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西東三鬼の一句鑑賞(十)   高橋透水

2016年05月12日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 青高原わが変身の裸馬逃げよ 

  句集『変身』に収録された句である。『三鬼には『夜の桃』は饒舌過ぎたと、反省の弁があり、『今日』では意図的に変化を求めたが、しかし正直のところ平板な句ばかりで、新味がない。変身できないどころか保守回帰という見方もできよう。また誓子に阿るあまりに冒険できなかったという見方もできる。
 変化できないことに三鬼は苦しんだ。その要因に人生の終盤に差し掛かったからだと結論できる。あんなに活動的で弁舌が達者だったのに、女性遍歴も体力的に終焉に近づいた。病が体を蝕みはじめていた。三鬼を三鬼たらしめ、三鬼に棲みついた「三つ鬼」は衰え、姿を消そうとしていた。その変わり新たな鬼が出現した。その鬼は体を蝕み、精神をも弱らせた。胃癌に罹り、それが死因になった。
 ところで、『変身』の序で山口誓子は「私は一丁目の通りを歩いてゐた。三鬼氏は二丁目の通りを歩いてゐた」とし、「三鬼の二丁目精神は抵抗精神であり、三鬼俳句にいつも陣痛を感じたが、その陣痛は、三鬼氏の抵抗精神から来る不安、焦燥を意味してゐた」と分析している。
 それに対し、三鬼は『変身』のあとがきで「職業も歯科医をやめ、いわゆる専門俳人になった。背水の陣である」と記した。これは前句集『今日』で「三鬼疲れたり」と批評されたことへの反省と新たな決意であった。
 おそらく前句集の『今日』の時代の句に三鬼らしさの見られないのは、「無痛分娩」の時代だったのかもしれない。陣痛の俳句を取り戻そうとしたのが『変身』であったが、妄想妊娠どころか、無懐妊の俳句に精気がないのは当然といえば当然だった。
 三鬼はまだ「青高原」という青春を夢見ていた。その高原へ変身した己が身を逃がそうというのだ。裸馬とは、精気に満ちた雄馬だろう。しかし「逃げよ」に第三者的で客観的な自己分析がある。変身願望の己への精一杯な応援である。三鬼の生活から俳句は抜くことはできない。抵抗はまだまだ続く。
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  俳誌『鴎座』2016年5月号より転載
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