はどこか知れず、時に冷徹さも感じさせる。高橋は昭和20年代の言葉遣いも美しく、実に優雅な身のこなしで福原を演じており、そこに得体の知れない不気味さも同居させる事に成功している。
方や聡子はこの時代の多くの女性がそうであったように、内助の功に努める“良妻”であり、それは“福原の妻”という肩書の域を出ない。ところが福原の抱える秘密を知った途端、その頬はにわかに色づき始める。秘密主義の夫に「あなたはいつも先が見えていて、私がバカみたい」と言っていた彼女が、時に彼を出し抜きもするのだ。731部隊の記録映像(おそらく実際の資料映像と思われる)というフィルムによって覚醒し、夫と共に撮った自主映画によって千々に乱れる蒼井優の素晴らしさは言うまでもなく、『スパイの妻』は“映画内映画”についての作品でもあり、そしてネオウーマンリヴ映画の経脈に連なる1本でもある。
そして本作の持つ並々ならぬ危機感に、いよいよこの国はそんな局面にあるのかと慄いた。福原の捨て石となり、同調圧力と反知性の日本に取り残された聡子は、大戦末期の最中に言う。「私は一切、狂ってはおりません。ただ、それがつまり私が狂っている、ということなんです。きっとこの国では」。
『スパイの妻』20・日
監督 黒沢清
出演 蒼井優、高橋一生、坂東龍汰、東出昌大、笹野高史
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