透水の 『俳句ワールド』

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川端茅舎の秀句鑑賞(約束の寒の土筆)         高橋透水

2014年03月31日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

   約束の寒の土筆を煮て下さい       茅舎

 昭和十六年三月号『俳句研究』の「心身脱落抄」、「二水夫人土筆摘図」より。
 二水夫人は、茅舎の指導していた「あをきり句会」の藤原二水の夫人という。当時、茅舎はカリエスの後遺症というべき病弱の身で寝ている日が多かったが、そんな茅舎を二水夫人が見舞った時のことだ。ひょんなことで土筆の話が二人の間に出て、茅舎は体によく滋養になるなら土筆を食べてみたい、とお願いしたのだろう。再び訪れた二水夫人に、「あのとき約束した土筆を煮てください」とジョーク交じりに言い、その軽い気持ちを句にしたと思われる。夫人に甘えられるほど二人の間は親密だったのだ。

 子供のときから絵を描くことの好きだった茅舎は、更に父の影響で俳句を覚え、また父と一緒に句会にも出席している。大正四年、十八歳のとき、「ホトトギス」二月号の虚子選に〈藪寺の軒端の鐘に吹雪かな〉がある。
 茅舎は俳人より、画家を目指していたが、希望の画家を断念しなければならない事態が起こった。昭和四年カリエスの疑いが出、五年には病気が確定した。六年十一月、三十四歳のとき脊椎カリエスのため昭和医専付属院に入院した。それから茅舎の闘病生活は十年ほど続くことになる。

 茅舎は昭和十六年の七月、四十四歳で長逝したが、死の一、二年前の句を挙げてみると、
   咳き込めば我火の玉のごとくなり
   咳き止めば我ぬけがらのごとくなり
   火の玉の如くに堰きて隠れ栖む
   咳止んでわれ洞然とありにけり
 
 さらに、
   咳暑し茅舎小便又漏らす
がある。これらに壮絶な闘病生活を垣間見る思いだが、冷静に自己観察している俳人茅舎がそこにいて、まさに心身脱落の吐露である。

 さて、「寒の土筆」というと「寒卵」を連想するが、やはり滋養のあるものなのだろうか。としても「寒の土筆」など滅多に見つからないだろうに、二水夫人はどこで見つけたのか茅舎を訪れた。
 その時の句に〈寒のつくしたうべて風雅菩薩かな〉がある。二水夫人は約束を果たして土筆を煮てくれた。その気持ちが何とも嬉しい。風雅に生きる自分はもう菩薩になった気分だと、あくまでもユーモアと感謝を忘れない茅舎である。

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住宅顕信〈自由律俳句の彗星〉          高橋透水

2014年03月28日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

  住宅顕信の15句    制作年、順不同)

降りはじめた雨が夜の心音
ずぶぬれて犬ころ
何もできない身体で親不孝している
若さとはこんな淋しい春なのか
立ちあがればよろめく星空

月明り、青い咳する
湯上りの聞こえぬ耳からふいてやる
窓に映る顔が春になれない
月が冷たい音落とした
気の抜けたサイダーが僕の人生

夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
子には見せられない顔洗っている
ふと父の真似を子が爪をかむ
病んでいる耳に友の死を告げられた
人焼く煙突を見せて冬山


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★住宅顕信(すみたく・けんしん)の紹介
1961年、岡山県生れ。本名晴美。
87年、骨髄性白血病のため夭折。享年25歳。
創作期間は死の直前までの二年八ヵ月。句数は280余り。
尾崎放哉に心酔す。
精神科医、香山リカ等の働きにより、広く世に紹介される。

 『十代はリーゼントにサングラス。つっぱっていた
 十六歳で年上の女性と同棲。二十二歳のとき出家得度、そして結婚
 翌年、白血病を発症。離婚。病室での育児。三年後死去』
  〈住宅顕信読本〉中央公論新社、著者小林恭二ほか、より

句集に『未完成』(弥生書房)がある。
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住宅顕信〈自由律俳句の彗星〉     高橋透水

2014年03月28日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

  住宅顕信の15句 (制作年、順不同)



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住宅顕信(すみたく・けんしん)の紹介

1961年、岡山県生れ。本名晴美。
87年、骨髄性白血病のため夭折。享年25歳。
創作期間は死の直前までの二年八ヵ月。句数は280余り。
尾崎放哉に心酔す。
精神科医、香山リカ等の働きにより、広く世に紹介される。

 『十代はリーゼントにサングラス。つっぱっていた
 十六歳で年上の女性と同棲。二十二歳のとき出家得度、そして結婚
 翌年、白血病を発症。離婚。病室での育児。三年後死去』

  〈住宅顕信読本〉中央公論新社、著者小林恭二ほか、より

句集に『未完成』(弥生書房)がある。

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一行詩の紹介 〈草田男が迷わず進めという春野>    高橋透水

2014年03月25日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
大きな耳のチューリップ

チューリップって大きな耳なのね    リリー

煙突から出てきた去年のサンタさん   丸男

恋愛ごっこ止めて砂漠にゆきましょう     まこ

春月をだれが突いたか歪んだ夜だ    庄平

草田男が迷わず進めという春野     二葉

三業の先に幸せ三椏の花        ともえ


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杉田久女の秀句鑑賞(三)       高橋透水

2014年03月22日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ    久女

 大正八年の作。久女の初期を代表する秀句ゆえ、評論や観賞文も多い。概して、「花衣」の語感からくる華やかさ艶やかさを強調し、また「まつわる紐」や「紐いろいろ」からくる女性ならではの観察眼を称え、果てはエロティシズムさえ論じられている。
 しかし、この句には理解できない世界がある。いくら豪華で艶やかな「花衣」といっても、そんなに紐が多くあるのだろうか、という素朴な疑問である。
 「まつわる」は紐が体に纏わるのか。脱ぎ散らした衣や羽織、襦袢などの紐と紐が重なる様子を「まつわる」と表現したのか。「いろいろ」から、複数の紐であることは間違いなかろうが、すっきりしない。
 この想像上の情景、また「脱ぐ」という語感から女の艶やかさを感じ、男性はほとんど空想に近い艶冶なエロチックな世界を頭に想いうかべるのだろう。

 虚子もまた、「ホトトギス」大正八年八月号の『俳談会』でこの句をとりあげ、推賞した。少し長いが紹介したい。
  「この句は説明するまでもなく花見衣を女がぬぐ時の状態で、花見衣を脱ぐ場合に腰をしめて居る紐が二本も三本も沢山しまっている為に、その紐がぬぐ衣にまつわりついて手軽く着物をぬぐ事が出来ない。其の紐の形も色も決して一様でなくて紅紫いろいろの色をした紐が衣を一枚一枚とぬいで行くに従ってまつはりつく、それがうるさいやうな心持もするのである。うるさいといふよりもその光景が濃艶な心持で、花を見る華やかな心持と一致してまつはりつく色々の紐を興がり喜ぶのである。(中略)こういふ事実は女でなければ経験しがたいものでもあるし、観察しがたい所のものでもある。即ち此句の如きは女の句として男子の模倣を許さぬ特別の地位に立つてゐるものとして認める次第である」

 また、「花衣ぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女」の著作者である作家の田辺聖子は、
   艶冶な句である。習作の域を完全に脱して、久女らしい濃い色彩感と照りがあらわれている。久女は美しいもの、触感の快いものが好きで、―この紐も、緊めよい材質の、色美しいものであろう。絹の端ぎれ、モスリン、紅絹、それら色とりどりの紐が足もとにたおやかに落ち重なる。すでに久女はナルシシズムに酔いはじめている。これは女の自己愛の句である。

と述べている。
 ナルシストとは言わないまでも、久女の練りあげた、あくまでも創造上の美人画の世界のような気がする。他方、この句は『実際には、花見にゆかず、嫁入り時に実家から持ってきた衣装を広げて、思い出にふけったり、無聊を託ったのときのことを句にしたのだ。父母の元になに不自由なく育った頃に比し、今の生活は決して満足というわけでない。行く末を思うと、ついつい虚脱感・倦怠感が畳の上に投げだされた』と解釈する人もいる。
確かに、久女には自分でも分からない(少なくともこの時点での自覚はない)病魔が育ち始めていたようだ。自己嫌悪と自己顕示欲の悪魔が二つとも巣喰っているのだ。後の〈われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙〉にあるように、久女には肉体にいや精神に「纏いつくもの」、「とりつくもの」が潜在的にあったのだろう。

 この句は様々な解釈のできる幅を持っているし、そしてこれこそ、久女の句作りの真骨頂といえる。後年の不遇な境遇までの間、久女の俳句の「花衣」は「脱ぎ捨てられる」ことなく、ますます華やかに、俳句界に絢爛と輝いてゆくことになる。

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詩歌・悠々散歩  「ほゝけちらして猫柳」      高橋透水

2014年03月20日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

来てみればほゝけちらして猫柳    細見綾子

 近くの公園で、猫柳が芽吹きだした。紅い殻を破るように、白い産毛がのぞいていた。少しでも多く陽光を呼吸しようと懸命な顔つきだ。枝はゆっくりと揺れ、人を誘っているようだった。

 綾子の句は猫柳の花も終わりのころ。肋膜炎を患い、郷里丹波で静養中のもの。少し回復して、やっと歩けるようになったので散歩に出た。しかし猫柳の花の盛りは終りに近づいていた。期待は外れたが、新しい発見があった。蕊が露わに「ほゝけちらした」猫柳がむしろ新鮮だったのだ。
 後年「つつましいものにも、こんな成熟のしかたがある」とこの句の背景を述懐している。
昭和二年、23歳の作。処女句集『桃は八重』所収。


******************************
一行詩の紹介

じゃんけんはパーのみだして、花辛夷     やーこ
子宮で泣き、子宮で笑って卒業す       らん子

芽吹きの野が、左回りの風と遊んでいる    よひょう
気づけば、スズメに取り囲まれている     徒歩
地中に飽きた虫が、若草をノックしている    幹助

  
******************************詩の紹介

  働く女       布野ボン太

他人の眼ではこの中年女は
ずいぶん苦労しているように見える
この女の辞書には苦労という言葉は
きっとないのだろう

春風に微笑を返し
お日様の温みに感謝している


近くに子供たちが
菜の花を摘んで
お飯事をしている


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杉田久女の秀句鑑賞(二)       高橋透水

2014年03月16日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 春寒や刻み鋭き小菊の芽      久女

 春は動物はもちろんのこと、植物にとっても喜びの季節である。小鳥は囀り、獣は繁殖の闘いを繰り広げ、子育ての季節を迎える。
 植物も花をつけ、蝶や蜂などの昆虫を賑やかにする。
 自然の営みは人知の及ばないところが沢山ある。しかしそうした自然の仕組みを巧に利用し、人間の都合のよいように植物を増やす方法も編みだされている。種を蒔くこと、木の実や苗木を植える、挿木や根分けなど、その植物に合った最良の方法で植物を増やし、栽培している。
 自然に手を加え、自然を曲げることは、食物連鎖を崩し環境を破壊するという意見もあることは確かだ。しかし植物や動物の特性を生かし、より良い環境目指す共存も選択枝のひとつとして可能だろう。

 鑑賞句は、菊の根分けの情景だろうか。大正8年頃の作である。
 「刻み」はもちろん小菊の芽で、挿木か根分けした若い菊のことで、若葉も菊固有のギザギザの葉様をしている。風に吹かれると、この若々しいギザギザが愛らしく揺れる。

 兄や知人の紹介で「ホトトギス」に入会した久女は、当初は客観写生の影響が色濃い。「ホトトギス」雑詠欄に初入選となったのは大正七年の四月号で、〈艫の霜に古枝舞ひ下りし烏かな〉であった。一読ごたごたした感があり、お世辞にも上手いとはいえないようだ。
 初期の久女には自然観察した独自な句も多い。いわゆる「台所俳句」から少し距離のある自然描写だ。勉強家の久女は俳句にとりつかれたように、めきめき腕をあげてゆく。

 ゆく春やとげ柔らかに薊の座
 あたたかや皮ぬぎ捨てし猫柳
 春耕に躍り出し芽の一列に
   
   素十の描写に近い

などがある。鑑賞句はよく高野素十の<甘草の芽のとびとびのひとならび>が例えられるが、素十の句は事実見たままを詠んだまでだが、一方「春寒や」の句は「刻み鋭き」に客観写生を超えた、久女の鋭利な目を感じ、読む側も釘づけになる。

 またこの頃は夫の宇内との軋轢も目立たず、子供思いの平和な日常をありのまま句にする久女象が窺がえる。畑仕事が好きだったらしい。

 家庭的な句
衣更て帯上赤し厨事
麻蚊帳に足うつくしく重ね病む
新茶汲むや終りの雫汲みわけて
その中に羽根つく吾子の声すめり
葱植うる夫に移しぬ廂の灯
蠣飯に灯して夫待ちにけり
昼飯たべに帰りくる夫日永かな
  
 上記二句、夫恋の句

獺にもとられず小鮎釣り来し夫をかし
  宇内は釣りが好きだった
ホ句のわれ慈母たるわれや夏痩ぬ    
  自戒の念か

 ★子供の情景を詠った句
仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり  
 子供は熱中しやすいが、飽きも早い
童話よみ尽して金魚子に吊りぬ
六つなるは父の蒲団にねせにけり
  
  夫、宇内の留守中の情景

その中に羽根つく吾子の声すめり

  母親一般の心情
七夕竹を病む子の室に横たへぬ        
銀河濃し救ひ得たりし子の命       


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一行詩の紹介(五)       高橋透水

2014年03月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 十五歳のピアス

 原宿や初のピアスの十五歳     林 壮俊
 滅茶苦茶に影をゆすれば水こぼれる   中村ヨシオ
 乗り遅れたホーム、菜の花発見!    ぼんぼん
 我、魚族人間目〇に→科      アダモ
 春空が虹を吹き出し、吸い込んだ   レインボウ


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詩の紹介

  笑ってみたい   奥野泰平

街にはバカ笑いが横行している。
ところが、家庭からの、心底からの笑いが消えてしまった。
お金もなんのために欲しいのかわからない。
そもそもお金ってなんなんだろう。
そんなことより、笑ってみたい。無心に。

最近の赤子の笑いも、親の心情を反映してか、
天真さが薄れている。
これからの長い人生が哀れになる。


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春昼のオルゴール  木下夕爾の一句     高橋透水

2014年03月12日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 春昼のすぐに鳴りやむオルゴール      夕爾

 ネジを巻いてもすぐにオルゴールが鳴りやむのか、古くて思いのままにならないのか、一読して何やら危うい感じのする句である。夜中でなく昼間という設定がむしろドラマ性を効果的に醸し出している。
 夕爾には「春昼」また「春の昼」を季語にした句が何句かある。

  春昼を来て木柵に堰かれたり
  春昼や坐してゐてたれも身じろがず

  春昼のつつじの花のもてる影
  春昼の波さわ立ちて岩を越えず


 また音に敏感だったのか、

  春暁の大時計鳴りをはりたる
  鐘の音を追ふ鐘の音よ春の昼
  ピアノの音まろぶ遅日の芝の上
  厨水暮春の音をなしにけり


等がある。
 夕爾の句は全体に詩的で情緒的であるが、スリリングな面も持っている。〈よく折れる鉛筆の芯春の蝉〉や特に〈遠雷やはづしてひかる耳かざり〉は、まさにドラマ性を演出している。これは〈子のグリム父の高邱春ともし〉にあるようにグリム童話の影響があるのだろうか。グリム童話にある恐怖性だ。
 しかし鑑賞句は子供が古びたオルゴールを飽きもせず鳴らしている光景とすると、優しい父親像を感じもする。俳人であり詩人である夕爾の感覚は、優しくも鋭いものだ。

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木下夕爾の詩も紹介します。

 踏切にて
   かたんと遮断機が降りて
   私を立止まらせる場所
   うらうらとした春の日の
   私の思いを切断する場所
   麦が青く菜畠が黄いろく
   電車が遠い潮騒を連れてやってくる
   ああ今二本のレールとともに光り走って来て
   私に突き刺さるものは何だろう
   そらまめの花の黒い眼のように物言わず
   亡霊のようにそこにむらがって
   私を見つめているのは誰ですか


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杉田久女の一句鑑賞(一)         高橋透水

2014年03月09日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  歯茎かゆく乳首かむ子や花曇     久女

子の成長の喜びを花曇りの景のなかで、「乳首かむ」子の一点に絞って表現した。久女の初期のころの句であるが、乳子を育てた経験のある女性には共感できる句だろう。乳歯が目立ってきても胸をまさぐりお乳をねだる子。乳首を与えると、歯茎を擦り、あげくの果て乳首を噛んできた。「イタッ!」と悲鳴をあげるが、ここまで成長したのかと思うと痛さも喜びに変わる。誠に微笑ましい光景である。
 ところで授乳という母子の対話は、男性には未知の世界である。特に「歯茎かゆく」がわからないので、伊藤敬子著・「杉田久女」牧羊社を参考にさせていただくことにした。「生後半年をすぎるころ、個人差は大いにあるが乳歯が前歯の下顎に二本生える。その乳歯が生える前に歯茎がうづいてかゆい感じをもつらしい。・・・乳児は歯茎のかゆいのを母乳の乳首を噛むことによって癒すのだ」と解説していることは、大いに鑑賞に役立った。またこの句の制作年代は大正7年から昭和4年の間としている。

 ここで、久女の年譜を見てみると、
1907年(明治40)17歳。お茶の水高等女学校本科卒業。
1909年(明治42)19歳。8月、杉田宇内へ嫁す。宇内は愛知県西賀茂郡小西村出身。東京美術学校西洋画科卒業後、福岡県立小倉高等学校教師。小倉市に住む。
1907年(明治44)21歳。8月、長女・昌子生る。
1916年(大正5)26歳。8月、次女・光子生る。秋ごろ、次兄より俳句の手ほどきをうける。

 この経歴から察するに、鑑賞句は長女昌子でなく次女光子の授乳時の句であろうと思われる。

  入学児に鼻紙折りて持たせけり
 これも次女光子の入学式の朝の光景を詠ったのだろう。入学する子供を見送る不安と期待の親心。「鼻紙折りて持たせ」が全てを物語っている。子供はそうした親心を敏感に感じる。子供の感受性は親の想像を越えている。

★久女の初期の俳句を紹介します。
 
  春寒や刻み鋭き小菊の芽
  揃はざる火鉢二つに余寒かな
  小鏡にうつし拭く墨宵の春
  春の夜のねむき抑へて髪梳けり
  鉄瓶あけて春夜の顔を洗ひ寝し
  菓子ねだる子に戯画かくや春の雨
  春襟やホ句会つヾくこの夜ごろ
  草摘む子幸あふれたる面かな
  姉ゐねばおとなしき子やしやぼん玉
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一行詩の紹介      高橋透水

2014年03月05日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
傷つけに、春よこい

啓蟄だ、娑婆に出よう。ちょい悪な心でね。   ロン
俺は男。傷つけに、春よこい。         ランボー
剪定の枝に赤ん坊の声が        童心
春寒に去勢猫を抱いて寝る        もこ
春の音溢れ、肌擦り合わす池の鯉    ミルキー


***********************
早春の蛙      宇野星雄

雛を仕舞ったら、急に寒くなった
夜の公園を歩いていると、
蛙がもう出ていた
街灯の光を受け、斜に構えて
風に吹かれても動かずに
闇をじっと見据えている
何を捜し、なにを願っているのか
牛より頑固だ
夜だけが動いている


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蕪村はその時、どこにいたか(二)    高橋透水

2014年03月02日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

 まず、蕪村の菜の花の句を何句か紹介します。

菜の花や和泉河内へ小商
菜の花や油乏しき小家がら
なのはなや昼一しきり海の音
菜の花や鯨もよらず海くれて
菜の花に僧の脚半の下がりけり


********************************

蕪村はその時、どこにいたか(一)の続き

 蕪村の「菜の花や・・・」について、面白いことがあるという、便利屋の言葉を皆は待った。三十代なのに、髪が薄い。
 と、その時である。ジャズが消え、「♪菜の花ばたけーに 入りに薄れ・・・」
とボリュームの高い音楽が、店内に流れた。蕪村の菜の花の句に、気を利かしたマスーターがBGを切り替えたのだろう。店内がぱっと明るい気分になった。
音楽好きなマスターが体を揺らすと、誰となく歌いだした。情報提供マンの便利屋も歌いだす。楽しいことがあれば、先ずそちらが優先。

 「♪見わたす山の端 霞ふかし
  春風そよふく 空をみれば   
夕月かかりて においあわし」
 歌い終わると訳も分からず、みなで乾杯した。
 興奮が衰えない。
「菜の花の句といえば、木下夕爾の〈家々や菜の花いろの灯をともし〉がある。この句のほうが庶民的な絵の世界を感じるね」
物知りが薀蓄をかたむけた。「ちなみにこの句は昭和二十三年作で『遠雷』所収されたんだがね」
「ほう!」と一同。
「菜の花いろがいいね」
「でも、その句に季語がないんじゃない!?」
「いいんだよ、そんなこと。季感があればいいんだ」
「なんで、季語季語っていうのよ。俳句がよければそれでいいじゃないの」
「いいじゃないの、幸せならば・・。で、どんな記事があったの」
 やれやれ、やっと皆はパソコンの画面を覗き込んだ。

 成るほど興味深い情報だ。少し長いのですが、下記に記しましたので付き合ってください。

******************************

   菜の花や月は東に日は西に 

は安永三年の三月二十三日に詠まれた句だとされます。
 この日付をグレゴリオ暦で表せば、1774/5/3となります。もうちょっと先の
 季節に詠まれたことになりますが、この句がその日の眼前の風景を詠んだも
 のでは無いことは確実です。理由は詠まれたその日付です。
旧暦二十三日
 この歌が詠まれた日付は当時の暦で三月二十三日です。
 ご存じのとおり当時使われていた暦は新月の日を朔日とする太陰太陽暦です
 から、その暦で二十三日の月がどんな月かを考えると、この句の情景がその
 日には見えるはずのないことに気が付きます。
当時の暦で二十三日の月というと、ほぼ下弦の半月で有ったことが判ります。
 この辺は、さすがに日刊☆こよみのページの読者の皆さんには常識ですね。
 さらにこのメールマガジンの読者の皆さんには常識である知識からすると、
下弦の半月が昇る時刻は、真夜中の零時頃だ
 ということが判るはず。ちなみに今年(2009年)の旧暦三月二十三日は4/18
 ですが、この日の月の出の時刻は午前 1時 7分。真夜中です。
つまり、この日に「月は東に日は西に」という句のとおり、日が西に傾く夕
方に月が東の空に昇るというようなことはあり得ません。
 つまり、この日の夕方に菜の花畑の真ん中に立ってもこの句の情景は見える
 はずが無いのです。
(チャンスは満月の頃
 では「月は東に日は西に」という情景が見えるチャンスはいつ頃かというと、
 それは満月の前後。月と太陽の両方が見えることを考えると、満月かその二
 三日前が一番のチャンスといえそうです。
さてでは今日(2009/04/09)の月はどんな具合かというと、「満月」でした。
 「月は東に日は西に」の今月のラストチャンスでしょうか。
 今日の日没と月の出の時刻を計算してみると、
日没 18時 9分
  月出 17時57分 (いずれも計算地、東京の場合の数値)
 つまり、月が出てから10分ほどは「月は東に日は西に」という状況が見られ
 ることになります(もちろん、どちらも地平線、水平線が見えるような場所
 での場合ですけれど)。
 明日(4/10)の月の出は日没後となりますので、今日が今月の本当にラスト
 チャンスの日ということになりますね。)

◇蕪村が菜の花畑で月と日を眺めた日は?
 蕪村がこの句を実際にみた情景を思い出して詠んだとすれば、実際にこの情
 景を目にした日はいつかと考えると、おそらくはその月の十日~十五日ぐら
 い(当時の暦で)のこととではないかと考えられます。
その該当する日をグレゴリオ暦の日付で考えると、1774/04/20~04/25 頃と
 なります。
 菜の花の季節としてもまずまず。これで月と太陽の条件がそろって、
菜の花や月は東に日は西に
という句の元となったのではないでしょうか?
 さあ、今日の「月は東に日は西に」の情景を、皆さんはどんな場所で眺める
 ことになるのでしょうね?
(『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)
オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/04/09 号
*********************************
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