無人となったダンケルクの街を少年兵達が歩いている。
辺り一面は空から巻かれた無数のビラ。ドイツ軍からの降伏勧告だ。
時は1940年、第二次大戦の最中。連合軍の大規模撤退作戦“ダイナモ作戦”が始まろうとしていた。
直後の銃声をきっかけに、クリストファー・ノーラン監督は観客をダンケルク海岸へと叩き落す。
空からはドイツ軍の空爆と機銃掃射が襲い、海ではどこからともなくUボートの魚雷が艦船に穴を空け、兵士たちを海の藻屑と化す。ノーランは名もなき兵士の肩越しにカメラを据え、並々ならぬ迫力で観客にこの世の地獄を追体験させる。IMAXカメラのランドスケープと腹に響く砲弾の音響に僕らはすくむ。
だが面白いことにノーランは映画をリアリズムで塗り固めようとしない。スピルバーグのような内臓を飛び散らせる事はおろか、血しぶき1つ飛ばさないのだ。驚くほど実験的で野心みなぎるハンス・ジマーのスコアは弾着音から戦闘機の飛来音、戦場下の兵士を襲う耳鳴りまでも表現し、さながらサイレント映画のような趣である。商業映画でこの実験を成し遂げたジマーのスコアは近年、主流となりつつある非メロディライン映画音楽の1つの到達点と言えるだろう。
ノーランはこれらのテクニックを用いて近年『ゼロ・グラビティ』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が成しえてきた動体運動のみの映画話法に挑み、そこに『インセプション』のような時制のトリックを持ち込んだ。ダンケルクの撤退は約1週間に及ぶ攻防であり、イギリスからダンケルクへの海路は1日、空路は1時間だ。各パートを並行に描きながら、映画の終点でそれらの時差が同時にクライマックスを迎えるよう構成しているのである。
非常に高度な編集技術だが、果たしてこのシンプルな映画に必要な語り口かというと疑問だ。初見ではわかりにくく、この仕掛けがイデオロギーもドラマも持たない本作の“ゲームっぽさ”を際立てている。
注目すべきはこれまでハリウッド映画、アメリカ映画ばかりを手掛けてきた英国人ノーランが、初めて自身のアイデンティティを表出させた“英国映画”である事だ(註・製作は米ワーナーブラザーズ)。
「生きて故郷に帰る」というこの史実の精神性は玉砕を是とした国の子孫から見れば非常に尊く、そして軍だけではなく民間船までもが人員輸送に携わった団結の“ダンケルク魂”は分断の現在に眩い。その象徴として映画に屹立するマーク・ライランスの素晴らしさは筆舌にし難く、果てはジャムパン、紅茶、トラッドファッションにまでノーランの英国イズムへの自負を感じるのだ。こんなノーラン映画、初めてではないだろうか。
その要因の1つは、これまで全作品の脚本を手掛けてきた弟ジョナサンの離脱だろう。ジョナサンの新作TVドラマ『ウエストワールド』こそノーラン映画がトレードマークにしてきた観客への問いかけに満ちた思索的作品であり、彼の作風こそがこれまでのノーラン映画を形成してきた事がわかる。彼の不在により『ダンケルク』は削ぎ落された作品となった。今後のクリストファー・ノーランのキャリアを占う上で、重要な1本だ。
辺り一面は空から巻かれた無数のビラ。ドイツ軍からの降伏勧告だ。
時は1940年、第二次大戦の最中。連合軍の大規模撤退作戦“ダイナモ作戦”が始まろうとしていた。
直後の銃声をきっかけに、クリストファー・ノーラン監督は観客をダンケルク海岸へと叩き落す。
空からはドイツ軍の空爆と機銃掃射が襲い、海ではどこからともなくUボートの魚雷が艦船に穴を空け、兵士たちを海の藻屑と化す。ノーランは名もなき兵士の肩越しにカメラを据え、並々ならぬ迫力で観客にこの世の地獄を追体験させる。IMAXカメラのランドスケープと腹に響く砲弾の音響に僕らはすくむ。
だが面白いことにノーランは映画をリアリズムで塗り固めようとしない。スピルバーグのような内臓を飛び散らせる事はおろか、血しぶき1つ飛ばさないのだ。驚くほど実験的で野心みなぎるハンス・ジマーのスコアは弾着音から戦闘機の飛来音、戦場下の兵士を襲う耳鳴りまでも表現し、さながらサイレント映画のような趣である。商業映画でこの実験を成し遂げたジマーのスコアは近年、主流となりつつある非メロディライン映画音楽の1つの到達点と言えるだろう。
ノーランはこれらのテクニックを用いて近年『ゼロ・グラビティ』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が成しえてきた動体運動のみの映画話法に挑み、そこに『インセプション』のような時制のトリックを持ち込んだ。ダンケルクの撤退は約1週間に及ぶ攻防であり、イギリスからダンケルクへの海路は1日、空路は1時間だ。各パートを並行に描きながら、映画の終点でそれらの時差が同時にクライマックスを迎えるよう構成しているのである。
非常に高度な編集技術だが、果たしてこのシンプルな映画に必要な語り口かというと疑問だ。初見ではわかりにくく、この仕掛けがイデオロギーもドラマも持たない本作の“ゲームっぽさ”を際立てている。
注目すべきはこれまでハリウッド映画、アメリカ映画ばかりを手掛けてきた英国人ノーランが、初めて自身のアイデンティティを表出させた“英国映画”である事だ(註・製作は米ワーナーブラザーズ)。
「生きて故郷に帰る」というこの史実の精神性は玉砕を是とした国の子孫から見れば非常に尊く、そして軍だけではなく民間船までもが人員輸送に携わった団結の“ダンケルク魂”は分断の現在に眩い。その象徴として映画に屹立するマーク・ライランスの素晴らしさは筆舌にし難く、果てはジャムパン、紅茶、トラッドファッションにまでノーランの英国イズムへの自負を感じるのだ。こんなノーラン映画、初めてではないだろうか。
その要因の1つは、これまで全作品の脚本を手掛けてきた弟ジョナサンの離脱だろう。ジョナサンの新作TVドラマ『ウエストワールド』こそノーラン映画がトレードマークにしてきた観客への問いかけに満ちた思索的作品であり、彼の作風こそがこれまでのノーラン映画を形成してきた事がわかる。彼の不在により『ダンケルク』は削ぎ落された作品となった。今後のクリストファー・ノーランのキャリアを占う上で、重要な1本だ。
『ダンケルク』17・米
監督 クリストファー・ノーラン
出演 フィン・ホワイトヘッド、トム・ハーディ、キリアン・マーフィ、マーク・ライランス、ケネス・ブラナー
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