濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

夕暮れの山手

2015年12月15日 | ひとりごと・・

風邪の引き始め、今朝からコンタックEXを飲み始めたところ、喉の痛み、鼻水など、
風邪の症状がだいぶ緩和された!!
なんでも最初が肝心、薬を飲むなら引き始め!!早め早めの対応が大切だね

さて、四季の変わり目に必ず訪れる「山手イタリア山庭園」
秘密基地からも近く車で10分もかからない。というか、毎日、車通勤しているので、
必然的に日に2回、庭園前を必ず通過する


画像は「外交官の家」

庭園は、山手地区にあってもっとも観光スポットからは遠く、いつも閑散としている
この閑散としているのがオイラ的にはたまらない!自分だけ独り占め!したようで
本当のところ?知られたくはないけど、この画像を見たら多くの人が来るんだろうね!



さて、なぜイタリア山庭園なのか?
それは、此処には1880年から1886年までイタリア領事館が置かれていたからであり、
こうした由縁で「イタリア山」と呼ばれている


画像はブラフ18番館・・・・ブラフとは「山の手」という意味

現在、水路や花壇を幾何学式に配したイタリア式庭園が整備され、また、1993年には
「ブラフ18番館」、1997年には「外交官の家」が移築され、なんとも山手に相応しい
異人館と自然とがうまく調和している



晴れた日には横浜市内はもちろん、富士山の眺めも最高!
さらに、夕暮れにはこのような景色が広がり、また、丘の上からみえる夜景もきれいだ
どうか、くれぐれも、自分だけの知識として誰も布教活動などしないように!!



ちなみに、画像は12月12日(土)の夕方に撮影したもの
残念ながら今年の紅葉は前日(11日)の「嵐」で落ち葉となってしまった・・・残念!

山手・元町 その2

2015年12月15日 | ひとりごと・・

山手といえば「坂」の町
なかでも、代表的な坂は、“汐汲坂”“代官坂”“見尻坂”“貝殻坂”“そして、
外人墓地に一番近い“谷戸坂”など、たくさんの坂がある

さて、代官坂には、横浜村当時の代官屋敷がいまも残されている。「代官坂」の由来だ
此処には、当時のお代官、横浜村の村長を務めていた「石川徳右衛門」のお屋敷がある
立派な門構え、いまも末裔の方が此処に住んでらっしゃる

また、山手のあまり知られていない夜景スポットでもある「百段公園」の近くには、
オイラの主治医である石川先生のクリニックがあり、石川先生も徳右衛門さんの末裔だ
元町商店街の旦那衆御用達でもあり、先生は通称“お代官さま”と呼ばれている

さて、この横浜村の村長を務めていた「石川徳右衛門」
徳右衛門は、ペリー提督を自宅に招き入れ、いまで言うならたいそうな“おもてなし”を
したそうだ。その縁から、現在も双方の子孫同士の交流が続いているというから驚く!

こうした功績により、中華街、そして元町の玄関口であるJRの駅名「石川町」となった
しかし、石川町の駅名、そして代官坂の由来など、地元でもあまり知られていない
どうでもいいウンチクかもしれないけど、山手を訪れる機会があれば思い出してみては?

次は「山手イタリア山庭園」

山手・元町 その1

2015年12月15日 | ひとりごと・・

週末から風邪気味で体調がイマイチ思わしくない
しかたがない・・といえばそれまでだが、この時期は連日“忘年会”が続く・・・

しかし、この機を逃せば半年、いや、次の年まで会えない人もたくさんいるわけで、
身体に多少の不具合!?があったとしても必ず顔を出すようにしている

さて、1970年代後半から、トラディショナル・スタイルのファッションで、女子大生や、
その年齢層の若い女性がこぞって嗜好したのが「横浜トラディショナル」

横浜トラディショナル、略して“ハマトラ”この仕掛人は雑誌「JJ」だった
おしゃれな港町横浜山手のお嬢様学校“フェリス女学院大学”に通う女子大生をモデルに、
大学近くの元町商店街で扱う商品からセレクト、これが一大ブーム!となった

当時、フクゾーの洋服、ミハマの靴、キタムラ(K)のバッグは「三種の神器」と呼ばれ、
ポロシャツとベストやカーディガン、タータンチェックの巻きスカート、ハイソックス、
そしてぺったんこで、リボンがついたパンプスが基本スタイル!!

その後、東京でもSHIPS、ボートハウス、キャプテンサンタなど、胸元にロゴが入った
レタードトレーナーなどが流行ったね!オイラ、いまでもキャプテンサンタを愛用中!
話がそれたが、当時のお嬢様たち、いまでも“ハマトラ”を愛してやまない

ハマでは、その年代相応!?に、見事にコーディ!されたハマトラレディをよく見かける
いまもなお、その装いは「清潔感ある元お嬢様」という雰囲気がガンガン!伝わってくる
オイラもIVY世代であり、どちらかと言えば嫌いではない

さて、横浜・山手といえば幕末から外国人居留者が多く住んでいたところだ
そのお膝下にあるのが元町商店街。その昔は「横浜村」という半農半漁の村にすぎなかった
しかし、外国人が利用する商店街として発展、「元町」と改称したのは明治維新以降

そして、いまでも元町の「代官坂」では、「横浜村」当時の名残を見ることができる
ところで、元町から山手へいくには必ず「坂」を登りゃなきゃいけない
なぜなら、山手は切り立った崖の上(丘)にあり、そこから見下ろすように元町がある
【続く】