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山口誓子の一句鑑賞(7) 高橋透水

2018年05月19日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 つきぬけて天上の紺曼珠沙華 誓子
 昭和十三年あたりから、誓子には「黒の時代」「暗黒の時代」といわれる一時期があった。それまでの外面に関心があり、視点が外界に向いていたのが、内面の深淵に向けられた時代である。例えば〈愉しまず晩秋黒き富士立つを〉〈夜はさらに蟋蟀の溝黒くなる〉〈蟋蟀はきらりと光りなほ土中〉などの句が挙げられる。これは当時の時代背景が反映しているにしても、誓子が病気療養中で鬱鬱としていたことが主な原因であったろう。
 しかしときには無理のない誓子本来の句も見られるようになる。いわゆる構成句である。鑑賞句は昭和十六年作で『七曜』に所収された、まさに構成句である。誓子の「自選自解句集」によれば、「『つきぬけて天上の紺』は、くっつけて読む。つきぬけるような晴天とは、昔からいう。それを私は『つきぬけて天上の紺』といったのだ」とある。
 つまり一句は、〈つきぬけて天上の紺/曼珠沙華〉であり、一部の鑑賞者のように曼珠沙華が紺碧の空を突き抜けるという解釈はあたらない。まして「曼珠沙華を下からのぞき込んで空につきぬけた様子だ」などは論外だろう。ここでは「天」と「地」の縦軸に「天上の紺」と「曼珠沙華の赤」という色彩の対比をみることができる。これこそ「黒の時代」を抜けた構成俳句の再来である。
 ところで曼珠沙華は彼岸花のほか、死人花、捨子花、石蒜(せきさん)、天蓋花、幽霊花、かみそりばななど様々な呼称がある。どちらかというとマイナスイメージであるが誓子は曼珠沙華が好きなのか、この頃に、〈曼珠沙華季節は深く照りとほる〉〈曼珠沙華一茎の蘂照る翳る〉などがある。
 そんななか、時代は大きく転換し始めた。昭和十五年に俳句弾圧事件があり、太平洋戦争開戦は翌年のことである。「日本俳句協会」は十六年六月に「日本文学報国会」の一部門と化した。誓子は地方で療養中ということもあり捜査から免れたが、次第に俳句の素材が狭く、身近な自然観察に眼が傾いていった。


  俳誌『鴎座』2018年5月号 より転載
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