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芭蕉の発句アラカルト(初しぐれ) 高橋透水

2024年12月01日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
旅人と我名よばれん初しぐれ  芭蕉

 芭蕉四十四歳の作で『笈の小文』に収録。『笈の小文』は芭蕉死後宝永6年(1709年)、大津の門人川井乙州によって編集された。
 貞亨4(1687)年10月25日、芭蕉が亡父の三十三回忌の法要に参列するために江戸深川を出発し、貞亨5年8月末に江戸に戻るまでの旅で詠まれた句を集めたものである。
 『笈の小文』の序文、「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり」はあまりにも有名である。
 さて掲句は次のような前文がある。
 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
      旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉
   又山茶花を宿々にして 
 脇句は岩城の長太郎と云うもので、「其角亭におゐて関送リせんともてなす」とある。
 ところで、芭蕉の考えた「旅人」とは、日常生活を離脱し「風狂」世界に遊ぶ人を指すと解釈してよいだろう。つまり芭蕉自身が「旅人」と呼ばれることは、単に孤独な放浪的な俳諧師ではなく、業平・能因・西行・宗祇らと同様、旅に生涯を送った偉人たちの芸術探究・人間探求の系譜につながることを意味した。
 『赤冊子』には「心のいさましきを句のふりにふりだして、よばれん初しぐれ、とは云しと也。いさましき心を顕す所、謡のはしを前書にして、書のごとく章をさして門人に送られし也」云々とある。芭蕉の旅への賛辞であるが、これからしても過去の偉人と並び、逸早く一流の俳人とよばれたいという芭蕉の願望や自負でなく、むしろ俳句道の旅出という勢いと心の余裕さえみられるのである。
 これは三年前の野ざらしの旅への決意「野ざらしを心に風のしむ身かな」とくらべても明らかであろう。座五の「初しぐれ」にもこれからの季節の厳しさを案ずるのでなく、むしろ旅立ちの明るささえ感じるのである。




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