透水の 『俳句ワールド』

★古今の俳句の世界を楽しむ。
ネット句会も開催してます。お問合せ
acenet@cap.ocn.ne.jp

西東三鬼の一句鑑賞(七)  高橋透水

2016年02月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
おそるべき君等の乳房夏来る   三鬼

  昭和二十年の二月と五月に三鬼の住んでいた神戸は大空襲を受け被害は甚大だった。戦後、三鬼の眼が外部に向いたとき、真っ先に飛び込んできたのは破壊された都市と疲弊した人びとの生活だった。しかしそこにはしたたかに生きる人々に交じり懸命に生活を追う女性たちがいた。
  「乳房」は戦後の復活のシンボルとして眩しく眼にとまり、三鬼は純粋に女性の生命力を感じたのだろう。終戦直後の句とは思えない、明るさ・眩しさがある。これもまた平和を取り戻した象徴とみてよいだろう。
  三鬼の解説によれば、「薄いブラウスに盛り上がつた豊かな乳房は、見まいと思つても見ないで居られない。彼女等はそれを知つてゐて誇示する。彼女等は知らなくても万物の創造者が誇示せしめる」と述べているが、それまでの社会を見る眼と違う俳句眼が三鬼に芽生え始めていた。〈雪の町魚の大小血を垂るる〉〈美しき寒夜の影を別ちけり〉〈青き奈良の仏に辿りつきにけり〉などなど、無理のない句が見られる。
  戦時中の俳句弾圧時は句作は控えていたが、終戦まもなく、俳句の転換を目指した三鬼は、もう新興俳句の時代は終ったと体で感じた。これからは虚子らのホトトギスの伝統俳句だけでなく、戦前の新興俳句を乗り越えた新しい俳句の時代が始まると直感したのだ。
  そんな頃、沈黙して鬱鬱としていると思った山口誓子が俳句を書き溜めていたことを橋本多佳子を通じて知った。誓子の句集『激浪』の疎開原稿をみた三鬼は「病誓子が戦時下の毎日毎日を、ひたすら句作したことを知り、その執念に感歎すると共に、絶えて久しい誓子俳句の、作風激変に驚いた」「その時から、私の心中に誓子を中心にした同人雑誌の企画が、徐々に形をとりはじめた」と『俳愚伝』に記しているが、誓子を中心に新しい結社を立ち上げようと三鬼は動いた。さっそく誓子を訪ね、承諾を得た。『天狼』の誕生である。その後も俳句界での三鬼の暗躍は暫く続く。

  俳誌『鴎座』2016年、2月号より転載
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする