荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉
「おくの細道」によると、芭蕉は思い出深い酒田を後にし、いよいよ北陸道に足を向けた。越の国にはいり、暑さと雨に祟られ、体調不良が続いた。しかも宿を断られたりで、欝憤は最高潮となった。しかしどこかで心境の変化があったらしい。七月六日昼頃鉢崎を立ち、今市(直江津)に宿泊しているが、古川屋で〈文月や六日も常の夜には似ず〉を発句に句会が開かれた。
とは言え、〈荒海や佐渡によこたふ天の河〉までの文は短く不満の連続だ。芭蕉はなぜ急いで新潟を通過したか、その理由で考えられることは、(1)芭蕉の病気説(2)おくの細道の構成上(3)宿で歓迎されなかった、などが考えられるが、私は天候の悪化はさることながら、芭蕉の病気(持病)説をとりたい。曾良日記には芭蕉の体調の記述がないので、構成上とみる説が多いが、とかく芭蕉は都合が悪くなると持病より天候の所為にしがちな面があるからだ。
さて〈天の河〉の句は、新潟県の出雲崎に泊まった時に読んだものとされているが、「おくの細道」では出雲崎や佐渡については触れていないので定かでない。今町では句座を開いて風雅に親しんだことは先ほども触れたが、それ以前に〈荒海や〉の句はできていた。雨が続いたが、四日は夕方から晴れ、芭蕉は夜になって宿先に戻った。これには「書留」がのこっているので、〈天の河〉の句はこの晩のことと思われる。つまり事前にできた句を直江津(高田説あり)で披露したのである。
なお芭蕉筆の『銀河の序』では「北陸道に行脚して、越後の国出雲崎ちいふ所に泊まる」とあり、窓を押開くと、「日既に海に沈で、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、たましいけづるがごとく、腸ちぎれて、そぞろにかなしびきたれば、草の枕も定らず、」とあり〈あら海や佐渡に横たふあまの川〉の句を載せている。
私などは、日本海で荒海というと冬の荒海を連想するが、芭蕉の眼にした荒海はどんな状況だったのか。一つ考えられるのは少し早いが台風の影響でないかと推測する。
また「横たふ」は自動詞だ他動詞だの議論もあるが、これも「虚」というより、今市で観た銀河をもとに、頭のなかで銀河を佐渡に横たわせたのだろう。まさに「虚実一体」となった雄渾の世界を醸し出したのである。
俳誌『炎環』より
「おくの細道」によると、芭蕉は思い出深い酒田を後にし、いよいよ北陸道に足を向けた。越の国にはいり、暑さと雨に祟られ、体調不良が続いた。しかも宿を断られたりで、欝憤は最高潮となった。しかしどこかで心境の変化があったらしい。七月六日昼頃鉢崎を立ち、今市(直江津)に宿泊しているが、古川屋で〈文月や六日も常の夜には似ず〉を発句に句会が開かれた。
とは言え、〈荒海や佐渡によこたふ天の河〉までの文は短く不満の連続だ。芭蕉はなぜ急いで新潟を通過したか、その理由で考えられることは、(1)芭蕉の病気説(2)おくの細道の構成上(3)宿で歓迎されなかった、などが考えられるが、私は天候の悪化はさることながら、芭蕉の病気(持病)説をとりたい。曾良日記には芭蕉の体調の記述がないので、構成上とみる説が多いが、とかく芭蕉は都合が悪くなると持病より天候の所為にしがちな面があるからだ。
さて〈天の河〉の句は、新潟県の出雲崎に泊まった時に読んだものとされているが、「おくの細道」では出雲崎や佐渡については触れていないので定かでない。今町では句座を開いて風雅に親しんだことは先ほども触れたが、それ以前に〈荒海や〉の句はできていた。雨が続いたが、四日は夕方から晴れ、芭蕉は夜になって宿先に戻った。これには「書留」がのこっているので、〈天の河〉の句はこの晩のことと思われる。つまり事前にできた句を直江津(高田説あり)で披露したのである。
なお芭蕉筆の『銀河の序』では「北陸道に行脚して、越後の国出雲崎ちいふ所に泊まる」とあり、窓を押開くと、「日既に海に沈で、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、たましいけづるがごとく、腸ちぎれて、そぞろにかなしびきたれば、草の枕も定らず、」とあり〈あら海や佐渡に横たふあまの川〉の句を載せている。
私などは、日本海で荒海というと冬の荒海を連想するが、芭蕉の眼にした荒海はどんな状況だったのか。一つ考えられるのは少し早いが台風の影響でないかと推測する。
また「横たふ」は自動詞だ他動詞だの議論もあるが、これも「虚」というより、今市で観た銀河をもとに、頭のなかで銀河を佐渡に横たわせたのだろう。まさに「虚実一体」となった雄渾の世界を醸し出したのである。
俳誌『炎環』より
「横たふ」の文法議論は未だ完全に決着していないようです。自分としては「食べられる」→「食べれる」「している」→「してる」のような「ら抜き」「い抜き」言葉の先駆けのようなものであったのではないかと考察しております。
今でこそ「古池」は広辞苑にも掲載されていますが芭蕉の造語とも聞きます。
言葉の感性に関しても芭蕉は時代の一歩先行く存在であったのではないでしょうか。