透水の 『俳句ワールド』

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高橋透水・自選50句 2016年

2017年12月31日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 おれは田舎のプレスリー  高橋透水

銀輪に乗りくる春の光かな   
早春やπの世界に子の遊ぶ 
立春の空はファイトのファでござる 
初蝶の魂すでに陽に浮かび
長閑さやからくり人形ベロ出して 
老いの身に少年棲ませ青き踏む
若葉より鳥吹き出さる朝明り
春光を切り回したるジャグリング
性格のリバーシブルで春コート
春光を押して掴んで一輪車 

春燈の一つ分け合ふ新世帯 
母恋ふる水子地蔵や風車 
逃水や補欠選手のひた走る
サンキューもソーリも大事さくらんぼ
田を植ゑて天に十字を切る農夫
人間の魚になりゆく五月かな  
告白の沖へ沖へとボート漕ぐ 
マルクスの本を叩けば黴煙  
六月の花嫁奪う風ください 
老鴬や金子兜太はよく喋る 

くず金魚おれは田舎のプレスリー 
冷酒や脚より酔ふてくる女 
曲がりたる胡瓜なだめて糠床に
旅にでて母は夜中に月になる 
尺取の背伸びをしては空探る
観音の腰の捻りにある薄暑
手を握るだけの看護や明易し
一燈に蛾の音焼ける夜勤室 
故郷を舌で転がし冷し酒 
飛魚よ「事件ですか。事故ですか?」

鶏頭は青い卵を地下に抱く 
炎天を突き刺してゆくホームラン
アッ、あれは俺のビー玉天の川 
西国に立志伝あり秋遍路 
カンバスに押し合つてゐる羊雲 
秋風のキュンキュン鳴らす胸のドア
秋を載せ羽広げたる孔雀かな 
河馬は河馬象には象の愁思あり
赤とんぼ夕陽に溶けて帰らざる
サッちゃんに団栗あげただけの恋 

言い訳の下手で好かれる青蜜柑  
図書館の本の驚く大くさめ
縄跳の数ふる声の尻上がる
綿虫の乱舞にして影持たず 
子授けの二股大根奉納す
簪にしたき小さな熊手買ふ
街中に幸せごっこシクラメン 
陽光の浮力のなかを冬の蝶 
ランドセル開けては閉じて春を待つ
あの世より屏風蹴飛ばし談志来る 


 ★「俳句は創るもの」か★
 俳句の始めた頃、「よく自然を観察して写生句を作りなさい」と叱咤された。私の俳句は最初からそんなことお構いなしに勝手気ままに俳句を作っていたのだ。写生句らしきものではどうしても物足りず、気儘に句作していた。
 あるとき「俳句は創るもの」という文に接した。金子兜太の「造型論」だ。つまり、俳句は客観写生や眼前直景で終わるものでなく、頭のなかで創り直すということだ。しかしこういう句は独りよがりになり、難解になり兼ねない。新たな苦悩が始まった。いわゆる「とんでる句」になり、随分と顰蹙をかったからだ。
結論は人の意見やアドバイスは大事だが、自分の世界を無理に曲げないことだ。どんなに工作しても作り手の生活や思考が句に現れるものだ。書き手は自分を表現したいから文字にするのであり、読み手は作者の世界を知りたいから、作品に接するのである。これからも自然に句作してゆきたい。

 
 
高橋透水・自選50句「鴎座 自選50句シリーズ39」
   俳誌『鴎座』2016年、2月号より転載
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山口誓子の一句鑑賞(2) 高橋透水

2017年12月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  學問のさびしさに堪へ炭をつぐ

 大正十三年作、『凍港』に所収された。句作の背景は東大で法律の勉強をしていた誓子が、本郷の下宿で寒さを凌ぎながら火鉢に炭をつぐ動作を詠んだものだ。
 高等文官試験に合格することは、親代わりに育ててくれた祖父母の恩に報いことだった。しかし無理が祟り、その年の冬には肋膜炎を患って静養しなければならなくなった。結局は行政官や司法官の道は諦め、卒業後は民間の企業に就職した。
 「山口誓子・自選自解句集」で、「法律の勉強には、条文の丸暗記や倫理的な解釈が必要で、気味ない、わびしい勉強だった」「『学問のきびしさ』と違うのかと聞いたひとがあった。学問のきびしいことはいうまでもない。私はその上にわびしさを詠ったのだ」と述べている。また他のところでは、「独り堪え忍ぶことは、私の少年時代からの特技である」と言っている。
 誓子は生来学問好きだった。というより、学問に没頭することは孤独な淋しさを紛らしてくれる一つの方法でもあった。電気技師であった父のことも自死した母親のことも誓子は多く語っていない。しかし父母愛の欠如と母親の悲惨な死に方は少年時代、いやそれからの人生におおきな影響を及ぼした。
 句集『凍港』の跋によれば、「母岑子も祖父脇田氷山もいづれも芸術殊に日本詩歌の愛好者だった」という。父新助は島津藩の出城、舞鶴城の家老の血筋であり、母は大和郡山藩士脇田嘉一の長女だった。双方とも士族の出である婚姻関係は決して珍しくない。ただ再婚の妻と、半ば婚姻を強要されたことが男として心から妻を愛せなかった原因のようだ。
 放蕩的な父と母の自死、身内とはいえ、外祖父のもとに引き取られた少年誓子は、厳しい環境のなかで学問することで、養育者に報えようとした。しかしそれは外祖父の意向が働らいたもので決して自ら望んだ学問でなかった。それが恐らく「きびしさ」でなく「さびしさ」という表現になったのだろう。


   
  俳誌『鴎座』2017年12月号より転載
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