のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

生き抜いて恥ずかしながらあの言葉

2016年11月04日 07時32分10秒 | その他

『恥ずかしながら 還って来ました』 この言葉が蘇った あの日・・・・・・

太平洋戦争も集結して 敗戦の荒廃からも立ち直り 日本は穏やかな日を送っていた

そんな中で 戦争終結も知らされず 28年間もジャングルで生活していた日本兵が居た

 

グアム島の守備隊 2万人の日本兵はアメリカの大軍の砲火を浴び玉砕した

わずかに生き残った兵はジャングルに逃げ込み 敵におびえながら地下壕を掘って暮らす

勿論 食べ物も無く自然の中の獣やネズミ 草木を食べ飢えを凌いだ

 

どんなにか辛い極限の生活だったか 仲間の兵も過酷な毎日の中で命を落としていく

ただ一人生き残った横井軍曹 ある日 川の魚を獲るため出たところを現地の方に発見された

昭和47年1月のことである 2月に故国の土を踏んだ この時の言葉がそれだった

 

 

『恥ずかしながら 還って来ました』 何という辛い言葉だったろうか

日本軍は捕虜となるな 生きて帰ろうとは思ってはならない 死してお国のためになれ 

この絶対的な言葉に 多くの無益の戦死者が出たことだろう

 

私の見たことも無い叔父も 硫黄島で玉砕した 虚しい戦死である

父母もそのことは私にも話したが あとは何一つ聴くことが無かった

おそらく心で泣いて 御国のために死んでいったと自身に言い聞かせていたのだろう

 

 

楽しみにしている木曜日 鹿児島の てんがらもんラジオ から意外な想い出を蘇らせた

ゲストの女性は 二川道子さん 多趣味な才能も持ち 世界を巡るような活動家でもある

娘婿さんの海外勤務のために孫の世話も含めて ウイーンやアイルランドも滞在した

 

これも含めて訪ねた外国は20か国 もちろん観光が主でイスラエルやインドにも行く

ペルー ギリシャ エーゲ海クルーズなど ちょっと羨ましいツアーの想い出も語る

ウイーンのベートーベンの墓の話などは 私は以前見た 辻井伸行が訪れた話とだぶる

 

 

放送の前日まで 大阪 名古屋 東北の10日間の旅をしていたと言う

名古屋での話が この横井庄一さんの奥様 美保子さんとの交流であった

横井さんは ふるさとの愛知へ帰ってから 奥様と結婚した

 

 

既に82歳で亡くなっているが 奥様は自宅を 横井庄一記念館にして 毎週日曜日開放している

この奥様と ゲストの二川さんが息が合い交流していたのが意外でもあった

はるか 日本を離れて戦場にあり 一人でも故郷へ帰られたことが私には嬉しい

 

横井さん 実は発見の時 殺される寸前だっと かなり昔 レポートがテレビで流された

発見した方は猟に出ていて遭遇 そばにいた義兄は怒りで銃口を向けた

彼の甥などは 生き残り日本兵に殺され いつか見つけたら射殺すると言っていたそうだ

 

それでも必死に止めた あなたも殺人者になってしまう この言葉で義兄は銃を下げた

村に連れて行っても まだ怒り 復讐心は消えない 彼の奥さんはカトリック信者でもある

あの日本兵が悪いのでは無い 全ては戦争が悪いのよ こう諭したそうである

 

 

観光の話題で白川郷に及んでいた 日本の農村の原風景でもあり人気の世界遺産でもある

私もこの合掌造りの民宿にも泊ったことがあるし 唯一の温泉ホテルにも宿泊した

添乗員としては 何度も季節を通じてご案内したし 2月にはライトアップも情緒がある

 

ただ ゲストさんたちも話していたが 茅葺屋根の家は殆ど何らかの店の営業をしている

伝統家屋保存の対象でもあり 勝手に改造も出来ないし 制限もある

お金もかかるから やむを得ないが 観光客としては ちょっと物足りないものがある

 

この屋根の修復が大変だ 何年かに一度 どこかの家で補修される

これは大変な人も必要で最近ではボランティアの手も借りるほどだ

昔は 村中で助け合い この組織を 結(ゆい)と呼んだ 伝統文化の良さである

 

萱は山の方で育てる 3mにもなる萱を 運ぶだけでも相当の労力である

こうした労力 資金 も課題で 茅葺がポツンポツンと消えて行き トタンや瓦屋根になる

住人からも聴いたが このことを観光客も含め理解してあげなくてはならない

 

 

二川さんは 民謡・おはらの会にも所属して ディサービスや老人ホームにもボランティア

短歌などは 有名な会で特選 川柳も謳う 多趣味 多才な方でもある

私が感想を書くにしても 何を焦点にするか迷うほどでもあった

 

てんがらもんラジオは 私たち中高年目線で親しく聴けるし 双方向が好感でもある

リスナーの部屋では 私のブログも紹介される 

私は ひげ爺さんの子どもたちとの会話 すけつねさんの 奥様との日常が楽しい

 

てんがらもんラジオ 録画中継 視聴できます

http://www.ustream.tv/recorded/92587913

 

 

 

      最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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ついに私の忍耐限界に来た 絶対切ってやる!

2016年07月25日 08時25分50秒 | その他

今まで いつかはと期待して わずかな望みで付き合って来たが 遂に限界が来た

どうでもいいや お前に夢を抱くことが虚しいと悟ったのである

絶対切ってやる! 少し可哀想な気もしたが 私は切り刻んだ

 

6.7年は育ててきただろうか 何の変哲もない 花も咲かないドラゴンフルーツ

成長力は逞しく 次から次と枝を出して 放っておけばベランダの屋根まで届く

そして気根らしいものがいっぱい出て ベランダの壁に貼りついている

 

この花が咲けば 月下美人と同じように素晴らしい 勿論 果肉も美味しいはずだ

伸びれば切る 可愛くなくても いつかは変身すると 一縷の望みを掛けてきた

ベランダの奥にトグロを巻いて あちこち腕を拡げるモンスター 遂に見限った

 

 

大幅にカットした 無駄な枝もカットした サボテンと同じ みんな重い

ビニール袋にいっぱいになった これでベランダはすっきりした

私の頭のようになった まだ本家は残しておく これが精一杯の私の気持ちだ

 

 

金魚の水槽を掃除した 放っておくと ミズゴケがガラスに張り付く

これが こすってもなかなか取れず 水も濁ってしまう

部屋は掃除せず 洗濯物もためるが 私は死にはしない

 

しかし 金魚は 餌をあげること きれいな住まいが必要なのだ

ベランダの手入れ 水遣りもしないと すぐ萎える 中には枯れてしまう

我が家の生活では 金魚 ベランダの花 そして 私の順番である

 

 

今日は近くの介護施設へ音楽訪問だ

スタッフの方が 丁寧な応対で 皆さんの楽しみを表わしている

そして 明日は年に一度の 有料介護付き老人ホームへ行く

 

 

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近いうちに千葉県沖巨大地震と言われても 

2016年07月23日 08時16分05秒 | その他

あの熊本大地震を予測された専門家の東海大学・長尾年恭教授が こう断言する

熊本の時と 同じ条件が千葉県沖に揃っていて もういつ起きても不思議ではないと言う

それも 周期的に見ても長くて3.4年のうち 東日本大震災の影響でこれは早まるだろう

 

熊本と同じ条件が 現在 千葉県沖に起きている これから数か月内でもと言う

下は 熊本の解析図である

 

やみくもに不安を掻き立てたりしないが 実態は知っておいても良いことだ

科学的に実証されて 警告することについては この分野では必要なことである

政治家はこの対策を急ぎ 個人はそれに備えて置かねばならない

 

 

では東京大地震からどこかへ逃れるか しかし 日本中 地震の危険地帯だ

東京の下町 ここに同程度の大地震が発生したら まず大半が水没する

私の住む街も 水面下2メートルになるところが多い 海抜マイナスの数字が表示されている

 

 

江東区発行のハザードマップを見ても 隣接の江戸川区 墨田区 もかなり水面下だ

東京湾や各河川の堤防が 安全であるとは言い切れないし 決壊する程度は高い

古い橋も多く耐震補強をしているが それも落ちて避難場所にはまず行けない

 

 

津波が起きたら 海抜マイナス地域が多い下町は 更にこれまでの比では無い

住宅密集地域 木造住宅地域 私の様な古いマンションの倒壊 火災 道路封鎖がある

悪戯に危機感を煽ってはいけないと 公的機関の災害犠牲者予測は 控えめに発表している

 

誰かが守ってくれる そんなことは無い 治水対策 安全対策は長期にわたって築くもの

自分のいのちは自分で守る これが一番である

いざとなった時 どうするか 常に意識の底には忘れてはならない

 

これを踏まえて 実際 生き残れるかどうかが まず 課題だ

そして かろうじて いのちが助けられたら 生き残る術を今から備えることが大切であろう

私個人は 生き残れない確率が高いだろうから 既に意識をしているのみだ

 

 

大体 この歳まで健康で生きて来られただけで幸せなものだ

不安なんて無いと言えばウソだが 少なくともそんなに考えていない

それより今を 今日を 精一杯生きる方が気楽であり 笑顔が生まれる

 

 

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男は時に子どもとなる

2016年07月19日 08時23分35秒 | その他

男は失った恋は いつまでも尾を引く 女性は落ち込むがすぐ新しい恋に生きる

これは 何かの本で読んだ覚えがある

男は 本質的にロマンチストなのだろうか

 

趣味の世界でも 好きなことがあると 眼を輝かしてのめり込む

それは 子どもの様でもある

DASH島の無人島生活なども 子どもの冒険心を満たすようで 微笑ましい

 

 

鉄道に乗ったり 写真を撮ったりして 知識を豊富に養っているのも 圧倒的に男性だ

動いている列車の最前部に乗って 景色やレールなどを見て 運転士気分になる

ああ この列車に乗れた この路線に初めて乗るわくわく感も 子どもの様である

 

 

一昨日 私は東武鉄道が運営する 東武博物館に行った

東武線の電車が展示してあったり ジオラマがあったり 歴史を知ることが出来る

子どもたちも シュミレータ~で運転して見たり 展示の電車内に乗って楽しそうだ

 

 

付き添っている大人たちさえ 一緒になって楽しんでいる

時には 子ども目線と同じになって わくわくする世界に入っているのだろう

私も同じ 今は旅も殆ど出来ず こうしたものでも夢の続きに居る

 

 

小学校の時に 朝は納豆売り 学校が終わると 北千住の大踏切で電車を見続けた

常磐線も走っているが まさしく私の見ていたのは 東武線である

浅草行き 日光 宇都宮 大間々 館林など その行き先を見て夢を見た

 

 

中学校も 東武線の線路際にあった

悪戯をして廊下に立たされると そこから良く電車が見え ちっとも辛くない

時には買い出し電車の手入れがあり 窓から証拠になる荷物をみんな放り出していた

 

たまには煙突の長い蒸気機関車が 貨物車をけん引していたこともある

不思議に 中学を出てすぐ定時制高校に入学したが この時の勤務先が線路わきにあった

同じく東武線だ 町工場でプレスをしていたが 指に機械を刺してしまった

 

当時 プレス工場で指が無いのが職人の象徴だと言われていたものである

それでは危ないと先輩が自分の町工場へ誘った

そこも 東武線ではないが 総武線の線路際である

 

 

町工場では結婚生活には苦しく 大企業へ転職した

ここには電車気は走っていないが 越中島貨物線があり ディーゼル機関車が見える

そして現在のマンションからも 玄関側から総武線が見えるのである

 

 

昔の路線図 山手線は丸くなっていない

上野 万世橋(今の秋葉原近く)呉服橋(今の東京駅近く) 両国橋(今の両国)が始終点

東武線は 亀戸゜線が本線で両国橋まで乗り入れていた

 

この図の浅草は 現在のスカイツリー駅 一度は廃線になり やがて復活 業平橋駅となる

その後 隅田川を渡って松屋デパートに浅草駅が出来ると 隅田公園駅ともなった

現在の亀戸線は支線となり JR乗り入れは中止になった

 

 

亀戸線は短い区間だが 現在無い駅が幾つかあるが注意して見るがその面影が見えない

こうして古い地図を見ると 鉄道の変遷や歴史を知ることが出来る

私は バックトゥザ・フィーチャーになって 子どもの時代までさかのぼる

 

 

曳船ー業平橋間に 請地と言う駅がある

曳船ー亀戸間には十間橋通 平井街道 北十間駅がある

現在は無い駅 どこにあったんだろうと以前探したが 何もそれらしいものが無かった

 

 

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和傘が燃えて火柱となる鹿児島の奇祭 曽我どんの傘焼き

2016年06月29日 06時00分00秒 | その他

中心に竹竿を組んで その周りには何と鮮やかな色とりどりの和傘が積まれる

ふんどし姿の若者たちが 曽我兄弟の歌を歌いながら廻る やがて火を放つ

夜空に赤々と燃えて行く和傘 薩摩藩の伝統行事が ここに厳かに繰り広げられる

 

各地に火祭りがあるが 火は人間が怖れと神の様な厳かな信仰に似たものを感じる

原始から火を怖れ 火を尊び やがて祭りや行事として土地に根付いて行った

日本の文化は古い時代から京都が中心であり それが各地で変化して土着する

 

 

例えば 北前船の寄港地は文化も変化を伝えて行くのだ

火への厳かな怖れは 京都のあだしの(化野)から 能登半島では キリコとなる

秋田では 竿灯の祭りとなり 青森では ねぶたの祭りとなる いずれも火が主役だ

 

曽我兄弟の仇打ち像は当初 河津駅前にあった 今は八幡神社に建つ

 

鹿児島の 曽我どんの傘焼きも 火の持つ信仰に似た怖れも秘められているだろう

では何故 曽我どんなのか 曽我兄弟の仇打ちは有名であるが 伊豆が舞台である

当時で言えば 領地争いの延長だが 親の仇を10数年を経て討ち果たすのである

 

実は江戸時代には 各藩で 子どもや若者に対する教育を行った居た

薩摩藩では 「郷中教育」 という独特の制度が有った

 

そこでは、子供達を「稚児(チゴ)」「二才(ニセ)」「兄(アニョ)」と分け

年下の者は年上の者に従い、年上の者は年下の者に教育をし

武士としての教養、人徳、武芸などを学び人間性を磨いた

そこで主に、教えたものは、1.「主君に対する忠」 2.「親に対する孝」


3.尚武(武術・武事により徳を尊ぶ) で、あった

 

教育の題材としての 曽我兄弟の仇打ちは より良いものである

そして その仇打ちの際 持っていた傘を燃やして道を照らした故事に学ぶ

これが 曽我どんの傘焼きとして行われ 伝統の行事となった

 

 

しかし 時代が進むと和傘は 姿を消していき 洋傘が現代も主流である

祭りも従って消えて行った これを復活しようとする動きが地元で高まる

和傘を個人で集めても足りない この話を岐阜の和傘の組合が聴いた

 

かって 江戸時代には 薩摩藩には木曽三川の改修工事で地域が助けられた

かなりの犠牲者と費用を要しながら 困っている人たちを助けることが薩摩の男だ

藩では幕府と一線を交えてもという声もあるが 家老が説き伏せて陣頭に立つ

 

 

岐阜 養老町にある慰霊碑と薩摩藩家老の像

 

参勤交代も同じであるが 地方の藩が栄えないようにするのが幕府の狙いでもある

こうして木曽川流域の住民は水害から護られた その恩義を現代でも忘れていない

和傘が提供され 傘焼きも復活した 全国にも和傘の提供を呼び掛けている

 

 

祭りは 剣舞から始まる 示現流にのっとって演舞がある

次には ふんどし姿の若者たちが 曽我兄弟の歌を勇壮に歌いながら廻る

そして 火が放たれる 暑い夏の風物詩 今年は7月30日の土曜日に行われる

 

http://www.ustream.tv/recorded/88715939

てんがらもんラジオ 

 

動画はこちらからも見られます ユーチューブ

https://youtu.be/QCS8jZDCW0c

 

何度か紹介している てんがらもんラジオ 今回のゲストは この祭りの中心人物

知っていて知らない方もいそうな祭りの背景なども 生き生きと語っていた

もし 時間があったら聴いて下さい 先週木曜日の放送である「毎週木曜10時から」

 

④ 第七 曽我兄弟
一、富士の裾野の  夜はふけて、
  うたげのどよみ 静まりぬ。
  屋形屋形の   灯は消えて、
  あやめも分かぬ さつきやみ。
二、「来れ、時致(ときむね)、今宵こそ、
  十八年の    うらみをば。」
  「いでや兄上、 今宵こそ、
  ただ一撃に   敵(かたき)をば。」
三、共に松明(たいまつ) ふりかざし、
  目ざす屋形に  うち入れば、
  かたき工藤は  酔(ゑ)ひ臥して、
  前後も知らぬ  高 鼾(いびき)。
四、「起きよ、祐経(すけつね)、父の仇(あだ)、
  十郎五郎、   見参。」と、
  枕を蹴つて   おどろかし、
  起きんとするを はたと斬る。
五、仇は報いぬ、  今はとて、
  「出合へ出合へ」と 呼ばはれば、
  折しも小雨   降りいでて、
  空にも名のる  ほととぎす。

 

なお 写真は殆ど お借りしたものです

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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