私にとって 新年は おめでとう と 喪中の 両方である
日本の風習としては 妹が亡くなったら 最低3カ月から1年喪に服すとある
ここが微妙である 新年は3か月は過ぎている どちらを取ろうか
いつまでも 哀しみに暮れては居られない
下町のうたごえ うたごえの講座 そして 介護施設が数か所 私を待っている
妹よ ごめんよ 忘れるわけではないが 笑顔と元気は私の真髄であるのだ
年賀はがきも 喪中はがきも出さなかった
これは寒中見舞いの挨拶を出そうと心に決めている
新しいカレンダーに 予定を半年先まで書き入れた
予定があることは幸せだ
待っている方が居るなんて こんな幸せは無い
その上に 健康は まだどこも心配することが一つも無いのだ
私は独り暮らし 普通なら 老けこんで 歩き方までしょぼしょぼしているだろう
ところが 私には 人生の友が居る この方たちに支えられて今の私が居る
健康である限り いつまでも一緒の時間を過ごしたい方たちばかりである
下町のうたごえ 私の好きなピアノと歌の時間 集まられる皆さんは素敵な笑顔と歌声である
講座のカチューシャも 来る3月をもって辞任することになっているが 活気ある女性たちだ
ボランティアも皆さんが待っているが 私の出来ることで喜んで貰えるなんて幸せなことだ
ブログの仲間たちも 私を支えてくれる
日記なんて 10数年前は書いても1カ月と持たないのが 私であった
ところが 書いて読んでコメントを交わして これが書くことへの意欲となっている
言わば 人生の友 これがすべてである そして 暮らしの友がいっぱい
やはり私を癒し 心を和ませてくれるのが 動くものでは 金魚である
部屋の掃除はまともにしない私でも 水槽はこまめにしないと死んでしまう
パソコンに向かって居る時 たまに眼を遣る
犬や猫には負けてしまうが 金魚だって生きている 時には眼で動きを追う
私と同棲するのは 女性ではなく この子たちである また2匹増やしてしまった
花は毎日 眺める 花や緑が無かったら 私の生活は何と無粋な味気ないものだろうか
ブーゲンビリアが 正月まで咲いてくれるなんて 嬉しい限りである かなり華やかである
葉ボタン 小さいけれど4本で90円の値下げ品 これだけでも正月気分が出る
おまけに すずめが毎日 何度もやってくる
餌が無くても少し遊んで行く 小鳥のえさを与えてあげた
時には 10羽くらいで チチチと賑やかにさえずり 喜んでいる
ああ人生の友よ 暮らしの友よ みんなに感謝の心で溢れながら 一年の区切りを迎える
皆さんと 違う人生の中で 歌う時 笑い合う時 パソコンの向こう側に居るブログの友
この時ばかりは同じ時間を共有しているのだ いつまでも いつまでも共に有りたい
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m