透水の 『俳句ワールド』

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西東三鬼の一句鑑賞(二)  高橋透水

2015年10月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
水枕ガバリと寒い海がある  三鬼   

 この句の出来きた背景を三鬼は述べている。
 「昭和十年の作。海に近い大森の家。肺浸潤の熱にうなされてゐた。家人や友達の憂色によつて、病軽からぬことを知ると、死の影が寒々とした海となつて迫つた」と。同時発表句に〈小脳を冷やし小さき魚をみる〉〈微熱ありきのふの猫と沖をみる〉〈不眠症魚は遠い海にゐる〉があり、注目したいのは、その後の三鬼俳句のキーワードとなる「海」と「魚」がすでに出ていることだ。
 三鬼の「年譜」によると、昭和十年、三十五歳のとき「胸部疾患に罹る」とあり、三鬼が思わね大病に苦しんだことがわかる。また翌年の「天の川」に連句として発表したが、〈水枕がばりと寒い海がある〉と「ガバリ」は「がばり」であったことが知られる。

 さて三鬼自身は「この句を得たことで、私は、私なりに、俳句の眼をひらいた。同時に、俳句のおそるべき事に思い到ったのである」(「俳愚伝」)と記しているが、俳句の魔物は天才を食い物にする。その後に頻出する海は「母なる海」であり、三鬼の経験したシンガポールの海は温かく穏やかであったろう。しかし三鬼にとって「腋下に翼を生じて乳香と没薬の国」での生活の裏には後悔と懺悔と充足できない心の空白があったのではないか。帰国後の三鬼はそれに怯えた。後悔もした。そうした自責の念が、「寒い海」なのである。
 先に挙げた三鬼俳句のキーワード「海・魚」の他「馬」も頻出する。生活する上で意識するとしないに関わらず、「性」と「食」は本能的に避けられないものである。三鬼にとって「馬」も「魚」も性の形而下的なものだったのではないだろうか。一方「海」は、母を含めて女性の象徴と見ることができる。三鬼の女性遍歴は充足できない日常を埋める「海」を求める旅でもあったのだ。
 鑑賞句の「海」は父性的・現実的な海と母性的・象徴的な海が高熱の病床では混在していたが、「水枕」と「寒い海」が連結されるに一瞬の詩的電流が走ったのであろう。
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西東三鬼の一句鑑賞(三)   高橋透水

2015年10月03日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
白馬を少女瀆れて下りにけむ  


 歴史は偉人を必要とする。秋桜子の反ホトトギスの動きから新興俳句運動が起こったが、その新しい波に乗るかのように、三鬼の俳句人生が始まった。虚弱で文弱であったが、津山という風土もあってか早熟な少年だった。早くから漱石はじめ文学書を乱読していたが、俳句とは無縁に近かった。が運命のいたずらか、三十過ぎに「ホトトギス」の支配や影響のない俳誌が現われ、幸運にもそれらの俳誌に三鬼は俳句を発表する機会に恵まれたのである。三鬼の言葉を借りれば、その頃の情勢は「俳句の明日は未知であり、俳句に汚れていないから希望が多かった」からなのだろう。
 鑑賞句は、昭和十一年『旗』に出典したもの。自註に「代々木乗馬会で作った」とあり、また「後年『白馬』を白馬岳と解した人が出て来たのは驚いた。或る女子医専の学生は、この白馬を裸馬と解したと聞いた。これには作者が感心した」と述べている。
 三鬼の俳句には「少女」が多出する。初期の句だけでも、〈汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ〉〈ジャズの階下帽子置場の少女なり〉〈哭く女窓の寒潮縞をなし〉〈月夜少女小公園の木の股に〉などがある。ただし、俳句上の少女は三鬼より年少なら皆少女で、一般にいう少女でないことがあるので注意が必要だ。しかし三鬼の眼は少女や少年ばかりでない。
〈緑陰に三人の老婆わらへりき〉と老婆の他、手品師、道化師と対象は広い。
 また掲句の鑑賞には健康で清純な少女の乗馬姿に絵画的な美をみる一方、「白馬」「瀆れて」の解釈がさまざまな憶測を呼んでいる。純潔な少女が馬に穢されたなどもあり、乗馬の運動から、少女の馬への贖罪意識を強調したり、はたまた白馬との性的感覚を連想して得意げに評論する者まで現れた。こうし様々な解釈のできる俳句が名作だと強調する鑑賞者もいるが、この句に関してはどうだろうか。いずれにせよ、「白馬」と「少女」に象徴された「何ものか」は三鬼の意識にかかわらず、性的な観念があったに違いない。
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