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西東三鬼の一句鑑賞(十二)  高橋透水

2016年07月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
切り捨てし胃の腑かわいや秋の暮
 


 昭和三十六年、三鬼は胃癌の治療のため胃の腑を切除し、一時は危篤状態に陥った。自分を苦しめていた癌であるが、切り取ってみると愛おしい気持ちになったのだろう。この頃から「死」をテーマにした句が多くなってくる。〈死の階は夜が一段落葉降る〉〈ついばむや胃なし男と寒雀〉〈人遠く春三日月と死が近き〉などだが、掲句に関する限りまだ余裕さえ感じる。三鬼独特の自嘲的なユーモアであろうが切なさが伝わってくる。
家族や周囲の願いも空しく昭和三十七年の四月一日に三鬼は亡くなった。享年六十二歳。三月七日の〈春を病み松の根つ子も見あきたり〉の句作後、長い昏睡状態に陥ったのだ。何の衒いもなく、ふと口を衝いた呟くような句だが、結果この〈春を病み〉の句が絶筆となった。晩年の三鬼の俳句に対しては概しての評価は芳しくない。事実俳句には初期の三鬼らしさが見られず仕舞いだった。
 よく言われることだが、結局三鬼一体なんだったのだろうか。俳句界に嵐のように現れたが、いつの間にか嵐も収まり、頼りない風になった。精神的に闘う相手は、やがて外的な敵から内的な敵へと移行した。その相手とは病魔だ。己の精神と肉体へ闘う対象が変わった。その結果活動範囲も制限され、時代を読む能力が弱体化した。俳句界もベテラン俳人の伝統回帰があり、新興俳句終焉後の新しい俳句の台頭による世代交代が始まった。
 最後になったが、長年三鬼に連れ添い世話を焼いた西東きく枝の言葉の概略を紹介したい。「沢山の方々のご助力で療養も出来、幸せな人でした。崩れようと何度もした私共でしたが皆さんに励まされ今日まで来られました。三鬼から『おかあちゃんを残して死にたくない』と駄々っ子のようになり、また子供にわたしのことを頼むと言われた時は、それまでのいろいろのことを忘れさせてくれました。絶命の数時間前『おかあちゃん、もうあかんわ』と叫んだ死との闘いの必死の声が昨日のことのように耳底に残っています」


俳誌『鴎座』2016年7月号より転載
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