透水の 『俳句ワールド』

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季語散歩・東風(こち) 高橋透水

2022年02月16日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 のうれんに東風吹くいせの出店哉  蕪村

 東風といえば菅原道真の〈東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな〉を思い起こすが、春に吹く東の風のこと。一般に春を知らせる風あるが、春の東風から夏の南風へ、秋の西風から冬の北風へ、風の向きは時計回りに季節とともに変わる。
 道真の歌以来、東風は「春を告げる風」「凍てを解く風」「梅の花を咲かせる風」という感じが固定され、春の季語ともなった。
 この言葉はもともと瀬戸内海沿岸を主として各地で用いられる海上生活者の言葉で、生活に密着した言葉だったが、やがて本意を離れ雅語へと変化がみられるようになった。
  路あまたあり陋巷に東風低く 草田男
  噴水や東風の強さにたちなほり 汀女
  嘶きてはからだひからせ東風の馬 林火
 東風は時代と共に本来の季語の意から離れて季感だけの句、二物衝撃的な句も多くみられるようになった。
  夕東風のともしゆく灯のひとつづつ 夕爾
  嘶きてはからだひからせ東風の馬  林火 
 東風は色々な語と結び付けやすく、朝東風、夕東風、強東風、荒東風などの形で用いられる。

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清水ながるる―遊行柳  高橋透水

2022年02月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 田一枚植て立去る柳かな  芭蕉

『おくのほそ道』に関心があれば〈田一枚植て立去る柳かな〉の句を知らない人はないだろう。しかし芭蕉はこの地に立ち寄ったかは疑問である。立ち寄ったにしても田一枚植えるほどの時間をその場にいたのだろうか。
 一般に芭蕉は西行など先人の跡を追い、それらの歌枕を旅したのだが、『おくのほそ道』の文に西行のことは深く触れられていない。ここでも「清水ながるゝの柳…」とだけ紹介されているだけである。「植て立去る」ことから、じっくりと西行を偲ぶというより慌ただしささえ読み取れる。おそらく旅の出発前に「郡守戸部某」に勧めれたので、あたかも遊行柳の地に寄ったように認めたのだ。
 しかしたとえ遊行柳の地の句が虚構としても、文学として多くの研究と解釈がなされていて、句の重要性は認めざるをえない。それにしてもなぜ「田一枚」なのか。これは当時の神事であって田一枚だけ植えて祈りを捧げたからという説がある。
 もちろん、芭蕉が道中で田植え歌を聴き、田植えの風景に出会ったことは十分考えられる。執筆時、道中で眼にした早乙女たちの姿や田植え歌が耳に残っていたのだろうか。
 ではなぜ芭蕉はあこがれの歌枕「清水ながるゝの柳」の地を確認するくらいで通り過ぎたのか。一つは次の目的地の都合で時間的な余裕がなかった。二つ目として、最初から寄る予定になかった。西行の歩いた道は古東山道であり、芭蕉の通ったのは古奥州街道であるからだ。そもそも現代のわれわれの見る遊行柳の地は田んぼに囲まれているところにあり、清水流れる地形ではない。芭蕉の時代でも遊行柳の地は定かでなかった。芭蕉は『おくのほそ道』執筆時に、謡曲「遊行柳」などを頭に置き、脚色創作したものと思われる。
 さらに近年に、芭蕉の真筆と思われるものが見つかり、「田一枚植て」の句の下(張り紙してある下地の文字)から、「水せきて早苗たはぬる柳かな」という句が読み取られ話題になったことがある。紙で貼られた下の元句は、眼前の光景は水を堰き止め「早苗たはぬる」の農民の姿である。「たはむる」は早苗などを「束ねる」のことだろう。これらは早苗を束ねている情景で、田植えをする早乙女は登場しない。改案である〈田一枚植て立去る柳かな〉は考え抜いて作れ、その分後世に問題点をたくさん残したが、芭蕉の代表作のひとつあることは確かだ。

  俳誌『炎環』2022年1月号より転載
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