銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく 兜太
『金子兜太句集』、昭和三十六年の収録だが、初出は「俳句」三十一年七月号である。作句の背景は休日明けのこと。いつも勤務している職場なのに、兜太はある不思議な光景に気づいた。そこで目にしたのはすこし薄暗い部屋で光の当たったところだけ青白く光る朝の風景であった。昨日見た烏賊の発光体を彷彿させる勤労者が、職場で再現されたのだ。
いうまでもなく、蛍光灯または蛍光管は、放電で発生する紫外線を蛍光体に当てて可視光線に変換する光源である。しかしおそらく当時の蛍光灯の光はまだまだ自然光からは遠く、青白い光で古くなるとジージーという音がしたようなものだったろう。
金子兜太の「自選自解99句」によれば、「勤め先の神戸支店の朝の景。その前日、家族で尾道の水族館にゆき、ホタルイカを見てきた。その景に似た支店の朝のはじまりだった。当時は、蛍光灯が一人一人の机にあって、出勤すると自分の席の灯を点す。店内は暗い。そこに灯る灯は、水族館のホタルイカそっくりだったのだ。この景を銀行員への皮肉、批評と受け取る人が多く、社会性俳句の見本として読まれて評判になった次第」とある。
烏賊の発する発光と蛍光灯の光を浴びた被写体である人間の反射光では自ずと違いがあり、不気味さの点では反射光を浴びた人間が強いだろう。いずれにせよ、この句は発表されるや、造型俳句の意欲的な作品として高く評価され、また社会性俳句としても取沙汰された。確かに造型俳句にしようという意欲は感じられるし「蛍光す」から「さあこれから仕事にとりかかるぞ」という職場の雰囲気は伝わるが、これをもって「社会性俳句の見本」として読むのはいかがなものか。そして「ごとく」も造型を標榜する表現にしては、すこし安易ではなかろうか。
したがって、この句をもって造型俳句の最初の典型とみるには論議の分かれるところだろうが、兜太が社会性俳句の旗手として頭角を現した時期の句であることは確かだろう。
俳誌『鴎座』2017年4月号より転載
『金子兜太句集』、昭和三十六年の収録だが、初出は「俳句」三十一年七月号である。作句の背景は休日明けのこと。いつも勤務している職場なのに、兜太はある不思議な光景に気づいた。そこで目にしたのはすこし薄暗い部屋で光の当たったところだけ青白く光る朝の風景であった。昨日見た烏賊の発光体を彷彿させる勤労者が、職場で再現されたのだ。
いうまでもなく、蛍光灯または蛍光管は、放電で発生する紫外線を蛍光体に当てて可視光線に変換する光源である。しかしおそらく当時の蛍光灯の光はまだまだ自然光からは遠く、青白い光で古くなるとジージーという音がしたようなものだったろう。
金子兜太の「自選自解99句」によれば、「勤め先の神戸支店の朝の景。その前日、家族で尾道の水族館にゆき、ホタルイカを見てきた。その景に似た支店の朝のはじまりだった。当時は、蛍光灯が一人一人の机にあって、出勤すると自分の席の灯を点す。店内は暗い。そこに灯る灯は、水族館のホタルイカそっくりだったのだ。この景を銀行員への皮肉、批評と受け取る人が多く、社会性俳句の見本として読まれて評判になった次第」とある。
烏賊の発する発光と蛍光灯の光を浴びた被写体である人間の反射光では自ずと違いがあり、不気味さの点では反射光を浴びた人間が強いだろう。いずれにせよ、この句は発表されるや、造型俳句の意欲的な作品として高く評価され、また社会性俳句としても取沙汰された。確かに造型俳句にしようという意欲は感じられるし「蛍光す」から「さあこれから仕事にとりかかるぞ」という職場の雰囲気は伝わるが、これをもって「社会性俳句の見本」として読むのはいかがなものか。そして「ごとく」も造型を標榜する表現にしては、すこし安易ではなかろうか。
したがって、この句をもって造型俳句の最初の典型とみるには論議の分かれるところだろうが、兜太が社会性俳句の旗手として頭角を現した時期の句であることは確かだろう。
俳誌『鴎座』2017年4月号より転載