算術の少年しのび泣けり夏
昭和十年、句集『旗』に収録。算数を「算術」と表現したことで時代が広がり、結果この「少年」を特定できなくなる。実際の眼の前にいる少年か自分の子供か、はたまた三鬼の若き頃を重ねた回想とみることも可能だ。
「三鬼自註百句」には、「愚息は父に似て数学的頭脳を持つてゐない。宿題ができないで一人シクシク泣く。それは哀れであるし、父から見れば気の毒でもあつた。この句は形が奇異なため当時の新興俳壇でよくサンプルに使はれた」とある。が、自註がそのまま事実であり、句の解釈はそれで終りでないことは、鑑賞において常識的なことである。
三鬼は大正十四年、日本歯科医専卒業後、上原重子と結婚し、昭和四年長男太郎が誕生した。昭和十年というと太郎は六歳前後であるから、自分の子の句とは考え難い。他人の子供に接し誘発された句と推測も出来るし、また幼少のころは虚弱体質であった三鬼の自画像とみると、三鬼への同情も湧いてくる。
算数と限らず、宿題を怠り夏休みの終り頃になってやっと始めた勉強に後悔し、また自己の情けなさ、親や兄弟に叱られた苦い少年時代を思い出した読者も多いのではなかろうか。やはり俳句の手品師とか魔術師とか言われた三鬼のユーモアをもった自嘲句であるとみたい。最後の「夏」と季語をもってきたことも、従来の季語重視の形式と異なり、破調がむしろ斬新さもたらし注目をひいた。この「夏」の季語は動かず強烈でもある。
ちなみに少年を題材にした句に<梅を噛む少年の耳透きとほる><手の蛍にほひ少年ねむる昼><夏痩せて少年魚をのみゑがく><夏暁の子供よ土に馬を描き>などがある。
昭和八年に既知の医師に俳句を勧められどっぷりと俳句漬けになった三鬼は、翌年には同人詩『走馬燈』に加入、新興俳句に共鳴し、活躍の場を見出す。更に『旗艦』、『京大俳句』等に同人参加し交友関係を広げてゆく。その結果俳句にも視界が広がり、初期の句から脱出し社会性を帯びてゆくことになる。
俳誌「鴎座」2015年11月号より転載
昭和十年、句集『旗』に収録。算数を「算術」と表現したことで時代が広がり、結果この「少年」を特定できなくなる。実際の眼の前にいる少年か自分の子供か、はたまた三鬼の若き頃を重ねた回想とみることも可能だ。
「三鬼自註百句」には、「愚息は父に似て数学的頭脳を持つてゐない。宿題ができないで一人シクシク泣く。それは哀れであるし、父から見れば気の毒でもあつた。この句は形が奇異なため当時の新興俳壇でよくサンプルに使はれた」とある。が、自註がそのまま事実であり、句の解釈はそれで終りでないことは、鑑賞において常識的なことである。
三鬼は大正十四年、日本歯科医専卒業後、上原重子と結婚し、昭和四年長男太郎が誕生した。昭和十年というと太郎は六歳前後であるから、自分の子の句とは考え難い。他人の子供に接し誘発された句と推測も出来るし、また幼少のころは虚弱体質であった三鬼の自画像とみると、三鬼への同情も湧いてくる。
算数と限らず、宿題を怠り夏休みの終り頃になってやっと始めた勉強に後悔し、また自己の情けなさ、親や兄弟に叱られた苦い少年時代を思い出した読者も多いのではなかろうか。やはり俳句の手品師とか魔術師とか言われた三鬼のユーモアをもった自嘲句であるとみたい。最後の「夏」と季語をもってきたことも、従来の季語重視の形式と異なり、破調がむしろ斬新さもたらし注目をひいた。この「夏」の季語は動かず強烈でもある。
ちなみに少年を題材にした句に<梅を噛む少年の耳透きとほる><手の蛍にほひ少年ねむる昼><夏痩せて少年魚をのみゑがく><夏暁の子供よ土に馬を描き>などがある。
昭和八年に既知の医師に俳句を勧められどっぷりと俳句漬けになった三鬼は、翌年には同人詩『走馬燈』に加入、新興俳句に共鳴し、活躍の場を見出す。更に『旗艦』、『京大俳句』等に同人参加し交友関係を広げてゆく。その結果俳句にも視界が広がり、初期の句から脱出し社会性を帯びてゆくことになる。
俳誌「鴎座」2015年11月号より転載