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山口誓子の一句鑑賞(6)高橋透水

2018年04月28日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
ひとり膝を抱けば秋風また秋風   誓子

 誓子は新興俳句に理解を示し、無季戦争俳句にも寛容であったが、それはあくまで芸術的な条件においてであった。
 『馬酔木』にいながら、誓子は秋桜子と異なり無季や虚構の戦争俳句さえも容認する立場だったが、こうした誓子に忠告する仲間がいた。というのも昭和十三年ころは、京都府特高課と内務省警保局の反戦や反軍俳句、左翼思想の調査が始まろうとする時期であったのだ。そんなことがあってか、その頃の誓子には精彩を欠く句が多くなった。十四年の、〈戦場の犬枯山へ引きかへす〉は戦火想望の句であるが、ニュース映画などからヒントを得ての句作だろうか、社会性は感じられない。
 「京大俳句」が治安当局から弾圧を受けるようになったのは昭和十五年二月のことである。誓子にもこれらのことは逸早く伝えられ、仲間から再び言動に注意するよう忠告された。〈一夏の詩稿を浪に棄つべきか〉はそんな時流が背景にあってのことだろう。
 誓子の句に覇気がなくなったのは、もちろん時世だけの要因でない。昭和十年の四月、急性肺炎で重態になり、その後も静養をくりかえしている。時代の背景か病気の所為か、〈夏を痩せ棚高き書に爪立つも〉〈蟋蟀が深き地中を覗き込む〉などを発表するが、誓子俳句の変わり様は無気力で哀しくもある。
 これらの句と鑑賞句と共通するのは、「膝を抱く」「夏を痩せ」「地中を覗き込む」などはそれまでの句と異なり、外界への視野が内界に向かい、明から暗に反転した。句の素材が「もの」から「こと」へと誓子の関心が断層的に変動したとしか思えない。
 「秋風また秋風」は内では病気また病気、外では弾圧また弾圧でもあろう。「膝を抱く」とは、悲しみを受け入れた、諦念だろうか。
 誓子は基本的には孤独な俳人だったと言ってよい。病気になり社会との接触が途絶えがちになったこと、思想統制で俳句活動の制限されたこともあるが、やはり両親の愛に恵まれなかった要因が大きいと言わざるを得ない。


  俳誌『鴎座』2018年4月号より 転載
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