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>西東三鬼の一句鑑賞(六) 高橋透水

2016年01月03日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
寒燈の一つ一つよ国敗れ   三鬼 

 三鬼の戦後の俳句は〈国飢えたりわれも立ち見る冬の虹〉に始まるという。「昭和二十年の暮。独り移り住んでゐた神戸で作った。敗戦のため俳句を作り発表出来るようになったが、五年間俳句で物を言わなかった私は、舌がこはがつて当分はろれつが廻らなかった」と語り、「寒燈の」の句が並んでいる。
 終戦前後、三鬼は神戸にいた。神戸も幾度かの空襲で悲惨な目にあった街だ。焼け跡に急造したバラックだろうか。やっとのことで調達した食べ物の乏しい夕食を終え、寒い夜を迎えた。生活の匂いはすぐ消え寒さに耐える長い夜となった。
 やっと平和になったが、世の中は混乱のまま住む家もままならず年の暮れを迎えた。ガス水道はまだまだ十分でないが、電気の明かりだけは家々に灯った。それでも「寒燈」は平和の象徴として目に映った。「国敗れ」は敗戦したからこそ、空虚感のなかにも、希望ある明かりだったろう。
 昭和二十年というと、文学報告会は解散し、全国の政治思想犯は釈放され、また治安維持法、特高警察も廃止されている。二十一年には、〈降る雪の薄ら明かりに夜の旗〉〈中年や独語おどろく冬の坂〉などがあるが『続・神戸』によれば「新興俳句の断絶以後、私は新しい方向を発見せねばならなかつた。五年間の空白の時間は新興俳句への反省の時間でもあった。しかし、それは弾圧を是認するようなものではなく、防空壕の棚に置いてあつた俳句の古典と新興俳句の精神とのつながりを発見することであつた」と記している。
 一度は俳句から離れ、全く違う生活を考えた三鬼だったが、俳句に身を置く新たな活力が湧いてきた。二十一年、中国から帰還した平畑静塔と再会し、橋本多佳子を加えて、静塔、波止影夫らと奈良日吉館で「奈良句会」を持つようになった。社交的な三鬼は新たな俳句界を目指し俳友を結束してゆくが、二十二年には波郷、神田秀夫らと俳人の生活保障を重視した「現代俳句協会」を設立した。


  俳誌『鴎座』 2016年一月号より転載
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