「雪子、動くんやないぞ!お父さんがいくから」
パンチパーマに、白地に縦ストライプの背広を着た五十男が左右も見ずに、交差点の真ん中に飛び出す。青信号で進入してきた車が何台かキーっと急ブレーキをかけてスピンして止まった。
「おっさん!危ないやないか!ちゃんと見てるんか!バカたれ!」
「今、何言うた!おんどれ、分かっとんのか?うちの大事な子供がケガしとんのや。分からんのか。ボケッ!そこで待っとれ!後で、しばいたるからなあ」
鬼瓦の様な顔で、言い返しながらも、交差点の真ん中にたどり着く男。道が渋滞し始める。
サイレンの音が聞こえ、救急車が現場に到着。あわただしく、救急隊員が降りてくる。交差点はすでに大渋滞。
「けがをされた方はどちらですか?」
「こっちや、こっちや。早よせんかい!うちの雪子を助けてくれ!」
三人の救急隊員、交差点の中央に駆けつける。
「けがをされた子供さんは・・・」と言いながら、隊員の一人が何かを踏んでしまう。
「キャンキャン!」
男、その隊員の胸倉を掴まえ、詰問する。
「おまえは何を考えとるんや!救急隊がケガ人を踏んで許されると思っとるんか?ええ」
男、隊員を片手で持ち上げ、殴ろうとする。
「ま、待ってください!子供って・・・ケガ人って・・・この犬・・・ですかぁ」
「この犬は、わしの子供なんや。すぐ病院に運べ!今、すぐや」
犬がか細く吠える。
「雪子、しっかりするんや」
しゃがみこんで犬から離れない。男の愛犬・白のプードル、雪子十歳。
「分かりました。ではサイレンを鳴らさず、搬送しましょう」と隊長が指示。
隊長、男に向かって、
「それでは、少し事故の状況を聞かせて下さい」
男の氏名・住所から順番に手際良く聞いていく。
「それで、御職業は?」
「緑山小学校校長です」
「これだけ、アレルギーの子供が多い今、アレルギー食は、普通の給食とは別に、それぞれの学校で作るべきです。給食センターで一括して同じメニューの給食を作り、各学校に配送されれば、アレルギーの子供は弁当になり、子供の気持ちを傷つけます。ですから、センター導入に私は反対です」
地区の校長会で、「給食委員」をやっている緑山小学校の春名校長はそう力説した。春名校長の意見にうなずく校長も多い。
「そやから、子供料金も払う。言うてるやないか、ものやないんやから、犬は!手荷物預りで、飛行機の貨物室に入れられるちゅうんはどういう事や。分かった、わしはもう飛行機には絶対乗らんへんからな!」ガチャンと電話を叩き切る音。
「ほんま、世の中ちゅうやつは・・・」
春名校長がブツブツ言いながら、校長室から、出てくる。一年前、妻と死別して、どこに行くのも、愛犬「雪子ちゃん」と一緒。今回は、初めての飛行機での出張だった。職員室にいる先生方はみんな下を向いたり、パソコンの画面を見たりしている。笑いを堪えるのにみんな必死。校長、イライラしながら、職員室の中を歩き回る。
「雪子ちゃんは、もっと別嬪さんなんや。こんな写真、年賀状に使えるかいな。雪子ちゃんの年賀状を毎年楽しみにしている人もおるんや。こんなん、撮り直しやな」
と校長は言う事だけ言って出て行った。
雪子ちゃんが生まれてから、毎年、年賀状用の写真を撮り続けている写真館の親父は一言も反論できず、アングリ。いつもの校長のペースにはめられた。
雪子ちゃんの入院している病院。
「先生、いくら、なんでも、こんな狭いケージにうちの雪子ちゃんを入れられたら、可哀相ですわ。それと、この食事。缶詰なんか、うちでは食べさせてません。なんとかなりませんか?」
「うちの病院には、 個室が無いんです。それに食事はちょうど、今の体調に合ったものをお出ししています。少し早いですが、どうしてもとおっしゃるなら、退院してもらって、様子を見られるという選択肢もあります。その代わり、少しでも体調がおかしいなと思ったら、連れてきてくださいよ」
校長は雪子ちゃんを半ば強引に退院させた。
「雪子ちゃん、散歩に行くで」
「ワン」
「あっ、雪子ちゃん、元気になったのねぇ。みんな心配してたのよ。おばちゃんも雪子ちゃんの元気な顔を見てホッとしたわ。ほんと、良かったねぇ」
犬仲間の女性がしゃがみこんで、雪子ちゃんの首をなでながら、笑っている。女性の連れた犬と雪子ちゃんがじゃれ合いだした。
目を細めて、雪子ちゃんの喜ぶ様子を眺めている校長。朝の日差しが心地よい。
「オレってそんなに下手なのかなぁ~」
ため息と共に、引き延ばした雪子ちゃんの写真を眺めている。
「あれ・・・ここ修正したっけ。この目の濁りは何だ?」
「やっぱり、外は寒かったなぁ・・・あれ、雪子ちゃん、お漏らししたんや。かまへんで、気にせんと。雪子ちゃんにはお父ちゃんがいつでもついているからな」
雪子ちゃんの体を丁寧に拭いている校長。
数日後、朝、職員室に一本の電話がかかってきた。
「春名です。雪子が今朝、亡くなりました。今日は『忌引き』にしておいて下さい」
祭壇の写真を見て、
「ワォーン、ワォーン」
と、何匹かの犬が吼えている。校長の犬仲間がお通夜に来ているのだ。
校長は、祭壇の横で深い悲しみに堪えて正座している。先生方やPTA、生徒達も参列している。受付には香典が山積み状態になっていた。
写真屋が犬仲間に何かを配っている。貰った人は、写真屋の囁きに頷いている。
「お父さんのこどもは、雪子ちゃん一人だよ」
墓参りをする春名校長。静かな動物墓地。
木陰から、顔を覗かせる犬仲間。
校長は、肩を落としてとぼとぼとと墓地を後にする。犬仲間の手には、「雪子ちゃんの子犬時代」の写真があった。
数ヵ月後。
「おーい、写真屋、頼んだ写真できてるか?」
「あっ校長先生、はいはい、できてますよ。ちょっと、待って下さいね。今回は最高の出来です。これですわ」
「なんじゃ、この写真は!雪子は別嬪やったんやでぇ。この子ももっと可愛く撮れるはずや!撮り直し!」
「ええっ?」
と、写真屋が言った時には、すでに校長の姿はなかった。
ある日の夕方、川の土手を子犬と散歩する春名校長。河原で遊んでいた小学生達が土手を駆け上って来て、
「ワァー、超可愛い。この犬、雪子ちゃんに似てるねぇ。ちょっと抱っこしてもいい?」
校長と子犬と子供達の集団がワイワイ喋りながら、オレンジ色の夕日の中を遠ざかっていく。




