透水の 『俳句ワールド』

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芭蕉の発句アラカルト(25) 高橋透水

2024年06月29日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
海くれて鴨のこゑほのかに白し  芭蕉

 この句の前書きに「尾張国熱田にまかりける頃人々師走の海見んとて船さしけるに」とある。貞享元年十二月十九日、熱田での作である。芭蕉はときに四十一歳。
 芭蕉一行は、船の上で海に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。暮れて暗くなる前の、薄明るい白々とした海。そんな海を眺めていたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージを詠っている。
 芭蕉は目で見、耳で聞いたものを心で感じる。視覚と聴覚の、まさに「ほのか」に混ざりあった感覚は旅で培ったものだ。現実の風景と綯い交ぜに、芭蕉の心の風景にそれが錯綜しあい夕暮れの風景の中に幻出したのだ。
 この句の眼目は、鴨の声をほのかに白いと感じる知覚だろう。すなわち、聴覚が視覚に転化されていることだ。鴨の姿が見えないが、鴨の声があたかも見える物のように暮れていく海上に浮かびあがらせる効果がある。見えない光景がみえ、聞こえないものが聞こえてくる。それを句にするのは芭蕉の得意とする手法だ。また芭蕉の作句方法に時を変え状況を変えて造り直すことが多いのも特色だ。
 が、詩人で評論家でもある清水哲男は「この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるけれど、芭蕉当人には、そうした明確な方法意識はなかったのではないかと思う」と述べている。またこの句の破調について、「あえて『五・五・七』と不安定な破調を採用したのではなかろうか。そう読んだほうが、余韻が残る。読者は芭蕉とともに、聞こえたのか聞こえなかったのかがわからない『白い意識』のまま、いつまでも夕闇につつまれた海を漂うことができる」との論述は卓見であるといってよい。
 つまり、語順を変えた〈海くれてほのかに白し鴨のこゑ〉と比較してみると、破調の効果がよくわかる。畳み込むことによって同じ鴨の声に不安感が醸し出される。「ほのかに白し」で暮れの海の神秘さもある。前回にとりあげた〈明けぼのや白魚しろきこと一寸〉とは対照的にイメージの拡がりを内在した一句となった。

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【COSMOS】俳句会・勉強会 「俳句の基本知識」

2024年06月19日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
COSMOS】俳句会・勉強会 「俳句の基本知識」
(ウイキペディアその他から参照させていただきました)
1.用語について
●写生の必要性
 俳句に「写生」という概念をもちこんだのは正岡子規です。子規は当時の月並俳諧――見立てや言葉の面白さだけの通俗的な俳諧(俳句)――を打破し、俳句の革新をめざした。そのときに注目した技法が、西洋絵画から学んだ絵画におけるスケッチ、すなわち写生です。
 目に映ったままを画面に写す、それによってそのものの存在感、生命観を表現できるのなら、俳句でもそれが方法として通用すると考えたのです。
★中原道夫のことば
 結社によっては「客観写生」を金科玉条のように掲げるところもある。しかし絵画の写生と異なり、言葉は「もの」に与えられたいわば名称であって実態を完全に表し得ない。
 子規の教えは方便であり、端的に短い俳句を読者に納得させるための手段であった。その結果、見えない――霊的なものを隅へおしやる結果になったといえる。「見えない」俳句というものは未だ不当な扱いを受けているのが現状である。
 この中原の言葉は現代の俳句に通ずる俳句手法である。水原秋櫻子に端を発した新興俳句は、やがて社会性俳句、前衛俳句などに展開される。
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●俳句に季語は必要か
季語には季節感・連想力・象徴力の3つを表現する力があり、俳句に深みを増す上で必要な要素。
俳句に季語が必要な理由は、季語には季節感・連想力・象徴力の3つを表現する力があり、俳句に深みを増す上で必要な要素だからです。また、季語を使うことによって、世界最短の文学とも称されるほど完成度が高いものだと言われています。しかし、厳密には絶対に季語が必要だと考える有季派と、季語よりも全体の文脈から溢れ出る季節感が重要だと考える季感派、あえて季語を使用しないことで古い伝統から放たれた新しい俳句ができると考える無季派があります。

●季重なり
一つの俳句の中に2つ以上の季語があることを「季重なり」と言います。
一般的には、季重なりは避けるのがよいとされています。初学者では季重なり部分で失敗が起こりやすいことから、このように言われます。
しかし季重なりの名句はたくさんあります。
一家に遊女もねたり萩と月(作者:松尾芭蕉)
目には青葉山ほととぎす初がつを(作者:山口素堂)
啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々(作者:水原秋桜子)
梅雨ながら且つ夏至ながら暮れてゆく(作者:相生垣瓜人)
四五人に月落ちかかるをどりかな(作者:与謝蕪村)
これらは季重なりが許される場合です。つまり主役がハッキリしているならOK!となるのです。
つまり俳句の中に明らかに「強い季語」と「弱い季語」があり、どちらが主役かハッキリしている場合は、季重なりでもOKです。このケースの場合は、季語同士がお互いを邪魔しません。(ただし初心者は避けた方がよいでしょう)

●「切れ字」
俳句の感動の中心を示し意味を切る言葉。「や」「かな」「なり」「けり」「よ」「ぞ」などが代表。俳句の切れ字の中でも特に使われる「切れ字」を一覧にしました。
動詞の命令形語尾 「せ」「れ」「へ」「け」
形容詞語尾 「し」
副詞「いかに」 「に」
助動詞と終助詞 「かな」「もがな」「じ」
「や」「らむ」「か」
「つ」「ず」「ぬ」
具体例で切れ字を考えてみよう
例1)
しずかさや 岩にしみいる 蝉の声
この俳句は「しずかさ」に切れ字「や」がついていますから、感動の中心は「しずかさ」になります。意味も切れていますから、初句切れとなります。
俳句の意味は「なんと静かなのだろう。蝉の声がまるで岩に染み入っていくようだ」という感じです。
作者:松尾芭蕉
季語:蝉 季節:夏
句切れ:初句切れ
例2)
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
この俳句は「鐘が鳴る」に切れ字「なり」がついていますから、感動の中心は「鐘が鳴る」になります。二句切れですね。
俳句の意味は「柿を食べていると、鐘の音が聞こえてきた!法隆寺の鐘の音だな」となります。
作者:正岡子規
季語:柿 季節:秋
句切れ:二句切れ
例3)
万緑の 中や吾子(あこ)の歯 はえ初(そ)むる
この俳句は「中」に切れ字「や」がついていますから、感動の中心は「(万緑の)中」ということになります。「中」だけに注目しても意味が分からないので、「万緑の中」ととらえるとよいでしょう。
句切れですが、二句の途中に「や」が入っていますね。これを「中間切れ」と言います。数は少ないですが知識としては知っておきましょう。
意味は「一面の緑の中で我が子に生え始めた白い歯が印象的だ」というような意味です。
作者:中村草田男
季語:万緑 季節:夏
句切れ:中間切れ
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◆俳句の句切れとは
短歌のときに、「5/7/5/7/7」の意味の切れ目を句切れというという話があります。31音ある短歌は短いとはいえ、その中に複数の意味のかたまりが入ることが多く、その切れ目を「句切れ」といいました。
俳句も同様で「5/7/5」の中で、意味の切れ目を「句切れ」と言い、「初句切れ」「二句切れ」「句切れなし」と言います。ただし、俳句の場合、稀に二句の途中に切れ目が入ることがあります。これを「中間切れ」といいます。
「初句切れ」「中間切れ」「二句切れ」「句切れなし」の4つがあると覚えましょう。
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◎まとめ
切れ字は、強く言い切ることで俳句に切れを生み、感動や余韻を読んだ人に与える効果があります。
基本的に、文章で言う読点「。」が入るところに切れ字があると覚えておくと見つけやすいでしょう。
現代俳句で主に使われる切れ字は「や」「かな」「けり」。
「や」は主に上の句に、「かな」「けり」は下の句によく使われます。

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2.■古典文法の問題点  助詞の留意点
「て」「して」 原因結果にならないように。
「も」 あれも是もでなく焦点を。
「が」は「の」に置き換えてみて推敲。
「す」の活用はサ行四段・サ行変格活用・助動詞下二段活用などの違いがある。
★(下記に参照欄あり)

●接続助詞「て」の『順接確定条件』用法
順接確定条件とは、自分の目の前にある事実を受けて、その事実から順接(予期される結果が現れることについて)の話を進める表現です。
『あるひとつの事実から、予想される(順当な)こたえが導き出されることについて述べたい場面』に使われる表現です。
文章の中では、接続助詞の「て」の直前に位置する内容が、事実に相当する部分になり、接続助詞「て」の直後に位置する内容が、予想される(順当な)結果を表す部分になります。

●再び切字について
俳句の切れ字は、句の中に切れを生み、余韻を与える言葉のことである。切れ字を用いて強く言い切ることにより、読者に余韻を与え、俳句の世界に引き込む効果が生まれる。俳句の中でよく見られる切れ字は、「や」「よ」「ぞ」「なり」「かな」「をり」などである。
◎切れ字「や」
「や」は作者が深く感動したり呼びかけたりする時に使い、上の句に用いられることが多い切れ字です。
◎切れ字「よ」
「よ」は終助詞(文の終わりに用いる助動詞)の場合は呼びかけの切れ字ですが、大抵は「〜だなぁ」と、詠嘆の意味で使用します。
◎切れ字「なり」
「なり」は、「〜だ・〜である」という、強い断定の意味がある切れ字です。
主に中の句で使われます。
◎切れ字「かな」
「かな」は詠嘆・感動を表す切れ字で、終助詞として文章の終わりに使用します。
◆切れ字「けり」の意味と活用
次に「けり」ですが、これも主に俳句の最後に使われ、断言するような強い調子を与えます。
また、過去を表すものでもあるので、過去のことを断定するような意味合いにもなります。例えば・・・
桐一葉日当りながら落ちにけり  虚子
という俳句があります。
これは、「秋に入ったばかりの明るい静けさの中を、桐の葉が一枚、日の光を受けながら落ちていった。」という秋の始まりをしみじみとよんでいる俳句です。
桐の葉が日に当たりながら落ちていったという事実に感動したことを強調するために、最後に「けり」という切れ字を使ったのです。

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■紛らわしい語法
●助動詞「き」について
一般に『過去』をあらわす助動詞には「き」、また『過去・詠嘆』の助動詞には「けり」がある。ここでは「き」をみてみよう。
★「き」の注意点
「き」は終止形、連体形、已然形のみに活用する。
  鰤が人よりうつくしかりき暮の町(終始形) 加藤楸邨
  白樺の花をあはれと見しがわする(連体形) 水原秋櫻子
  白藤や揺りやみしかばうすみどり(已然形) 芝不器男

★「き」はカ変動詞には特殊な接続をする。
  夜の客に手探りに葱引いて来し(終止形) 中村汀女
「引いて来し」は言い切りの形であるため、「し」は連体形ではなく、終始形をあらわす。
 このように変則が生じたのは、終止形を用いた場合「引いて来き」と「き」音が重なるので、それを理由による。
◆なおまた、「き」の連体形「し」と已然形「しか」は、サ変動詞には未然形に接続する。
 深峽や旗じるしせし鮎の宿(連体形) 山口誓子
「せし」の「し」は、サ変動詞「旗じるしす」の連体形でなく、未然形「旗じるしせ」に接続している。連用形に接続すると「旗じるししし」となる理由による。
【注】
「し」が接続する場合
過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続する場合に起こりがちな誤りは、サ行四段活用・サ行下二段活用・サ行変格活用の混同によって起こるものです。接続する活用の種類 どの活用形に接続するか 何という文字に接続するかによる。
 サ行四段活用    連用形に付く      し
 サ行下二段活用   連用形に付く      せ
 サ行変格活用    未然形に付く      せ
◎例
 (サ四) 散らす⇒散しし  こぼす⇒こぼしし
 (サ下二)任す⇒任せし   馳(は)す⇒馳せし
 (サ変) 念ず⇒念ぜし   減ず⇒減ぜし
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●「も」について
「も」は「は」と同じく、係助詞である。感動の声がその源であって、それが文中の体言などを取り立てて述語と結ぶ係助詞になったものだという。
 対象を主題として取り立て、明確に述べる「は」とは異なり、「も」は対象を対比的に、含みをもたせて述べるものである。
◇同類の存在を暗示
  塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店  芭蕉
  無月かな匂ひ袋も遺品にて  島ふで女
この句の〈匂ひ袋も〉の「も」は他にも遺品があることを示している。
 「も」の使用で注意しなければならない場合がある。「も」に寄り掛かりすぎないことである。例えば
  草の香も夏の果てとはなりにけり
  産土の銀杏黄葉も散りにけむ
  凍雲の影も動かぬ裾野かな
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●「す」の活用はサ行四段・サ行変格活用・助動詞下二段活用などの違い。
       未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
サ行四段活用  さ   し   す   す   せ   せ
サ行変格活用  せ   し   す   する  すれ  せよ
助動詞下二段  せ   せ   す   する  すれ  せよ
【注】
★奈良時代の尊敬の助動詞はサ行四段活用に準ず
★「為(な)す」と「為(す)」は、同じ意味であるが活用が違う。
 為(す)⇒ サ変、為(な)す ⇒ サ行四段活用である
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■季語・季題について■ 高橋透水

2024年06月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
■季語・季題について■(ウイキペディアその他を参考にしています)
季語は春夏秋冬の時候・天文・地理・生活・行事・食べ物・動物・植物という区分に加え、有名な人の命日である忌日に分類されます。
●季節を間違いやすい季語
例えば、「七夕」は現在では7月7日に行われるため夏の季語に感じますが、旧暦の7月7日は新暦では8月8日頃のため、ちょうど立秋をすぎて秋の季語に切り替わる時期です。
これは旧暦と新暦では1ヶ月の差が出るため、旧暦の季節の変わり目にあたる季語は注意が必要です!
★実は春の季語 ・雪崩なだれ ・淡雪あわゆき ・雪虫
★実は夏の季語 ・夜の秋 ・涼し ・卯月(うづき・陰暦4月の異称)
★実は秋の季語 ・七夕 ・盆休み ・夜食
★実は冬の季語 ・小春日和 ・青写真 ・木の葉
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●季語の種類
季語はその成り立ちによって三種類に分けることができる。まず一つは★「事実の季語」で、雪は主に冬に降るから冬、梅の花は春に咲くから春、という風に自然界の事実にしたがって決められているものである。次に★「指示の季語」があり、「春の雨」「夏の山」「秋風」というように、事物の上に季節を表す語がついて直接的に季節を示しているものである。最後に★「約束の季語」があり、これは実際には複数の季節を通して見られるものであっても、伝統的な美意識に基づく約束事として季節が決まっているものである。先述の「月」(秋)や「蛙」(春)、「虫」(秋)、「火事」(冬)といったものがその例である。
現代の歳時記においては一般に、四季+新年の五季ごとに季語の内容から「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」という分類がなされている。
●季語と季題
「季語」と「季題」は同義に用いられることもあるが、歴史的には「季題」は古来の中国の詩人が題を用いて詩を詠んだ伝統から、和歌、連歌という風に受け継がれていった、時代の美意識を担う代表的な「季節の題目」であり、連歌においては発句(はじめの五七五の句)において重要視されたものであるのに対して、「季語」はそれらを含んで付け句(発句以下に付けられる句)にまで広く採集された「季の詞」であり、発句の季題が喚起した詩情を具体化する役割を担うものであった。このため「季題」という言い方をする場合には「季語」よりもその語を重要視しているという感じもあるが、両者をはっきり区別する確定的な考え方があるわけではない。例えば山本健吉は『最新俳句歳時記』において、季語を「五箇の景物」から「和歌の季題」「連歌の季題」「俳諧の季題」「俳句の季題」「季語」の六種類の層に分け、「五箇の景物」を頂点とするピラミッド型の分類を試みているが、しかし山本自身これらすべてを包括して「季語」という言い方もしていた。山下一海は、季語、季題の違いは使い方の違いであるため、あるひとつの語を季語か季題かというふうに分類はできないとしている。
いずれにしても「季題」「季語」という言い方は近代に作られたものであり、「季題」は1903年に新声会の森無黄が、「季語」は1908年に大須賀乙字がそれぞれはじめて用いたという]。
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●季節のずれと難解季語
なぜ間違えやすい季語があるのか
間違えやすい俳句の季語【春編】
(1)薄氷
氷とあるので間違いやすいですが、冬ではなく春の季語です。「春氷」と詠まれることもあります。暖かくなってきて氷が溶けた水辺に、寒さが戻って再び氷が張る現象のこと。
(2)雪崩
積雪期である冬の季語ではなく、暖かさで緩んだ積雪が一気に崩れ落ちやすい2月や3月頃がイメージされるため、春の季語です。「雪なだれ」など似たような季語も春の季語になるので、雪という漢字でも気をつけましょう。
(3)バレンタイン
2月14日は旧暦では春の日にちですが、私たちが感じる季節感としてはまだまだ冬の最中でしょう。「バレンタインの日」「バレンタインデー」なども使われます。
(4)潮干狩
潮干狩は夏ではなく春の季語です。潮干狩ができるのは4月下旬から7月頃までで、浮かぶイメージとしてはゴールデンウィーク頃に家族連れで貝を捕っている光景でしょう。潮の満ち干きの差が激しくなるのが旧暦の3月のため、春の季語になっています。
(5)逃げ水
暑い日に良く見る、道の先に水溜まりがあるように見える現象で、蜃気楼の一種と言われています。現代では夏によく見るため夏の季語と間違いやすいですが、春の季語です。古来より武蔵野の逃げ水が有名です。
◎間違えやすい俳句の季語【夏編】
(1)タケノコ
旬が3月から5月のため春の季語と間違いやすいですが、夏の季語です。類似例として「筍飯」も夏の季語です。現代では春の味覚ですが、旧暦の4月や5月は夏になるため季語も夏に分類されます。
(2)初鰹
初鰹は3月から5月に北上してくる鰹で、「目には青葉 山ホトトギス 初鰹」の句で有名な夏の季語です。時期的に春から初夏の味覚なので春の季語と勘違いしやすいですが、先述の俳句を覚えていると間違えないかもしれません。
(3)五月雨
漢字から5月に降る雨と間違いやすい夏の季語です。旧暦の5月、新暦だと6月に降る雨なので、今で言う梅雨のことです。読み方は「さみだれ」ですが、「さつきあめ」と読ませる俳句もあります。
(4)涼し
涼しいという印象から秋の季語と間違いやすいですが、夏の季語です。「涼風」や「夕涼」も同じく秋の季語になります。夏の暑さの中で感じる涼しさを詠むのが特徴です。秋の涼しさについては「新涼」という季語を使います。
(5)麦の秋
秋とついているので間違いやすいですが、秋ではなく夏の季語です。麦の収穫は5月頃なので、夏であっても麦が熟す秋と表現しています。「麦秋」「麦の秋風」といった季語で使われることもあります。
◎間違えやすい俳句の季語【秋編】
(1)七夕
七夕といえば7月7日ですが、旧暦では秋である8月上旬にあたるため、夏ではなく秋の季語になります。七夕を連想させる「天の川」や「星祭」「鵲の橋」も同じように秋の季語。
(2)盆踊り
お盆は8月15日前後で現代の感覚では夏真っ盛りですが、秋の季語です。「盆休み」「盂蘭盆会」など、夏の季語と間違いやすいですが旧暦では秋にあたります。
(3)スイカ
スイカといえば夏の代名詞ですが、秋の季語です。今のスイカの旬は6月から7月頃なのに対して、昔のスイカの旬は8月頃で旧暦では秋だったために間違いやすい季語になりました。ただし、「冷し西瓜」など「冷やす」意味があるものは夏の季語に分類されます。
(4)トウモロコシ
トウモロコシもまた旬が7月から8月のため、夏の野菜にも関わらず間違いやすい秋の季語です。なお「トウモロコシの花」と詠むと夏の季語になるため、どちらを指しているのかで季節が変わってきます。
(5)枝豆
ビールによく合うおつまみとして定番の枝豆ですが、旬が7月から8月のため季語としては夏ではなく秋の季語になります。名月に供えたことから「月見豆」とも詠まれ、こちらも秋の季語です。
◎間違えやすい俳句の季語【冬編】
(1) 「神無月」の語源は不詳である。有力な説として、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というものがあり、日本国語大辞典もこの説を採っている10月の異称です。現代の季節感ではまだ秋ですが、旧暦では冬の始まりの月になります。神々が出雲の国へと集い神社を留守にするため、「神の留守」という同じく10月を表す季語も存在します。
(2)七五三
11月は冬ではないけれど秋も終わりという感覚ですが、七五三は11月15日に行われるため、旧暦では冬の季語です。「千歳飴」「七五三祝(しめいわい)」なども同じ意味の季語として扱われます。
(3)落ち葉
「紅葉」が秋の季語である一方で、木の葉が落ちる「落ち葉」は冬の季語になります。地域によって変わってきますが、落葉の時期はだいたい11月なので秋か冬か迷うでしょう。紅葉と混同しないように注意が必要です。
(4)小春日和
春が近づいて来ている暖かい日に使いがちですが、「小春」とは旧暦の10月の異称です。春が近づいた暖かい日のことではなく、まだ冬になりきらない秋の暖かさのことを指します。新暦では11月のことを指しますので、晩冬の俳句に間違って使わないように注意!
(5)三寒四温
三寒四温は良く天気予報などでも聞く言葉ですが、春が近づいている2月頃に使用される季語です。春の季語と間違いやすいですが、あくまで冬の時期の気象現象なので、俳句として詠む時は気をつけましょう。
◎最後に
旧暦と新暦で間違いやすい季語を、春夏秋冬でそれぞれ5つ挙げていきました。
どれも旧暦の季節の変わり目だったり、漢字から違う季節が想定されたり、現代の旬の季節とはズレていたりするものです。
どちらの季語だったか迷う時は、旧暦では何月にあたるか考えてみると間違えにくくなるのではないでしょうか。
◆(参考)紛らわし季語
凧・いかのぼり  春
雲海・御来光  夏   涼し   夏
朝顔  秋
三寒四温  冬
◆月は一般に秋の季語ですが、
月朧  春
月涼し  夏
月冴ゆ  冬
●無月は曇ったり降ったりして月が見えないこと。特に中秋の名月についていう。《季 秋》
●後の月(十三夜)とは、旧暦九月十三日。十五夜から一ケ月あとになるので、「後の月」と呼ばれる。
■(参考)雑節とは、二十四節気や五節句のほかに季節の移り変わりをより適確につかむために設けられた特別な暦日です。節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日など。農業や漁業などを行う時期を見極めるために成立したものだ。
◆たとえば八十八夜は、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。(春の季語)。
◆半夏生は、二十四節気の「夏至」をさらに3つに分けた七十二候の中の雑節の一つ。
◆土用土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。
俗には、夏の土用(立秋直前)を指すことが多く、夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。

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【COSMOS】俳句会  高橋透水

2024年06月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
●俳句2021年1月の俳句です。
己が影
寒夕焼ムンクの叫ぶ皇居かな
投身の海は渦巻き野水仙
マスクして目力強き女来る
独楽止まり「平和」の文字現れる
人日や墓石に移る己が影
熱燗やタマとペテンとオッパイと
巣篭りの句作の日々や春を待つ

【エッセイ】
●記憶は存在する
まだ文字の読めない幼児には、書物や
新聞紙は価値もなくおもちゃにもならな
い。少し文字が読めるようになっても書
物は紙に文字といわれる何か規則ありそ
うな記号がインクで印刷され並んでいる
だけだ。が、やがてその規則やコードか
らコンテクストを読み取り情報を得るこ
とができるようになる。なかにはフィク
ションもあればフィイクニュースもある。
こうした情報は果たして存在していると
考えてよいのか。哲学者のマルクス・ガ
ブリエルの考えによればそれら物語の事
物もバーチャルも存在することになる。
 俳句も文字となったものや音声に接す
ることで鑑賞者の頭脳や精神に刷り込ま
れ記憶として存在することになる。が、
時間と共に多くの記憶は消え去り、記憶
に残り存在できるのはやはりインパクトの
ある名句・秀句と言われるものだ。
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