学生時代から無類の鉄道好き それも ただひたすら乗るだけで楽しかった
ついでに観光地を廻りまた列車に乗る 貧乏旅行は宿泊はなるべく夜行列車 泊るなら旅館の素泊まり
食べるものは 餡パン一袋 これを齧りながら乗る 当時は学生料金は子どもと同じ半額だった
国鉄料金は距離逓減性で遠くへ行くほど その距離に対する料金が安くなる仕組みだ
だから なるべく一筆書きに乗る どうしてもダブる区間はそこだけ往復で別に買うのだ
たとえば東京から北陸へ出て山陰廻り下関まで 山陽から東海道で東京から東京行の切符を買う
これで全線乗って 当時の料金で1000円だった 切符は途中下車の駅の印を押すので真っ黒になった
北海道と四国 九州は均一周遊券があり その地域に入れば急行も乗れた そこまでは鈍行で行く
東京から門司行きの各駅列車があった 14時ごろ東京発 門司は翌日24時頃である
蒸気機関車がだんだん消えて行く 時刻表を眺め それに合わせて時間調整もして乗る
添乗員になる前 以前の会社で良く地方の会議に出張があった 仕事が終われば鉄道を乗り回す
中国に視察旅行があった 蘇州から上海まで列車に乗れた これは軟座と呼ばれるグリーン車である
全国最優秀添乗員の表彰の副賞?にカナダの7泊8日無料招待があって ここでも列車の部分があった
モントリオールからケベックまで 特急列車だ わくわく乗っていたら 私の席の窓ガラスが突然割れた
沿線の小学生の悪戯と後で報告があった 私は外にカメラを向けていたが 一寸放した瞬間で助かった
列車に乗るのは大好きだが 添乗員を辞めてから 殆ど乗らない バスか遠出をしても飛行機だけだ
今度のツアーに雪見列車に乗る行程があった あとは全部四季を通じて何度も行った地である
乗るのは高山本線 それも2駅先の久々野駅まで わずか16分の乗車である このツアーに私は決めた
行く前から そうだ 高山駅では駅弁を買おう それを当日の夕食にしようと決めていた
だが これは失敗した 大事なことを忘れていた 駅へ着けば添乗員のあとに付いて行き改札を抜ける
大きな駅では無いから自由行動の時間も無く ホームには売店も無かったのだ
それでも列車の姿を見ると わくわくしてくる 電化されていないからディーゼル列車だ
以前 出張の折 この路線を乗って ワイドビューの特急 それも一番前の展望席に座ったことがある
運転台は高いところにあるから 目の前はすぐ最前部のガラス 自分が運転しているようで楽しかった
しかしずっと乗っていると いささか疲れる これは踏切などがあると自分でも安全かどうか見てしまうのだ
観光バスの2階建ての一番前にも座ったことがあるが これはもっと疲れる 安全確認など常時してしまう
陽射しが強くてもブラインドも下ろせない 後ろの席からの展望を遮ることになるのだ
高山本線も何度も乗ったが それは以前のこと やはり嬉しい 座席もお客様 全員が座れた
車窓からは 大雪のあとの山や町の風景が流れて行く ずっと乗車なら珈琲でも欲しいところだ
16分 あっという間に下車駅で 降りれば そこにツアーバスが待っていた
最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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いただきました。
表彰されるほどの添乗員さん、やはり そうでしょう
と思えます。
いつでもどこでも愛情と心遣い 素晴らしいです。
鉄道の旅 私も大好きでした。
夜行列車で宿泊代を節約、粉末ジュースを持参して
ホームの水でジュースを作る。
青函連絡船に乗るのに荷物抱えて桟橋を走ったことも
想い出は楽しい!
旅程のくみかたですばらしいと
思いました。そうですね、確かに
一筆書きで行きたいものですね。
それにしてもヨーロッパでお怪我なさらずに
よかったです。今回もお疲れ様でした~(^^♪
あの朝市の景を懐かしく拝見しておりました。
私が行ったのはちょうど20年前のことでした。
米国から里帰りしていた妹たち家族とのそぞろ歩き。
朝市の並ぶ通りの右側だったかに高山祭りの「山車」が
保管されている会館に入りました。
朝市では桃を買いました。箱買いですね。
夏のことです。
「宝生閣」という宿に泊まり、エレベータの中も畳が敷かれてありました。
そこの夕食で飛騨牛に舌鼓を打っていた妹ハズバンドに私の分をあげたことなど^^♪
また、匠の技の一枚板のテーブルなどに見入っていました。
おっしゃるように間口は狭いのに奥行が広いお店が軒並みでしたね。
小京都、高山。合唱作りの景も懐かしく拝見しました。
雪の高山、一段と風情がありますね。
ありがとうございました~♪
いつも車での移動だったのまで 高山本線乗ったことが有りませんでした
高山の駅も綺麗になっていましたか
ワタシが岐阜に居た頃は 改築中でしたから
一之宮には 臥龍桜を見に行った思い出が有ります
車窓からの 素敵な雪景色思いがけない旅が出来ました
全国最優秀添乗員の表彰・・凄い事ですね(^^)/
普段ブログを拝見していても人への気使いが行き届いていますものね
のびたさんのお人柄ですね。
カナダはもう15~6年ほど前に行きましたが
素晴らしい風景でした
ケベック州はカナダで唯一フランス語が公用語で、添乗員さんに教えられた言葉が「シブレイ~」・・おはよう?こんにちは?どちらだったか忘れましたが、「新聞くれ~」と覚えて下さい。。でした。
今でも懐かしく覚えています
添乗員さんって凄いですよね
ツアーの皆さんと「新聞くれー」を楽しみました。
ツアーは添乗員さん次第で楽しかったりつまらなかったりもしますね。
のびたさん素晴らしいですね。
名古屋は先ほど雪が舞いました。
冷たい日になりました。
のびたさんのブログで教えていただくことが
多いですね。添乗員をされたからではなくて、
やっぱり博学なのだと思います。
名古屋は私鉄電車が名鉄と近鉄しかなくて
電車には縁がないので電車に乗るだけでも
遠くに行くような気持ちになります。
夜行列車>
私達の年代層には懐かしくて忘れられなくて。今では
とても考えられないことですが..スキーはいつもでし
たね♪
「夜行列車 朝起きたら 雪の中」
閉ざされた外の景色の中を走る、最高ですね
私は以前奥羽本線を雪の壁の中を・・走りましたが車窓ギリギリまで雪がありました
ホームの一部だけ運転手さんの後ろだけ
乗り降り(ワンマンでしたから)その部分だけ
ゆきが切れてして ホームの8割形雪の壁
あの時の湯沢~新庄は忘れられません
私の列車のあとは・・運休でした。
色んな思い出を・・彷彿とさせる・・
飛騨の雪見列車・・いい体験でしたね
久しぶりのツアー参加なので ブログが長い紀行文になってしまいました
ちょっと恥ずかしいですが 最優秀添乗員は派遣の若い方も含めて 全国の中でたった一人のグランプリで副賞のカナダ招待旅行は 会社始まって以来初めての最後です(笑)あとは表彰の金一封になりましたが こちらも受賞できました
鉄道旅 私と同じでしたね(笑)
粉末ジュース 懐かしいです
青函連絡船 走りましたね 長い桟橋までの距離 そして各駅停車の乗り継ぎも座りたいので走りました(笑) こんな話を時間をかけて話したいくらいです
一筆書きの旅程 昔はかなりのメリットがありましたよ
今では均一料金なので そんなに効果がありません
カナダの特急列車 危なかったです
窓の外の景色を撮りたいから ずっとカメラを向けていました
日本と違って割れるのではなく 穴が開いてしまったのです 窓ガラスにめを近づけていたら 大怪我ですね
列車旅は楽しいです
時折ブログに登場する 仲の良いご夫婦の妹さんですね
高山祭の屋台 確かに神社の境内横に屋台会館があって保管してあります
宝生閣 添乗員でご案内したことがありますよ
今回のバス駐車場は このホテルのすぐ下です
素敵なホテルで皆さん喜ばれたでしょう