蛇よりも殺めし棒の迅きながれ 鷹羽狩行
昭和五十一年の作で、第五句集『五行』に所収されているが、この
句集には、気になる句が沢山ある。句集の後記で狩行は、「この句集
は昭和四十九年から同年五十一年までの間の作品から、五百二十句
を選んで収録した」とある。年齢でいうと四四歳から四六歳くらい
にあたる。
この時期にどんな心理的な変化があったのか知らないが、〈空蝉の
なほ苦しみを負ふかたち〉〈生と死の生の暗しや蝌蚪の水〉〈蟻地獄
飢ゑてゐずやと砂こぼす〉等々生き物、小動物を題材にした句が多
くなっている。また動物でないが、〈黴の世の黴も生きとし生きるも
の〉がなどが見られ、〈恐いものみたさ湿地を草の絮〉のように、ず
ばり「恐いものみたさ」という措辞さえ使用している。
ところで、狩行は掲句の自解のなかで、師である秋元不二男に「〈殺
されて流れきし蛇長すぎる〉があり、この句の根底にあったかもしれ
ぬ」と述べている。また「根源俳句」を唱えたもう一人の師であった
山口誓子の影響が根底にあると評されることもあるが、もうこの時代
での狩行の表現手段としては誓子の影響は希薄になったとみてよいだ
ろう。
むしろこの句とよく引き合いにだされるのに、高浜虚子の〈流れ行
く大根の葉の早さかな〉がある。さらに虚子の〈蛇逃げて我を見し眼
の草に残る〉の句なども心底にあったのかも知れない。
やはり狩行の句は変幻自在であり、知的な俳人だ。秋元不二男の言
葉でいえば、「バランス・素材選別・決定的把握・関係づけ・構図の取
り方、そういう操作工夫が見事だ」ということになるだろうか。