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山口誓子の一句鑑賞(3) 高橋透水

2018年01月16日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  夏草に汽罐車の車輪来て止る  誓子

 昭和八年の作で、『黄旗』所載されている。「大阪駅構内」の連作の一つだが、当時の大阪駅は地上にあり、その引込み線に機関車が来て止った情景である。
 夏草と車輪がクローズアップされただけの句であるが、車輪が止まり喘いでいた機関が休憩に入る瞬間だ。どこにもありそうな長閑な風景であるが、ふと車輪の動きに視線を追うと恐怖感が広がってくる。大きな車輪のイメージから轢死の死体がふと現れてきそうなのである。作者の視線は車輪にあり、動から静に転じた一瞬を夏草と車輪だけでモンタージュ的に第三の世界を表出している。
 誓子は当時まだホトトギスに属していたが、秋櫻子と共に連句を試みており、新興俳句のリーダー格でもあった。ホトトギスとの違いを「伝統俳句は十七音と季題趣味の結合にある。新興有季俳句の構造は十七音と季感の結合にある。季感と云ふものは外界の季節によって刺成された作家の生活感情を基底としている」(「俳句研究」昭和十二年十二月号)と述べている。
 誓子といえば、従来の俳句にはなかった都会的な素材、知的・即物的な句風、映画理論に基づく連作俳句の試みなどがあげられるが、後年次のように語っている。
  「私の作句方法は、「物」から入って、その内部の、眼に見えざる関係を捉え、引っ返すときに、又「物」から出て来るのである。はじめの「物」は現実存在の「物」であるが、あとの「物」は「物」に内在するものを担って、言葉として出て来た「物」である。本質存在の「物」である。この二つの「物」は同じく「物」と言っても、お互いに別のものである。」(「天狼」昭和三十一年四月)
 これから察しても鑑賞句は「夏草」と「車輪」という二つの「もの」から、新しい「もの」の表出、ここでは新たな「事象」が読者に立ち上がってくる。これらは自然や文化の素材を取り入れる、素材主義といってよい。


   俳誌『鴎座』2018年一月号より転載
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