※このレビューは物語の結末に触れています※
ディズニーの20世紀フォックス買収によって『X-MEN』のライセンスがディズニー傘下マーベル・スタジオへと移譲した。これでそう遠くない将来、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)にX-MENが合流する事になったワケだ。マーベルは昨年フェーズ3のクライマックスである『アベンジャーズ/エンドゲーム』が大成功を収めたばかり。その天下はまだまだ続くだろう。
一方でフォックス傘下FXによる『X-MEN』スピンオフ『レギオン』のようなカルト作はもう登場する余地がないのではないか。多くの才能がチームを組み、クリエイティブコントロールが徹底されたマーベルスタジオの現体制において、これだけ独創的(やりたい放題?)で刺激的なカルト作は生まれるべくもない。ショーランナーのノア・ホーリーはマーベル統括ケヴィン・ファイギに「私はマーベルにおける研究開発部門だ」と言ったとか。その独自性に惹かれて、近年『ストレンジャー・シングス』や『ベター・コール・ソウル』に出張しているピクサーの中核アンドリュー・スタントン監督がここでもメガホンを撮っている事に注目したい。スタントンは「自分よりも才能豊か人たちとコラボレートする事で、自分の才能もより引き出される」と公言している。
理解不能の超絶展開が続いたシーズン2から一転、クライマックスへと向かう今シーズンは直線的で非常にわかりやすい(と思えるのも僕が“覚醒”したから?)。人類の脅威と見なされたデヴィッドはヒッピーコミューンを作り、時間移動能力を持つミュータント“スウィッチ”を仲間に引き入れる。彼は赤ん坊だった頃に遡り、脳内に巣食う前のファルークを倒す事で全てを解決しようとするのだ。
この方法を見つけたデヴィッドは残虐さを露にしていく。歴史改変さえできれば失われた命も(別次元で)生き続けられるからだ。彼が危険視されたのはその独善性であり、精神にはファルークでなく“レギオン”なる邪悪な人格が巣食っている。彼を止めるため、シドやケリーらかつての仲間達が立ち向かう。
そんなデヴィッドにスウィッチは言う「それで本当にいいの?」。『テラスハウス』出身ローレン・サイは今シーズンの良心とも言える存在だ。その言葉にデヴィッドは口ずさむように自問する。
俺はただ歩く
このよこしまな世界を
イカれた世界の暗闇の中で
光を求めながら
そして自問する
“希望を失ってしまったのか?”
“残っているのは痛みや憎しみ、不幸だけなのか?”
これは1974年に発表されたニック・ロウの曲『(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding』の歌詞だ。そこから登場人物全員が(死人まで!)歌い継いでいく。デヴィッド・リンチフォロー(特に本作では『ツイン・ピークスThe Return』の影響が色濃い)の『レギオン』が突然、ポール・トーマス・アンダーソン監督の1999年作『マグノリア』へと横断していく。ちなみにptaの『パンチドランク・ラブ』にカンヌ監督賞を授与した審査委員長はリンチである。何とも“リンチ的”なラブコメディだった。
私はこんな気持ちになるたびに
あることを確かめたくなる
平和と愛と理解をどうしてあざ笑う?
公民権運動の1963年に生まれ、黒人はじめあらゆるマイノリティが受けた迫害と対立をテーマにする『X-MEN』の精神を引き継ぎ、『レギオン』は分断と対立の2019年に再び融和を説く。ニック・ロウの美しい歌詞は憎しみに駆られたデヴィッドの心を融かしていく。『マグノリア』の感情的ピークがエイミー・マンの『Wise Up』合唱だったように、この場面が『レギオン』のクライマックスと言っても過言ではないだろう。所謂“普通”のドラマを見ているとあまりの突拍子のなさに面食らうかも知れないが、ここまでの3シーズンを見続け、“アストラル界”に馴染んだ者として、とてもエモーショナルな瞬間だった。
デヴィッドとファルークの決戦も“美しい調和”を成していく。30年もの間、デヴィッドの精神に住み続け、共に喜怒哀楽を体験してきたファルークにとってデヴィッドは今や息子同然であり、なんと2人は和解に至る。それはデヴィッドが自身の病を受け入れた瞬間でもあった。
ここ数年、アメリカ映画・TVドラマにとって社会の分断と対立が大きなテーマとなってきた一方、そんな不安に晒された個人のメンタルヘルスを取り上げた作品が増えたように思う。『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』等、それらは同時に家庭不和を描いた物語であり、登場人物は医学的根拠がないにも関わらず親の疾患が遺伝する事を恐れ、呪いのように感じていた。
映画やテレビが病気を描くのは社会的理解を得るためである。最近でも人気ラッパーの奇行に家族から重い精神疾患を患っている旨が公表されたが、僕はSNS上の「家族が何とかしないと」というコメントを見て暗澹たる気持ちになった。これは家族だけで背負いきれる問題ではない。奇しくも2019年はメンタルヘルスと家庭不和を扱ったTVドラマ『アンダン』も登場し、『レギオン』と共に周囲が病気を受け入れるという結末で呼応した。
もう1つ記しておきたいのはデヴィッドの超能力によって一時洗脳されたシドが本質的に彼を赦さなかった事だ。シーズン3第6話、レギオンによってアストラル界に飛ばされてしまったシドはそこで人生をやり直し、自分自身の生き方を見出していく(…と書けばわかりやすいが、オリバーと狼のラップバトルが繰り広げられる超絶回なので覚悟するように)。
シーズン2で彼女は言っていた「愛が私たちを救うんじゃない。私たちが愛を救うの」。共依存的でもあったデヴィッドとシドの自立に本作の1つの達成がある。
『レギオン』は決してとっつきやすい作品ではない。見る者を選ぶカルト作で、しかしハートに響く。MCUは映画史に残る一大ムーブメントを築き続けるだろうが、本作のような異端児はもう生まれないだろう。DCが『ジョーカー』で作家主義アメコミ映画を成功させた今、マーベルにとって『レギオン』の持つ多様性はより重要であり、孤高である。そんな所も含めて僕はこの作品を偏愛したいのだ。
『レギオン』19・米
製作 ノア・ホーリー
出演 ダン・スティーヴンス、レイチェル・ケラー、オーブリー・プラザ、ビル・アーウィン、ジェレミー・ハリス、アンバー・ミッドサンダー、ナヴィド・ネガーバン、ジェマイン・クレメント、ハミッシュ・リンクレイター、ローレン・サイ
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