先日の女性映画監督 松井久子さんは講演の最後をこうまとめた
人生は一度きりだから 精一杯その時を生きて行きたい
死ぬ時に 私の人生は不幸だったと思うより 輝いて生きていこう
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彼女の現在の肩書きは 女性映画監督である
これまで3本の映画を完成させて その評価は国の内外から高い
いずれも一人の女性にスポットを当て 女性の目で撮り注目された
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前半は大学時代からの仕事の変遷 後半は映画に掛ける情熱だった
しかし貫く想いは 自分らしく輝いて生きたいという強い意思である
90分の講義が熱く語られ 生きる素晴らしさと輝く女性を見た
今朝 我が家のベランダの朝顔
生まれは江東区深川 高校は私の家からも近い江戸川区の小松川高校
早稲田大学は自分の好きな道 演劇部に籍を置いた
時勢は全共闘時代 どこの学生も反体制の運動に駆り立てられていた
当時の女性像は 何処かの会社に勤め三高の条件の男性と巡り合う
やがて子供を設け 家庭に入り 良い母 良い妻の良妻賢母型だった
しかし 彼女は 組織人として会社に勤めることには抵抗があった
自分らしく生きたい こんな想いが現在までの生き方だろう
やがてアルバイトでしていた フリーライターになって行った
雑誌のインタビューやルポ これによって社会に眼が向くようになる
こんな中で芸術志向の男性と結婚 男の子を授かる
だが経済的には楽でなく 必死に仕事に取り組み家計を支えてきた
数年ののち この男性とは性分も合わず 離婚へと至った
子供を育てながらではあるが 仕事は着実に実を付けて行った
仕事を通じて 水谷豊 三浦友和 中村雅俊等とも交流ができた
あるとき劇団四季の 荻島真一さんのマネージャーを依頼を受ける
ライターの仕事で10年 30代になり転進していくのである
マネージャーは意義ある仕事で その人を如何に活かしていくか
スケジュール調整だけでない展望を持って業界の調整にも徹底する
この仕事を約10年勤め 次はプロダクション設立に向かう
常にチャレンジする自分が好き これが更なる意欲を駆り立てる
それまでは外側から マネージャーの仕事をこなしてきた
今度は内側から 自分が中心になって 外へ向かうのである
ドラマを作りたい 男性の目でしか見られなかったものに挑戦である
2時間ドラマのストーリーを描き テレビ各局に売り歩き採用された
高橋慶子 酒井和歌子らと共に2時間ドラマやサスペンスも制作する
こうして女性の発想でテーマを企画して 次々と売れて放映された
多分 私たちも この方のドラマは見ているに違いない
昨日咲いたタイタンピカス
39歳 次に目指したものは ドラマの制作会社であった
自分のしたい仕事は何か 自分の生き方に目覚めたのである
安直な仕事はしたくない この姿勢はかなり困難でもあった
テレビ局は現在でもそうだが 予算はかなり圧縮し良いものを作れない
安易に若い層にも受けるように バラエティなどに移行していった
生き残っているのは火曜サスペンスとか 土曜ワイド劇場など少ない
テレビは視聴率第一主義 言って見れば一夜の花火である
不確かなもので 一喜一憂し これに方向が左右される
生き残りの方向はあるが こんなプロデューサーになりたくはない
サスペンスや最近のドラマは 安易に殺人などが繰り広げられる
そこには家族の姿 かつての日本の家庭などは描かれていない
やがて これが50歳にして映画を作ろうという意思に向かうのである
ここまでが講演の前半部分になろう
後半は映画を作る熱い想いと その時代の女性の生き方に光を当てている
自分らしく 輝いて生きる 私たちも自分の出来る範囲内で輝いていたい
今日は 亀戸にある介護施設 ディケアの方へ音楽訪問である
戦前 戦後の波乱を生き抜いてきた方たちの笑顔がある
歌で結ばれた絆 大切に繋いで行きたい
最後までお読みくださいまして有難うございました
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花言葉 不老不死 情愛