武田鉄矢 母に捧げるバラード 贈る言葉 映画では 幸福の黄色いハンカチ テレビの金八先生と歌い 演じ トークが魅力がある
昨日 コンサートの録画映像がテレビに特集され ずっと魅入っていた 最近は 昭和は輝いていた で音楽を中心に特番が有り これも好きだ
売れない時期の話 以前にも聴いたが これぞ夫婦というエピソードが微笑ましい
貧しい時や夫婦の何れかが病気にあるとき その時こそ夫婦愛が深くなるかもしれない
互いが寄り添い 支え合い 感謝して生きる姿 私にはそんな機会が無いが こんな風に生きたいと胸を打つ
人生の前半は 母ありて 人の道を迷わず進む 人生の中間から最後までは 夫婦の愛で生きるのだ
武田鉄矢の少年時代から 上京しての青年時代 彼の母は 独特の教え方 あり方を説く
こら 鉄矢 なんばしとっと~ なんば考えとるんか~など 方言で怒ったり諭す 彼の母は武田の末裔の血筋 今なら 武士の娘てすぞ~
東京でのバンドコンサート 開催しても お客が3人しかない時が有った それでも メンバーは 懸命に演奏した
通常 バンドとしてメンバー紹介がある ギター〇〇 ドラム〇〇と3人が終わり 次はあなたで~す とお客様に振る
客も喜んで自己紹介する 併せて6名のコンサートであった
彼の母曰く お前は何考えとるばい お前の眼はどこを見とるんか 空席を見るのじゃないぞ お客ば見るんじや そしたら満席じゃが~
7千人も入って居たのに 9千人の満席になって居ないからと 突然 出演をすっぽかして帰ってしまったバカな歌手もいた
私も 雨や雪のとき 一人でも会場に見える方が居たら感謝して応えようと常に思う これがエンターティメントである
後に 母の教えに感謝しながら 海援隊として 母に捧げるバラード を発表して NHK紅白歌合戦にも出場した
しかし その後は全く売れず 仕事も無く 翌年の大晦日 知り合いのマスターから店の皿洗いを依頼された
見かねて仕事を与えたようなものである 4千円出すと言う 何も知らない客は 紅白歌手が皿洗いかい?と冷やかしたりしたものである
そんな皿洗いの仕事 彼の妻は当時23歳 妊娠5か月の身重だったが 私も手伝うと言い出して一緒にバイトをした
マスターは 少しでも役に立てばと 二人だからと6千円を渡してくれた
この給料を懐に有難く入れ外に出た 元日の空はようやく明るさを拡げはじめていた
周りは 明治神宮へ初もうでの列が長々と続く 二人は寒くて肩を寄せあって 恵比寿のアパートへ向かう
アパートの手前には 長い坂がある 突然 妻が立ち止った
えっ どうした? と聞けば 妻は ちょっと待って この景色を ずっと目の奥に焼き付けておくのよ
ここはね 貧乏のどん底 これ以上落ちることは無いから・・・そして 絶対 ここには もう来ないから・・・
てんがらもんラジオ 石神紅雀師匠の主宰 川柳同人誌つばさの裏拍子に風船の写真が載った
プレパト流に この写真から それぞれの方が発想を飛ばして 川柳を作るお題である
今月 孫娘の結婚式に放たれたバルーンの写真だ 正月にふさわしい希望のお題となった
下町のうたごえ バンド コーヒーブレイク生伴奏 in 本所地域プラザ
のびたがリーダーのバンド 40年以上続けています 私はキーボードとトーク
YouTube 君恋し
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