おれは田舎のプレスリー 高橋透水
銀輪に乗りくる春の光かな
早春やπの世界に子の遊ぶ
立春の空はファイトのファでござる
初蝶の魂すでに陽に浮かび
長閑さやからくり人形ベロ出して
老いの身に少年棲ませ青き踏む
若葉より鳥吹き出さる朝明り
春光を切り回したるジャグリング
性格のリバーシブルで春コート
春光を押して掴んで一輪車
春燈の一つ分け合ふ新世帯
母恋ふる水子地蔵や風車
逃水や補欠選手のひた走る
サンキューもソーリも大事さくらんぼ
田を植ゑて天に十字を切る農夫
人間の魚になりゆく五月かな
告白の沖へ沖へとボート漕ぐ
マルクスの本を叩けば黴煙
六月の花嫁奪う風ください
老鴬や金子兜太はよく喋る
くず金魚おれは田舎のプレスリー
冷酒や脚より酔ふてくる女
曲がりたる胡瓜なだめて糠床に
旅にでて母は夜中に月になる
尺取の背伸びをしては空探る
観音の腰の捻りにある薄暑
手を握るだけの看護や明易し
一燈に蛾の音焼ける夜勤室
故郷を舌で転がし冷し酒
飛魚よ「事件ですか。事故ですか?」
鶏頭は青い卵を地下に抱く
炎天を突き刺してゆくホームラン
アッ、あれは俺のビー玉天の川
西国に立志伝あり秋遍路
カンバスに押し合つてゐる羊雲
秋風のキュンキュン鳴らす胸のドア
秋を載せ羽広げたる孔雀かな
河馬は河馬象には象の愁思あり
赤とんぼ夕陽に溶けて帰らざる
サッちゃんに団栗あげただけの恋
言い訳の下手で好かれる青蜜柑
図書館の本の驚く大くさめ
縄跳の数ふる声の尻上がる
綿虫の乱舞にして影持たず
子授けの二股大根奉納す
簪にしたき小さな熊手買ふ
街中に幸せごっこシクラメン
陽光の浮力のなかを冬の蝶
ランドセル開けては閉じて春を待つ
あの世より屏風蹴飛ばし談志来る
★「俳句は創るもの」か★
俳句の始めた頃、「よく自然を観察して写生句を作りなさい」と叱咤された。私の俳句は最初からそんなことお構いなしに勝手気ままに俳句を作っていたのだ。写生句らしきものではどうしても物足りず、気儘に句作していた。
あるとき「俳句は創るもの」という文に接した。金子兜太の「造型論」だ。つまり、俳句は客観写生や眼前直景で終わるものでなく、頭のなかで創り直すということだ。しかしこういう句は独りよがりになり、難解になり兼ねない。新たな苦悩が始まった。いわゆる「とんでる句」になり、随分と顰蹙をかったからだ。
結論は人の意見やアドバイスは大事だが、自分の世界を無理に曲げないことだ。どんなに工作しても作り手の生活や思考が句に現れるものだ。書き手は自分を表現したいから文字にするのであり、読み手は作者の世界を知りたいから、作品に接するのである。これからも自然に句作してゆきたい。
高橋透水・自選50句「鴎座 自選50句シリーズ39」
俳誌『鴎座』2016年、2月号より転載