ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

梅咲く頃に・・・。

2017-02-09 21:03:07 | 日常のこと


2月4日 1時59分 義母が亡くなった。

1月12日、検診に行って緊急入院し、一時は主治医も驚くほどの快復を見せていたのに、院内感染かインフルエンザにかかり、個室に隔離された。

隔離解除されて、見舞いに行ったときは熱のせいか、かなり消耗していた。
食事を食べなくなって、交代で食事介助に行ったけど食べなかった。

ほとんど眠っている毎日だったけど、ふと目が覚めると、いつも家族を気遣い「帰れ。」と言われた。

最後まで、主治医には立派に受け答えをしていたらしい。



2月3日節分の日、ねこ吉は尼崎の大覚寺に昆布だるまを納めて、新しいものを買い求めた。
境内には梅が咲いていた。
義母の病院に行き、病室のテレビの前に昆布だるまを置き、それを見た義母はかすかに笑ったように思う。

午後、義母が可愛がっていた姪が、お見舞いに来て夕方帰った。

家族も「また明日来るからね。」と言って帰った。

夜中1時過ぎに電話がかかって来て、2号線でタクシーを拾い病院に駆けつけたけど、ひと言も物言わぬまま亡くなった。

可愛い姪が来るのを待っていたんだと思う。

92歳の人生を終えた。激動の時代を生き、激動の人生だった。



夜が明けるまで、どんなふうに時間が過ぎて行ったのか思い出せない。

土曜日に通夜、日曜日に告別式。
ささやかな家族葬だったけど、滞りなく終えた。

今日は、たぬ吉と二人、お世話になった病院に挨拶に行って来た。


考えれば、不思議なくらいタクシーはすぐ見つかったし、物事はサクサク進み葬儀も何も戸惑うことなく済ますことが出来た。


27年前、義父が亡くなったとき、葬儀を終えて仕出しのお膳が来たのに、ねこ吉は何をしたらいいのか判らずボンヤリしていた。

「アンタはお客さんと違うんやで!私が死んだら棺桶の中から指図せなアカンわ。全く!」と親戚中の前でこっぴどく怒られた。

たぬ吉はその場にいなかった。

そのきつい言葉は、ねこ吉の胸の奥深く楔のように撃ち込まれ・・・。何年経っても決して忘れることはなかった。

しかし、今回の葬儀関連でねこ吉の頭の中にするべきことが次々と浮かぶのは、義母が棺桶からねこ吉の脳内に指図していたのかも知れない。

ねこ吉は動かされているんだ。ちょっとシャクだけど・・・。