予告編でSFアドベンチャー大作を期待した人には肩透かしかも知れないが、ディズニーに買収される事が決まった20世紀フォックス最後の野心的なメインストリーム映画を大いに支持しようじゃないか。インディーズ作家ジェームズ・グレイ監督にメガホンを取らせたのは主演も務めるブラッド・ピットの製作会社プランBだ。ブラピ、ますますプロデューサーとしての才覚が冴え渡っている。
近未来。宇宙の彼方から放出された電磁サージが地球に破壊的な被害をもたらしていた。宇宙飛行士ロイはそれがかつて惑星探査に出発し、消息を絶った父の仕業と聞かされ、真相を探るべく宇宙の果てへと旅立つ事になる。
映画の冒頭こそ電磁サージによって巨大アンテナが崩壊する大スペクタクルから始まるが以後、映画のトーンは内省的だ。英雄的な宇宙飛行士でありながら厭世的なロイの独白と、マックス・リヒターによる静謐なミニマルミュージックが観客を内なる宇宙へと耽溺させていく。故ヨハン・ヨハンソンが傑作SF『メッセージ』においてマックス・リヒターをメインテーマとして引用したように、ここではやはりミニマルミュージックの旗手ニルス・フラームが映画のトーンを決定づけるべく引用されているのが面白い。
宇宙という大海を航行する主人公の旅路はシーロ・ゲーラの『彷徨える河』やコッポラの『地獄の黙示録』を彷彿とさせる(やはりジャングルに分け入るグレイの前作『ロスト・シティZ』を見逃してしまった)。弱さを晒し、時に涙すら流すブラッド・ピットの繊細さが素晴らしい。ゼロ年代以後、アメリカ映画では度々、男達の疲弊が描かれてきたが、ついにこのSF大作で誤った“男らしさ”の概念が脱ぎ去られたように思う。
『機動戦士ガンダム』では16歳の少年アムロ・レイが母から「こんな風に育てた覚えはない」と捨てられ、父は狂気に陥り、言葉を交わす事もままならなかった。やがて少女ララァとの出会いによってアムロは帰るべき場所を見出すワケだが、『アド・アストラ』のロイにはララァもシャアも現れず、間もなく中年を過ぎようという年齢になってようやく帰るべき場所を見つけるのである。長く苦しんだアメリカ映画の男たちの旅路は1つの終着点に到達したのかもしれない。
『アド・アストラ』19・米
監督 ジェームズ・グレイ
出演 ブラッド・ピット、トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー、ドナルド・サザーランド
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