のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

本当は皆さん一人一人とゆっくり話したいのです

2016年06月30日 07時58分55秒 | うたごえ

始まる前や休憩時間に 多くの方の間を通り 挨拶して歩く

皆さん 楽しそうに私に話しかけ 笑顔が溢れる

先生 この うたごえの場があるから元気になれるの

 

先生と話して 元気を貰っているのよ 握手まで求める方が居る

お世辞では無いと思う 嬉しそうに言うのだ

顔色も一時 悪く感じた方も 今はつやも良く何より笑顔が素晴らしい

 

ただ その人だけと会話していられない 他の方も私と話をしたい方がいる

だから短い会話になる まだ話していたい雰囲気だが心でごめんねと言って離れる

こんなことを言われていると うたごえの中心に居ることが私も楽しいし感謝である

 

 

私の本音も同じである

こんな楽しそうに語ってくれる おひとりづつ ゆっくりと会話をしたいものだ

このホールでも良いし 喫茶店でも良いし どこか歩きながら話したいと常々思う

 

 

だが 講座の時も同じ 童謡唱歌うたう会を主宰してる時も どなたとも付き合わない

終われば まっすぐ家に帰ってしまう 

誰かと どこのグループと 親しくして居れば 好ましく思わない方も居る

 

  

 

みんなに等しく みんなに語りかけ 元気のない方には こちらから語りかける

これが長続きする所以でもあろう 併せると10数年にもなる

定年を過ぎてから ずっと何かしらのうたごえの活動を続けてきた

 

 

この下町のうたごえ も今月で6年を数え 7年目に入っている

昨日は 参加者 スタッフも入れると 122名も集まった 皆さんに支えられる

新しい方も毎回増える 会場定員は126名 マンモス講座だとセンターも驚く

 

終わってから入ったファミレス これが500円 美味しかったなぁ

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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和傘が燃えて火柱となる鹿児島の奇祭 曽我どんの傘焼き

2016年06月29日 06時00分00秒 | その他

中心に竹竿を組んで その周りには何と鮮やかな色とりどりの和傘が積まれる

ふんどし姿の若者たちが 曽我兄弟の歌を歌いながら廻る やがて火を放つ

夜空に赤々と燃えて行く和傘 薩摩藩の伝統行事が ここに厳かに繰り広げられる

 

各地に火祭りがあるが 火は人間が怖れと神の様な厳かな信仰に似たものを感じる

原始から火を怖れ 火を尊び やがて祭りや行事として土地に根付いて行った

日本の文化は古い時代から京都が中心であり それが各地で変化して土着する

 

 

例えば 北前船の寄港地は文化も変化を伝えて行くのだ

火への厳かな怖れは 京都のあだしの(化野)から 能登半島では キリコとなる

秋田では 竿灯の祭りとなり 青森では ねぶたの祭りとなる いずれも火が主役だ

 

曽我兄弟の仇打ち像は当初 河津駅前にあった 今は八幡神社に建つ

 

鹿児島の 曽我どんの傘焼きも 火の持つ信仰に似た怖れも秘められているだろう

では何故 曽我どんなのか 曽我兄弟の仇打ちは有名であるが 伊豆が舞台である

当時で言えば 領地争いの延長だが 親の仇を10数年を経て討ち果たすのである

 

実は江戸時代には 各藩で 子どもや若者に対する教育を行った居た

薩摩藩では 「郷中教育」 という独特の制度が有った

 

そこでは、子供達を「稚児(チゴ)」「二才(ニセ)」「兄(アニョ)」と分け

年下の者は年上の者に従い、年上の者は年下の者に教育をし

武士としての教養、人徳、武芸などを学び人間性を磨いた

そこで主に、教えたものは、1.「主君に対する忠」 2.「親に対する孝」


3.尚武(武術・武事により徳を尊ぶ) で、あった

 

教育の題材としての 曽我兄弟の仇打ちは より良いものである

そして その仇打ちの際 持っていた傘を燃やして道を照らした故事に学ぶ

これが 曽我どんの傘焼きとして行われ 伝統の行事となった

 

 

しかし 時代が進むと和傘は 姿を消していき 洋傘が現代も主流である

祭りも従って消えて行った これを復活しようとする動きが地元で高まる

和傘を個人で集めても足りない この話を岐阜の和傘の組合が聴いた

 

かって 江戸時代には 薩摩藩には木曽三川の改修工事で地域が助けられた

かなりの犠牲者と費用を要しながら 困っている人たちを助けることが薩摩の男だ

藩では幕府と一線を交えてもという声もあるが 家老が説き伏せて陣頭に立つ

 

 

岐阜 養老町にある慰霊碑と薩摩藩家老の像

 

参勤交代も同じであるが 地方の藩が栄えないようにするのが幕府の狙いでもある

こうして木曽川流域の住民は水害から護られた その恩義を現代でも忘れていない

和傘が提供され 傘焼きも復活した 全国にも和傘の提供を呼び掛けている

 

 

祭りは 剣舞から始まる 示現流にのっとって演舞がある

次には ふんどし姿の若者たちが 曽我兄弟の歌を勇壮に歌いながら廻る

そして 火が放たれる 暑い夏の風物詩 今年は7月30日の土曜日に行われる

 

http://www.ustream.tv/recorded/88715939

てんがらもんラジオ 

 

動画はこちらからも見られます ユーチューブ

https://youtu.be/QCS8jZDCW0c

 

何度か紹介している てんがらもんラジオ 今回のゲストは この祭りの中心人物

知っていて知らない方もいそうな祭りの背景なども 生き生きと語っていた

もし 時間があったら聴いて下さい 先週木曜日の放送である「毎週木曜10時から」

 

④ 第七 曽我兄弟
一、富士の裾野の  夜はふけて、
  うたげのどよみ 静まりぬ。
  屋形屋形の   灯は消えて、
  あやめも分かぬ さつきやみ。
二、「来れ、時致(ときむね)、今宵こそ、
  十八年の    うらみをば。」
  「いでや兄上、 今宵こそ、
  ただ一撃に   敵(かたき)をば。」
三、共に松明(たいまつ) ふりかざし、
  目ざす屋形に  うち入れば、
  かたき工藤は  酔(ゑ)ひ臥して、
  前後も知らぬ  高 鼾(いびき)。
四、「起きよ、祐経(すけつね)、父の仇(あだ)、
  十郎五郎、   見参。」と、
  枕を蹴つて   おどろかし、
  起きんとするを はたと斬る。
五、仇は報いぬ、  今はとて、
  「出合へ出合へ」と 呼ばはれば、
  折しも小雨   降りいでて、
  空にも名のる  ほととぎす。

 

なお 写真は殆ど お借りしたものです

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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男性はシャイなのか あるいは協調性にも欠ける人も居る

2016年06月28日 08時17分34秒 | ボランティア

男性は全ての活動にリーダーになったり 何にでも挑戦するバイタリティがある

社会の中でも 大きな役割を担っているし 生き生きとしている

だが 一たび会社など現役を離れると どうしても 人や社会に馴染めない

 

会社では役職が物を言い 誰でも従うし叱り飛ばすこともできる

ところが定年後は みんな平等 ともすると妻にも馴染めないケースがある

そう言う私でさえ 音楽の活動が無かったら その良い例かも知れないのだ

 

介護施設の実態の中にも そんな男性が見受けられる

断っておくが殆どでは無い その中に取り残されているような方が目立ってしまう

我がままを言ったり 時には暴力さえある 自分から殻を作ってしまうのだ

 

身体が不自由になると 余計に イライラが増してしまうしまうのだろう

分からないでもないが 何とか廻りに溶け込んで 笑顔を見せて欲しいと願う

そこへ行くと 女性は協調性がある 心情は別だが何とか社会に溶け込む

 

 

うたごえの時間に 昨日は比較的 男性の方が多かった

しかし 歌声はと言うと あまり聞こえて来ない 歌っていても遠慮勝ちである

どことなく歌うことに 照れ臭いのか恥ずかしいのか とかく シャイなのが男性だ

 

 

下町のうたごえでも圧倒的に女性が元気良く集まり素敵な笑顔と歌声を聴かせる

その他の野外活動でも 女性ばかりが目立って 男性の姿は少ない

カラオケとなると 男性はかなり多い 普段はスナックや居酒屋で歌っているのか

 

 

添乗員で 募集ツアーで行くと おひとり参加は他の方と同室が原則だ

おひとり専用のツアーもあるが 他の方と部屋で楽しく話し合っているのは女性

男性は親しくはなりにくく 話しも少ない 中には着いてすぐ喧嘩になったこともある

 

些細なもめごとで それぞれ部屋に落ち着いたであろう10分すぎくらいに私に相談

あいつとは絶対同じ部屋は嫌だ 添乗員の部屋に泊めてくれないかと無理を言う

団体で行くツアーは 殆ど空き部屋は無い フロントに問い合わせても無い

 

仕方なく 部屋を譲って 私は大広間を交渉して片隅に布団を敷いて貰う

ホテルの従業員が全て仕事を終えてだから それまでは館内でうろうろしている

夜中 大広間は気持ちが悪い 電気を付けて寝る こんなケースもたびたびあった

 

 

以前の会社では 私は自分の仕事を愛して 役員とはたびたび衝突した

それでも自分の信念を貫きとおしての人生 怖いものは無かった

次の仕事が添乗員 大いに生き方を学んだ うたごえの活動も同じくである

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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不思議!昨年の茄子が花を付け実が生った

2016年06月27日 07時44分03秒 | その他

今朝も良い天気 ベランダの戸は夜の間から開けていて気持ちが良い

眼の前に花や緑がある生活は 雑然とした和が部屋から見て 唯一の潤いである

そして テレビやパソコンの間に ふと眼を遣る楽しみがある

 

 

ひときわ目立つブーゲンビリアは 1か月ほど咲いて終わり 今は葉だけである

私の大好きな花で 秋から冬にかけては数カ月咲いてくれる 年に2度咲くのだ

もう行けるかどうか分からない東南アジアに いつも思い出と憧れをこの花に見る

 

 

替って咲きだした花は まつばぼたん 夏になると咲く そして 期間も長く咲いて眼に鮮やかだ

何年も年を越えて咲いてくれるのも嬉しい 同じような花は マツバギクである

こちらは 花やかに咲いてくれるけれど 1週間くらいで終わり あとは来年となるからあっけない

 

 

私が不思議だなぁと思うのが 茄子である

昨年 バラの鉢植えに一緒に苗を同居させた バラが守られるとどこかで聴いた

昨年は 花は咲けども 実は成らなかった それでも花は可愛らしい

 

30センチくらいになって 花が終わったから 土の上5センチくらいで切った

ちょっと根が残っているが バラを痛めそうで そのままにして居た

今年になって ここから新しく芽が出て 普通の苗のように大きくなる

 

茄子はバラ科? 多年草なの? 

しっかり花が咲いて しかも実を付けている ただ 美味しそうな色合いでは無い

それでもどれだけ育つか楽しみだ

 

 

不思議なのは ズッキーニ 2株買ってきて 鉢に植えた

一方は いっぱい花が咲く 早朝に咲き8時には閉じている 

しかし実にはならない それでも花が楽しめる

 

もう一つの鉢植えの方は すぐ枯れてしまった 何故なのだろう

イチゴも買ってくるが 何回も失敗している 鉢を変えても同じで 今年もまた枯れる

何故育たないのか キュウリも茄子もスイカもかぼちゃも いろいろ試すが ことごとく花が咲くくらいだ

 

 

老爺柿なんて何年もたつ 一向に実がならない

ドラゴンフルーツなどは6.7年 ただ伸びるだけでサボテンの様 正直可愛くない

あまり伸びるので 何時かは切ってしまおうと思うが もしかしたら実がなるかと なかなか切れない

 

 

ハイビスカス アジアの風なんて名前が付いている

大きくは無いが 今 つぼみになっている

ベランダは私の心を潤させる 小さな小さな楽園である

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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列車に乗って思い出の旅 未知の旅 感慨に耽る

2016年06月26日 09時37分48秒 | 旅行

ポッポの丘には 電車 気動車 ディーゼル車 寝台車まである

それぞれ 地方の線路を走りぬいて 解体されず ここに雄姿を見せているのだ

たまご農家のオーナーさんの気慨もあるが これだけの展示費用は如何ほどかと思う

 

国鉄時代 久留里線があった 貨物で最後の線路を走り トラックでここに運ばれた

 

銚子電鉄デハ701 銚子の先 短い路線で赤字経営を 地元が必死に支えている

お願いが書いてあった ここへ来るまでにも買い取りから運送費 設置費用がかかる

これからも さびないように塗装ぬり替えも どうしても必要なのだ

 

 

富山県高岡市内を走っていた 路面電車万葉線

地元の方たちが 通勤通学に利用していたのだろうか

高岡はお寺さんの鐘 全国から注文の来る生産地だ 高岡大仏も有名である

 

ここは庭先たまごの鶏卵牧場 放し飼いにして 自然の卵を生産する

本業はこれである 私も 少し買ってきて 家でも卵かけご飯にした

もちろん 列車内で たきごかけご飯を食べた 濃厚な味が素朴さとともにある

列車は いすみ鉄道古い車両 いすみ204号 昭和63年製

変わった車両に見えるが 千葉市内を走っている 懸垂型モノレール 昭和62年製

なんだか懐かしい光景 下の電車は銚子電鉄デハ701 昭和3年製

思い出ノートや 有名人のサインもある

これは子どもでなくても 運転士になった気分で見たいたものだ

貨物車両 昭和28年製 49年製

都心の御茶ノ水駅から瞬間見える地下鉄 丸の内線 454 昭和31年製

私たちには馴染みの地下鉄である

 

ブルートレイン 大阪から青森まで走っていた特急 日本海 24系客車 オロネ24-2

昔から夜行寝台は良く乗った 但し寝台は高いので 座席車がある急行や特急である

最後に乗ったのは 添乗員で案内した 特急 北斗星 もう運転はして居ない

 

東京近郊を走っていた電車は皆さんが見覚えあろう

昭和47年 53年製 となると 昭和の電車は もうどこも走って居ないのだろう

大山ケーブルカー 信仰の山として訪れる観光客で賑わう

2両目は北陸鉄道の古い電車 モハ3752 昭和26年製

高岡市内 万葉線の列車のそばに咲いていたカンナ

私の しばしの旅愁タイムは ここで終わった

あとは また ひたすら どこも寄らずに家へ帰った 7時間のドライブ旅である

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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