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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

中国映画「火龍」。

2005年06月01日 | 映画・DVD・ビデオ
「火龍」という中国映画を御存知か?ちょうど公開されたのは、「ラスト・エンペラー」と同じ時期。しかも、主人公も同じ清朝最後の皇帝・溥儀。「ラスト・エンペラー」が溥儀の人生の前半を描いたのに対して、「火龍」は、その大部分の内容が「一市民」になってからの溥儀を描いており、元・皇帝が七輪の様なもので、魚を焼くシーンがあった事を憶えている。大阪・梅田の「三番街シネマ」で、見て、滂沱の涙を流して、高校か大学の同窓会に行った。「火龍(かりゅう)」とは、「火葬にされた唯一の皇帝」という意味。
この映画は、今、ビデオでもDVDでも手に入らないし、テレビで放映された記憶も無い。でも、とってもお薦め。「ラスト・エンペラー」はつまらなかったが、「火龍」は感動作。もしかしたら、TSUTAYAとかの大型店の片隅にレンタル用で、並べられているかもしれない。
溥儀は、確か昭和43年頃まで、生きたはずだ。
大政奉還をした徳川十五代将軍・慶喜が、大正時代まで生きた事、知っていました?
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「真鍋かをり」のブログ。

2005年06月01日 | Weblog
「真鍋かをり」のブログが結構、芸能人としては、プライベートを克明に書いていて、凄いアクセス数だというので、見てみました。僕の私見ながら、真鍋さんは「頭がいい」と思いました。文章を読んでいると、画が想像されるような生き生きとした文体にとっても魅力があります。興味のある方は見てみて下さい。
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天国との「トラックバック」

2005年06月01日 | エッセイ・日記・意見
ブログを始めて、半年が過ぎ、やっと「トラックバック」のやり方が理解出来ました。ちょっとした事だけど、嬉しい。
三年前に亡くなった父に、僕は「パソコンは面白いよ!」と無責任に薦めました。そしたら、或る日、実家に行ったら、「パソコン」があるではないですか!!!
父は職業が「文章を書く仕事」だったので、結構楽しくパソコンを使っていました。
僕が出張で大阪に行く度に、「これはどうするんだ?あれはどういう意味だ」と質問攻め。あの時、もっと丁寧に教えてあげれば良かったなあと、後悔しています。
僕の誕生日は2月27日。エリザベス・テーラーと同じ日。それはどうでもいいのですが、その日、父からのカラーのイラストを使った「初めてのメール」が届きました。メールとほとんど同時に、「メール届いた?」という確認の電話まで。その半月後、父は「脳梗塞」で倒れ、一年三ヶ月の入院生活ののち、逝去しました。
あの年の「誕生日祝い」のメールが「ファースト・メール」で「ラスト・メール」になってしまいました。
今、ブログが予測の7倍もの速さで、増え続けています。もし、父が元気だったら、きっと、自分のブログを立ち上げていた事でしょう。天国と「トラックバック」できればいいのにね・・・。
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「大丈夫だから!!!」という早朝の電話・・・

2005年06月01日 | エッセイ・日記・意見
「大丈夫だから!!!」と早朝、5時46分に母から電話があったのは、1985年1月17日。あの阪神淡路大震災の朝でした。当時、既に東京に住んでいた僕達は「何が大丈夫なのか」が分かりませんでした。母が落ち着き、関西地方で大きな地震があった事を知りました。
確か、休みの日だったと記憶しています。何故なら、それから、ずっとテレビを見ていたからです。関西テレビが空撮で、阪神高速道路神戸線の高架がなぎ倒されている映像を午前10時過ぎに見るまでは、あんなに凄い規模の地震が起こっているとは想像もしていませんでした。
うちの実家は、大阪府にあり、水屋の食器類が壊れた程度で済みましたが、妻の実家は神戸の明石の方にあり、妻の母が地震に驚いて、飛び起きた後ろにタンスが倒れてきたと後で聞きました。
僕は当時、ドラマをやっており、多摩センターの郵便局から、郵パックで、妻の妹(
神戸在住)のところに、ペットボトルの水とか、インスタント食品や缶詰を送りましたが、多摩の郵便局が長蛇の列。みんな、関西に何か救援物資を送ろうと並んでいたのだと思います。
妻の両親の家は水が一ヶ月位出なくて、うちの母の妹の家が近かったので、叔母の家に、入浴に行って貰ったりしました。
何故、ブログにこんな事を書いているのかというと、元・日本テレビアナウンサー・記者の薮本雅子さんの「女子アナ失格」という本を今日、読了したからです。とてもいい本でした。薮本さんの人柄が伝わってきました。
その薮本さんが甲子園から神戸まで国道43号線を歩いて震災の取材をしていて、「尼崎の11歳で亡くなった孫」のところに向かって歩くおばあちゃんに会いました。そのおばあちゃんと薮本さんの会話を「今日の出来事」で偶然見ていて、心に深く突き刺さるものがあったからです。この人はきっと「自分に対して誠実な人」なんだろうなぁと。だから、おばあちゃんに喋りかける姿勢も自然体だったし、それゆえ、「震災」の起こした大きな悲しみの一片を見せられた様に感じたからです。
あれから、10年が経っても、その時の映像は、頭の中にはっきり出て来ます。テレビという世界で働いている僕が、テレビというメディアの強さと怖さ・・・そして場合によっては、良い影響力も悪い影響力も広い範囲の多くの人に与える事を実感させられたのでした。
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不思議な夜。

2005年06月01日 | エッセイ・日記・意見
「生きる」という意味を突き詰めていくと、「宗教的」な問題になってくるのだろうか?人はみんな「この瞬間」も「生きる」という足跡を残している。
昨夜、新宿の鮨屋に行ったら、隣に座ったカップルのうち、女性の方が突然、僕の皿にガリを載せてくれた。そして、じっと、僕を見つめ、話しかけてくるのである。不思議な女性だった。帰り際に聞くと、元モデルで30カ国以上の国に仕事で行っているという。
カップルの男性の方は、僕に半年くらい前、ある飲み屋で罵倒されたらしく、その時の話をしてくれた。共通の知り合いもいるという事が分かった。「酒乱」の僕だが、ここ一年くらいは暴れた記憶が無い。でも、彼の言う事は本当の様だ。
僕の「生きる」足跡を見る感じだった。僕も酔っていたので、定かでは無いが、その男性が怒っている風でも無かった。
不思議な夜だった。コンビニで、「さらさらそば茶」を買って帰路に着いた。
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