透水の 『俳句ワールド』

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尾崎放哉の句(一校時代の句を紹介)        高橋透水

2014年05月30日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
放哉の≪青春を謳歌した一校時代≫

 しぐるヽや残菊白き傘の下
 峠路や時雨晴れたり馬の声
 酒のまぬ身は葛水のつめたさよ
 

 典型的な有季定型の句で、後に自由律俳句の作家になることなど予想だに出来ません。また一生この路線の俳句ばかりとしたら、尾崎放哉の名はそれほど世に知られることなく終わったかもしれません。

[一高時代の放哉]
  明治35(1902)年、放哉は鳥取より上京して第一高等学校に入学。一年先輩にのちに俳句の上での師匠格となる荻原井泉水がいた。放哉は井泉水主宰の俳句のサークルに加入した。一校俳句会に参加し、そこに鳴雪、虚子、碧梧桐が指導にあたっていた。放哉は俳句以外の文芸にも興味を持ち、かなりの読書家だった。またボート部に所属し、酒も覚えた。
在学時のこと、時代の不安定感・閉塞感を反映してか、明治36年5月に同校の藤村操が日光華厳の滝に投身自殺をしている。このことは、なんらかの影響を放哉に与えた。授業では夏目漱石に英語を習い、漱石に傾倒したこともあった。
 この時代に放哉の生涯に大きな影響を与えた女性との交際が始まっている。結婚まで考えた従兄妹にあたる沢芳衛だ。しかし二人の結婚は血縁が近すぎると、芳衛の兄静夫(東大医学部卒)に反対され実現しなかった。放哉の本名は秀雄、俳号は梅史、芳水、梅の舎、また「芳哉」だった。事情がはっきりしないが、後に「放哉」に改めた。

 
 当時、芳衛宛のハガキに次のような句を送っている。
 「今日電車にのつて行く途中で春寒をつくつて見た。どれが句になつてるか。
   水仙の百枚書や春寒し
   春寒や嵐雪の句を石にほる
   春寒や小梅もどりのカラ車
   春寒やそこそこにして銀閣寺
     十時
 よし様


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種田山頭火と尾崎放哉の俳句(一)      高橋透水

2014年05月24日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
鴉啼いてわたしも一人    山頭火
 1926年(大正15)「層雲」に発表。
  寂寥感が漂うが、眼は外部に向いている。
  一羽の鴉と一人のわたし。山頭火は自分を旅烏と考え、目の前の鴉に対し親愛感を持ったのだろう。

咳をしても一人     放哉
  小豆島時代(大正14・8~大正15・4)頃の作。
  自意識を消せない自分がある。この咳は外界を意識してのものだ。
  酒が入ると自己発散が過ぎて高慢になる放哉だが、ここでは孤独を託つしかない。海の青さだけが慰めだ。



 ★種田山頭火 1882年(明治15)~1940年(昭和15)。
 山口県周防町(現周防市)生。
 ★尾崎放哉  1885年(明治18)~1926年(大正15)。
 鳥取県吉方町(現鳥取市)生。

二人は新傾向俳句『層雲』の主宰者、荻原井泉井の門下である。共に自由律俳句で花開く。

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尾崎放哉の句
(中学時代の句を紹介)
  きれ凧の糸かかりけり梅の枝(号梅史)
  城郭の白壁残る若葉かな
  木の間より釣床見ゆる青葉かな
  よき人の机によりて昼ねかな
  刀師の刃ためすや朝寒み
寒菊やころばしてある臼の下
  病いへずうつうつとして春くるる
  行春や母が遺愛の筑紫琴
  行春の今道心を宿しけり
夕立のすぎて若葉の戦ぎ哉


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鈴木しづ子の秀句鑑賞(軆内にきみが血流る正座に堪ふ)   高橋透水

2014年05月19日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

軆内にきみが血流る正座に堪ふ     鈴木しづ子
 『俳句往来』昭和26年11月号に掲載。

  昭和21年の5月、母は福井市で逝去している。しづ子が母綾子の訃報を受けた直後の句と思われる。東京で一人暮らしをしていた27歳の時である。
「きみの血」とは血縁関係を表わす「血」であろうが、なぜ「正座に堪ふ」なのだろう。訃報に慟哭し、やがて涙の涸れたあとに正座し母の死を認めようとする覚悟の姿勢だったのだろうか。「軆内にきみが血」を性行による体液と見る向きもあるが、下衆の勘繰りというべきだろう。
 思い起こせば〈母は病む十薬の花咲きさかり〉と詠ったように、昭和16年夏、母は家族と磯遊びをした後に体調を崩している。母の療養を兼ね、結果的に疎開先となった福井での生活も耐乏を強いられたことだろう。別れる前の母との思い出が去来し、我がままな自分、母に孝行できなかった己を恥じたかもしれない。ちなみに、〈ゆかた着てならびゆく背の母をこゆ〉〈好物のかきもち母をとほく憶ふ〉というような母憶いの句はあるが、父親を詠った句は見当たらない。

 良くも悪くも、自己分析をするには時の流れが必要だ。自己を納得させるための、都合のよい自己分析もあろう。しづ子は俳人である前に詩人であったように思う。それは次の自註自解を詠めば明らかだ。後日、しづ子は当時を次の様に分析している。
(注:下記文は、しづ子の原文を詩になるように改行したものです)   

   それはあまりにも生々しい。
   しかし享楽ではなかった。
   かたくつむった瞼の痙攣が酷くも記憶を呼び醒ます。
   仮令一瞬でもよい、体の支柱が、心の支柱が欲しい、欲しい。
   いまさらの如く、叛いていくとせ、血をわけたはらからが、したわしい。
   ああ母は、既にいなかったのだ!
   母も!――このように泪を流して私をこの世に送り出したのか。
   私も母とおなじみちをたどるのか。
   母よ、何故生きていてはくれなかったのだ。
   私は訴えるところがないではないか。
   私は――ああ、その折の私の身もだえがいたたましくも蘇ってくる。
   私のはたちの理性は斯くまでに脆いものであったのか。
   とり戻すすべのない悔恨と、自棄的な諦感と。
   激しい感情の渦巻にもはや己れ一個のみではない血脈の流れは
   ときには熱くときには冷たく明瞭な心音をひびかせ
   この五体を圧迫しつづけてやまない。
   午後九時の時報もすぎた。
   雨か。
   春寒のともしびはうす黄いろく、ともすれば身も心も崩れてしまう。
   正座に堪ふ……

   いくたびかの推敲を経たのちのわたしの必死の表現だ。
   
    (『樹海』’48・7月号)

 この文中(詩的に改行を多くしてある)の「親と同じ道を辿る」とはどういうことなのか。
仕事の関係で父親は不在がち。母や家族と別れて、都会での一人暮らし。そんなことから職場や生活の辛さを誰にもぶつけることができない。文学少女だったしづ子には、俳句のみが不満の捌け口であったのか。
これからの生活は「母親と同じく不幸を背負う」道になるのか、という嘆きだろうか。どうしても避けられない血のつながりを恨んだに違いない。


  ここで、その頃のしづ子の俳句を何句か紹介します。戦時中の工場の様子や生活が彷彿としてきます。

    凩やはやめに入れる孤りの燈
    むくげ垣つづき寮生列してくる
    時差出勤ホームの上の朝の月
鉄臭にそまりゆく指火にかざす
      鉄宵にのぞむ手袋はめにけり
    銀漢やひそかにぬぐふ肌の汗
    青葉の日朝の點呼の列に入る

    東京と生死をちかふ盛夏かな


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恐い句・凄い句の紹介<げんげ田に殺すあそびの紐来る>  高橋透水

2014年05月16日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

  気がつけば冥途に水を打ってゐし   飯島晴子


白椿そこは鬼のあつまる木      松本恭子

げんげ田に殺すあそびの紐来る    熊谷愛子

万緑や死は一弾を以て足る      上田五千石

気がつけば冥途に水を打ってゐし   飯島晴子

空蝉の生きて歩きぬ誰も知らず    三橋鷹女

曼珠沙華消えたる茎のならびけり   後藤夜半

菊白く死の髪豊かなるかなし      橋本多佳子



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★詩の紹介★

ベンチから見えたもの     矢野 徹

地上に何かが落ちた
続いて鳥が落ちた

鳥が飛び立った
続いて何かが飛び立った

鳥が何かを落とした
何かが鳥を落とした

鳥が何かを食べた
何かが鳥を食べた


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一行詩の紹介 〈あの日より、「あります!」が口癖に〉   高橋透水

2014年05月08日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
夏 来 る

平凡な言葉が好きと二輪草       沙羅

あの日より、「あります!」が口癖に       鉄男

構内の監視カメラに燕の巣      浩志

亀鳴いて浦島太郎を恋しがる     うさぎ

古書街のビニール本に夏来る      昭二


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 消えたコイン      本郷芳夫

手から滑り落ちたコインが
振り向きながら叫んでいる

コインは地面の葉を抜け
蟻を飛び越え、蚯蚓を避けた

コインの転がり泣いてる方へ
駈けた、走った

地から、呻き声がする
立ち止まった

石敷きの広場は風を飲みこむだけで
コインは見つからない


やがて地中からの声が消え
風はだんだん白さを増した

気づくと、手はしっかりと
コインを握っていた



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鈴木しづ子の秀句鑑賞(寒の夜を壺くだけ散るちらしけり)   高橋透水

2014年05月04日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

  寒の夜を壺くだけ散るちらしけり     しづ子
     『俳句往来』昭和26年11月号に掲載された。

 短い短詩形である俳句の作品が全て作者を物語るなどと、盲信はしていない。虚飾や作為、空想・フェクション、はては虚に遊ぶことで作品はより俳句的になり上品になることもあろうが、その分作者の本意から距離をおいたものになることもあろう。
 しかし一つの俳句を観賞するには、その背景を知る手掛かりになるであろうから、なるべく多くの俳句に接することの必要性はいうまでもないだろう。
 

 鑑賞句の前後に発表された主な句を挙げます。
 

  性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり
  ほろろ山吹婚約者を持ちながらひとを愛してしまった
  まぐはひのしづかなるあめ居とりまく
  売春や鶏卵にある掌の温み
  情欲や乱雲とみにかたち変へ
  コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ
  子を欲りぬとは氣まぐれか夏の虹


 人は時として奈落の道を選ぶ。いや無意識に「奈落」を切望している。しかし奈落の世界をAにしようかBにしようかなどと選べるものではない。堕ちたところがAであったりBであったりということで、つまり奈落は滑り落ち砕けた壺のように一瞬である。
 ここに恐ろしさが潜んでいる。奈落の世界にある安堵と美である。壺に対する妄執が破壊された快感と、壺が手から滑り床に砕けた美だ。砕けた様を鮮血と言おうが花びらと称そうが、「奈落」を見た人でないと解らない。
 「奈落」は突然くる。というのも、決して「堕落」でないから。そしてそこに他にない心地よさを感じる人のいるのも事実だ。人生を軽く生きて、とかく堕落を奈落と混同して長居をすることがなんて多いことか。堕落はおのれにまだまだ甘さがある。世に拗ねている。奈落は自己の意思に添わない「地獄」である。そういう意味で「奈落」という言葉は、しづ子に相応しい。

 この〈寒の夜を壺くだけ散るちらしけり〉の句には、しづ子の「自註自解」がある。
  母の死、ついで婚約者の戦死の報、病後の私には大きすぎる打撃だった。私はどうしたらよいのか。戦後直後の工場のひっそりした寮に戦災の身を横たえ、痴呆の如く思考力を失ってしまった。やがて次第に己れをとり戻してきた。それは却ってよいことではなかった。悲しくなった。やるせなくなった。最後に――どうにでもなれ――という捨鉢な気がむくむく頭を擡げてきた。それは反省の余地さえあまさなかった。折も折、あやまって愛玩の青磁の壺を手よりすべらせた。寒ンさ中なるコンクリートの石畳の上にそれは実に快いまでの高音をひびかせて美しく砕け散った。壺が手よりはなれた刹那ははっとおもった。失策への悔いと壺そのものへの哀惜とでまなこは閉じられた。砕け散る音の無惨さをも予想して耳もおおいたかった。瞬時――既に平静にかえった私はふてぶてしくも見事なまでに破壊された様にひややかに見下ろしていた。失せるものは失せろ。
  心は水を打ったように静かだった。この静けさ!私はそのまま奈落の底へ沈んでゆくかにおもわれた。
 

 人は己を貶め、自分を痛め傷つけることで、快感を感じ自己の存在をより快楽にできることがある。意識的でも無意識的でも、意識が慣習的になれば無意識に等しい。多くの犯罪はそんなとこから発生するものだ。
 芸術の悪魔は、時にそうした犯罪を好む。鬱屈した芸術家はそれに従うまでだ。しづ子はある時から、そんな悪魔に身を任せた。その反動か、恋愛もあったが、生活のために多くの男と関係した。そして大量の俳句を吐き出した。そんなしづ子を、芸術を楽しむ悪魔は更に好餌としたに違いない


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一行詩の紹介 〈少女期の崩れやすさよチューリップ〉   高橋透水

2014年05月01日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
緑の精

おじさんの心のリハビリ座禅草   行灯
大胆に脚を広げて車中の化粧     ミラー
緑の精がわたしを襲う幸せな一時     比沙子
ニッポンの三途の川に鮎のぼる     左膳
カンバスの真っ赤な花に蝶狂う     絵里
女みな男を見ずに手はスマホ    イチロー
少女期の崩れやすさよチューリップ    杏子


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アメリカの詩・紹介

「希望」は羽根をつけた生き物――
魂の中にとまり――
言葉のない調べをうたい――
けっして――休むことがない――

そして聞こえる――強風の中でこそ――甘美のかぎりに――
嵐は激烈に違いない――
多くの人の心を暖めてきた
小鳥をまごつかせる嵐があるとすれば――

わたしは冷えきった土地でその声を聞いた――
見も知らぬ果ての海で――
けれど、貧窮のきわみにあっても、けっして、
それはわたしに――パン屑をねだったことがない。

亀井俊介 編『対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)』(岩波文庫)より

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ことば
口にだしていうと
ことばが死ぬと
ひとはいう
まさにその日から
ことばは生きると
わたしがいう


川名 澄 編訳『わたしは誰でもない エミリ・ディキンソン詩集』(風媒社)より

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