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西東三鬼の一句鑑賞(九)  高橋透水

2016年04月07日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  広島や卵食ふ時口ひらく

 三鬼は戦場に赴くことなく、終戦を迎えた。戦時中はすでに四十代であり、年齢的にも徴兵を免れたのだろうが、それにしても家族を棄てての生活は常識を超えていた。果たして三鬼はニヒリストなのかオプティミストなのか。兄との関連があったとはいえ、神戸での生活を考えたは何故だったのか。謎の多い分、戦後の生活には解放と戸惑いがみられる。或る日、進むべき道が見えないまま商用だったとはいえ、三鬼は何かに導かれるように焦土と化した広島の地に立っていた。
 鑑賞句は「有名なる街」の連句のなかの一句。作句の動機を「用件を持つて江田島に渡つた帰路。夜、戦後の広島に下り立つた。白く骨立した松の幹に私は広島をみた。未だに嗚咽する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、その大きさだけの口を開けた」と註にある。その初案は〈広島や物を食ふ時口開く〉であった。他に、〈広島に月も星もなき地の硬さ〉〈広島の夜蔭死にたる松たてり〉〈広島の夜遠き声どつと笑ふ〉〈広島に林檎見しより息安し〉などがあるが、さらに自註は「粉砕された街。夜は尚更黒と白と灰色。その中の露店で紅い果物を見たと時初めて呼吸が楽になつた。次の汽車に乗つてそこを去つた」(三鬼百句より)。とある。
 やはり三鬼は広島の惨状を見ておきたかったのだろう。そこには遣る瀬無さと、遠くに聞こえる笑い声に一縷の希望をみた。鑑賞句には三鬼の実在主義とニヒリズムがはっきりと現われている。現実に対する憂いを直視し希望をみいだし、逆に楽天の裏側には孤独感に苛まれた疲れた男の姿。この中年男は戦前の新興俳句時代と異なり、言動に慎重になっていた。「有名なる街」の連句の八句のうち、三句に自註をつけて『三鬼百句』にとどめたが、他の作品は句集から削除した。検閲にひっかかり、不利になるのを恐れたからか。当時の日本は占領下にあり、占領軍を刺激する内容の句は避けたかったのだろう


   俳誌『鴎座』2016年・4月号より転載
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