今、社会が「鬱の時代」に入っているからこそ、「日本古来の伝統や美しさ、そして礼儀、風景」に僕は惹き寄せられるのかもしれない。決まった「宗教」も「哲学」も無い国で、「物質文明」だけで、突っ走ってきた日本は、破綻しようとしていると思う。
今、読んでいる吉川英治の「親鸞」は、難しい言葉もたくさん出てくる(戦前に書かれた事もあるのかも)が、その言葉の意味を想像しながら読んでいると、「心が清流の様になる」と言ったら、言い過ぎかもしれないが、日本の「美しさ」に接する事ができる。「漢字」というのは、そうした機能も持っている。
僕の周りにも、「鬱」か「鬱っぽい」人がたくさんいる。その人達のエネルギーが今後、プラスに展開していけば、「本来の日本」への道に向かうと思う。マイナスに出ると、考えられない犯罪や自殺者増をまねくことになる。
僕は、マクロでものを見ていると、プラスの方へ行きそうな、社会の大きな流れを感じ始めている。だから、すこし、安心しているのかも。
日本をプラスにする流れが、その出口を求めて、動き出したのではなかろうか。
今、読んでいる吉川英治の「親鸞」は、難しい言葉もたくさん出てくる(戦前に書かれた事もあるのかも)が、その言葉の意味を想像しながら読んでいると、「心が清流の様になる」と言ったら、言い過ぎかもしれないが、日本の「美しさ」に接する事ができる。「漢字」というのは、そうした機能も持っている。
僕の周りにも、「鬱」か「鬱っぽい」人がたくさんいる。その人達のエネルギーが今後、プラスに展開していけば、「本来の日本」への道に向かうと思う。マイナスに出ると、考えられない犯罪や自殺者増をまねくことになる。
僕は、マクロでものを見ていると、プラスの方へ行きそうな、社会の大きな流れを感じ始めている。だから、すこし、安心しているのかも。
日本をプラスにする流れが、その出口を求めて、動き出したのではなかろうか。