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山頭火の一句鑑賞(十一)    高橋透水

2015年06月07日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
おちついて死ねさうな草枯るる

 昭和十四年作。山頭火の日記に、「一洵君に連れられて新居に移って来た」とある。新居とは山頭火の終焉の地となった松山の庵のことである。一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅の果て、ついに一草庵と名付けられた簡素なわび住いに体を横たえた。高橋一洵は山頭火にこの一草庵を世話した人であり、ここが山頭火にも満足のゆく庵となった。一洵と山頭火は早稲田大学の先輩後輩であることから、大山澄太が紹介したというが、とうとう落ち付いて放浪の魂を休められる地に辿りついた。
 日記には続いて、「新居は高台にありて閑静、山もよく砂もきよく水もうまく、ひともわるくないらしい、老漂泊者の私には分に過ぎたる栖家である」とある。
 ところが翌年の心境は、「わが庵は御幸山裾にうづくまり、お宮とお寺にいだかれてゐる。老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る、所詮私の道は愚をつらぬくより外にはありえない。 おちついて死ねさうな草萌ゆる  山頭火」
と心情に変化が見られる。二句の違いは下五の「草枯るる」と「草萌ゆる」であるが、山頭火の心理の変化を如実に表わしている。
 体の衰えは自覚し隠しきれないが、「死ねさうに」に「枯るる」は付き過ぎでもっともな印象を受ける。庵のわび住いながら、数ヶ月の落ちつきで生命の安定感を得たのだろうか。後の句の「草萌ゆる」には死を意識しながらも、まだまだという勢いがある。人間はそう簡単には死ねないのだ。「おちついて」というも決して達観ではない。所詮達観や諦念などという言葉は山頭火には相応しくない。芭蕉のように「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」心境でなく、「草枯るる」から「草萌ゆる」世界、さらに花一杯の草原で思い切り酒を嗜む生活を夢見ていたのではなかろうか。しかし、山頭火には現実の死が目前に迫っていた。

   俳誌『鷗座』2015年六月号より転載
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