お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

超人気ボードゲーム「チケットトゥライド」がまもなく、日本に上陸!!!!!

2006年07月08日 | エッセイ・日記・意見
チケット トゥ ライド ~アメリカ横断鉄道レース!

バンダイ

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Amazon.co.jp 商品紹介
チケットトゥライドは、アメリカの有名クリエイター、アラン・R・ムーン氏により制作され、2004年アメリカで、Days of Wonder社より発売されると共に、各国の年間ゲーム大賞を次々と受賞。
遊び方は、子供でもすぐに覚えられるいたってシンプルなもの。しかしながら大人もその緊張感と戦略性に夢中になる、名作ゲーム。

セット内容
ゲーム盤、列車コマ45個×5色、マーカー5色、列車カード110枚、行き先チケット30枚、取扱説明書

ゲーム内容
ボードには1900年のアメリカ大陸の地図と、鉄道が描かれている。各プレイヤーは、「自分の列車で一続きにつながなければならない2都市」を課題で与えられ、課題をクリアするとポイントがもらえ、さらに次の課題にチャレンジできる。

まずはカードを集めていき、同じ色のカードを決められた枚数集めて出すと、列車を置くことができる。カードを集めて列車をならべ、どんどん都市と都市をつないで、ポイントを獲得して課題をたくさんクリアし、最後に一番ポイントの多かったプレイヤーの勝利。相手のつなぎたい路線を推理してふさぎながら、自分の列車を思い通りにつないでいく、緊張感のある駆け引きが醍醐味のゲーム。


商品紹介
相手を邪魔しながら、自分の列車を長くつないでいこう!決められた目的地をめざし、列車を一直線につないでいくゲームです。シンプルなルールながら、相手の進路をふさぎながら自分の列車をつないでいく駆け引きが熱く、子供から大人まで楽しめる名作ゲームです。世界中で数多くの賞を受賞した、ボードゲームの最高傑作です!
(Amazon.の解説より)


ボードゲーム──というと、子供の遊びと思う方もいるかもしれない。しかし昨今の海外製ボードゲームは、大人がマジメに楽しめることが人気のポイントになっている。真剣に考えて戦略を練るのだが、それでも子供に負けてしまったりする。しかし、運の要素が強いわけではなく、勝ったときには自分の実力の気がする……。こんな絶妙なバランスが、海外ボードゲームの魅力だ。


 海外ボードゲームの本場はドイツ。今回日本語版が発売になる「チケットトゥライド」は2004年に、ボードゲーム界の最高権威である「ドイツゲーム大賞」(DSP)を受賞した名作だ。

 最初に目的地カードを渡され、そこには「ワシントンからシアトル」など2つの都市の名前が書いてある。自分の電車を地図上の線路に置いていって、目標の都市をつなげるのがゲームの流れ。ただし、電車を置くのは一筋縄ではいかない。

 1つの線路には、1人か2人しか電車を置くことができず、埋まってしまったら迂回しなくてはならない。線路には比較的電車を置きやすい短いものから、置くのが難しい長いものまであり、短い線路は奪い合いになるし、長い線路は置くまでに時間がかかる。ほかのプレーヤーの目的地を推理しながら、うまく自分なりの線路をつなげていかなくてはならないのだ。

 かなり考えさせるゲームでありながら、直感でプレイした子供に負けてしまったりするのが面白い。「最後の最後まで、勝負が分からない」「誰とプレイしても、きわどい勝負になる」という非常にバランスに優れたゲームだ。

 オリジナルは英語版のため入手が少々難しかったが、バンダイから日本語版が発売されることで、街のおもちゃ屋さんでも購入できるようになる。オンラインゲームで腕を磨いたら、夏休みに集まって、友人や子供と楽しんでみてはいかがだろうか。

「鉄道ファン(鉄ちゃん)」の僕としては、欲しいゲームだ。お試しサイトhttp://www.asovision.com/banban/もあるので、一度やってみてね。


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寝苦しい夏は「空調ベッド」で寝よう!!!

2006年07月08日 | エッセイ・日記・意見
夏寝苦しい最大の要因は、マット(布団)に寝ていると、体の体温や湿気でマットがぬくもってしまい、マットに接している体の部分からの放熱ができなくなるためです。
 これを解決するための最大の決め手は、体がマットに接していない、すなわち宙に浮いている事です。体を宙に浮かし、更にマットと体の間に風が流れていれば、暑さによる寝苦しさは完璧に解消されます。
 弊社では、長年の研究の結果、体重を支えしかもクッション性を損なわない"スーパースペーサー"技術(世界初)と、体を浮かした空間に送風する風路技術(世界初)によって、世界初の夢のベッド"空調ベッド"の商品化に成功致しました。(正確には、ベッドの上にひいて用いるもので、「空調マット」と言った方がいいかも)http://www.9229.co.jp/k_bed.html

蒸し暑い夏の夜、寝られないと嫌だもんね・・・一度試して見たいなぁ~
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「のこいのこ」という歌手って・・・誰?????

2006年07月08日 | 歌・CD
のこいのこ大全
のこいのこ
ビクターエンタテインメント

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このCDについて
ただいま問い合わせ殺到中!
誰も知らないが誰もが知っている・・・。オノデン、カップスター、エバラ焼肉のたれ・・・、CMソングを800曲吹き込んだ伝説のヴォーカリスト、キャリア初のグレイテストヒッツ遂に完成!笑うように歌う、その個性的なボーカルはまさに唯一無二!ほとんど全てが初お蔵出しとなるウルトラレアなCMソングばかり収録した本作は、まさに日本のCMソング・ヒストリー。懐かしさに胸がジンとくる!そしてもちろん、ポンキッキでのヒット曲「パタパタママ」「ヤセタンとコロンタン」など、泣ける名曲もぎっしり収録。長文解説では、謎につつまれた彼女の全貌を初めて明らかに!必聴の一枚です。

【アーティストについて】
のこいのこ:CMソングを800曲録音した伝説のボーカリスト。キャリア初のベストアルバムが各方面で話題沸騰中!
曲目リスト
1.ヤセタンとコロンタン
2.パタパタママ
3.オノデンボーヤCMソング
4.めくる のせる たべる ボーデンチーズ
5.エバラ焼肉のたれ「今日は焼肉デー」
6.緑屋
7.中央自動車工業「パームエアーロータリー」
8.味の素マリーナ
9.のんびりとメルシャン
10.せんば子狸まんじゅう
11.コメッコ
12.グリコ「カプリソーネ」
13.ヤマギワ住まいの灯りフェア
14.任天堂「シャルマントランプ」
15.ナショナルエアコンクール&クール
16.サントリーレッド
17.ハートのある機械です
18.旭食品
19.わたしとあなたの間に
20.まるさんかくしかく
21.森永スコッチパイ
22.大正製薬パブロン
23.ドッドウェル「チャム」
24.サンヨーファンヒーター
25.サクラクーピー
26.味の素プチマリーナ
27.セイカノート プロペラジャグラー
28.資生堂メイクアップファンデーション 卵のお顔
29.資生堂メイクアップファンデーション お料理上手
30.資生堂メイクアップファンデーション 三ツ指ついて
31.レゴ レゴ レーゴ
32.やさしさを忘れず旭タクシー
33.森永ヨーグルトなかよし
34.SSK オードブルツナ
35.カネボウ モグ
36.味の素マヨネーズ
37.苺の花嫁さん
38.平和な日曜日 幸せをプレゼント
39.お誕生日おめでとう
40.カネボウアイス A
41.カネボウアイス B
42.カネボウ ブーガムランデブー
43.片岡物産バンホーテンココア
44.セノー ポポーン
45.はたらくくるま
46.ニッカサラダ油
47.三菱ふとん乾燥機ほすべえ
48.武田製薬プラッシー
49.サンヨー食品カップスター
50.吉忠ロマン
51.浅草玩具ミロゲーム
52.ハクキンカイロ
53.日本ペイント自分のことは自分でしよう
54.ハウス豆乳SOY200
55.アダム氏とイヴちゃん
56.タカラ パットちゃん
57.味の素ハイミー
58.旭化成セルセル
59.お月さまの願い
60.今ここに
61.きのう きょう あした
62.トイレにねっ!

凄い!!!!!の一言。



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めだかブーム・・・一匹10万円する「超男前めだか」品切れ中!!!!!

2006年07月08日 | 子供・動物・生き物・ペット
通販で「めだか」を売っているとは・・・しかも、10万円の「めだか」の入荷を心待ちにしている人たちがいるのには正直ビックリ。僕と妻は「生き物」を飼うのがダメなので、ちょっと「ひき気味」だが・・・http://medakahonpo.com/
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市民メディア・インターネット新聞「JANJAN」。

2006年07月08日 | インターネット
誰でも「記者」に成れて、ニュースを書き込めるインターネット新聞がいくつかある。「JANJAN」もその一つ。http://www.janjan.jp/

他にも「@NEWZ」等がある。
[@NEWZって何?]
@NEWZ(アットニューズ)は、参加型のニュースサイトです。

誰より早く役立つニュースや面白ニュースを投稿してください!

面白いと思った人の票が集まれば、トップページに表示されます。

まだトップページに表示されていないニュースから面白いニュースを発掘するのも楽しいですよ。http://atnewz.jp/

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『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』。

2006年07月08日 | 子供・動物・生き物・ペット
『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』はカードをつかってオシャレとダンスを楽しむゲーム。髪型や服装で違う約600種類のカードを集め、機械と「おしゃれ度」などを競う。200億円近くの売り上げ。ありえねぇ~。
おじさん達にはよくその面白さが分からないが、女の子とそのお母さんに人気と聞いた。公式ホームページはhttp://osharemajo.com/



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「エア・ギター」とは?

2006年07月08日 | 歌・CD
エア・ギター(Air guitar)とは、ギターを弾いている振りをする演技のことで、大げさな演奏する身振りと、しばしば実際の歌唱や口パクによって構成される。日本では金剛地武志が有名。


エア・ギターは一般的には、エレキギターを用いる音楽、特にロックやヘヴィメタルなどの模倣に用いられる。アコースティック音楽をエア・ギターで模倣することも可能ではあるが、伝統的にロックに対して行われてきた。エア・ギターに伴って、ヘッドバンギングもしばしば用いられる。実物のギター奏者が、愛好するアーティストの演奏を聞きながら、それをエア・ギターで正確に模倣する、ということもしばしば起こる。

音楽家には、演奏中に身体を使い、本能的に曲のリズムや雰囲気に乗るということがしばしばある(これは曲の拍子を合わせる手段でもある)ロック・ミュージックでは、多くのギタリストが、パフォーマンスの一環として大げさな振る舞いを行っている。中にはアクロバット的動作を採り入れている者もあり、これらのパフォーマンスは彼らの個性を示すものとなっている。このような音楽家のファンはしばしば、崇敬するアーティストの動作を模倣し、その音楽に陶酔してしまうこともある。エア・ギターをダンスの特殊な形態と考えることもできる。

人によっては、エア・ギターそのものが趣味になっており、彼らは無数のアーティストの動作を模倣できることを誇りにしている。事実、多くの国でエア・ギターの競技会が組織的に開催されており、1996年からは、フィンランドのオウルで開催されているOulu Music Video Festivalの一環として、The Annual Air Guitar World Championship競技会が開かれている。2004年、2005年の大会では、日本の金剛地武志が二年連続で4位に入賞した。エア・ギターの競技会が初めて組織的に開催されたのはイギリス(1994年)であり、次いでオーストラリア(2002年)、アメリカ合衆国(2003年)で開催されている。史上最も偉大なエア・ギター奏者が誰であるかについては諸説あるが、ビル・S・プレストンとテッド・セオドア・ローガンの両名であるという説に多くが賛同している。

エア・ギターをまったく新しいレベルにまで引き上げてしまったアーティストも存在する。スウェーデンの過激なメタルバンド、Meshuggahの音楽プロモーションビデオ、"New Millennium Cyanide Christ"において、5人のバンドメンバーが彼らのツアーバスの上に乗り、エア・ギターとエア・ドラムで曲を演奏するという描写がなされている。

また、プロレスラーのハルク・ホーガンは、リング入場の際に、自身の入場音楽(ジミ・ヘンドリックスによるインストゥルメンタル曲)に合わせてエア・ギターを行うことで知られている。

最近では男性アイドルグループ、嵐 (ジャニーズ)がGの嵐!内でエア・バンド「嵐」を結成し、今までエア・ギターを知らなかった多くの人に知られることとなった。
http://airguitar.jp/news/

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調布駅前で見つけたTシャツ。

2006年07月08日 | エッセイ・日記・意見
「エルメス」と読むんだろうなぁ~。「電車男」は無かった。

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「押切もえ」「山田優」の「ピュアブログ」ができた。

2006年07月08日 | インターネット
押切もえブログ→http://moemode.ameblo.jp/

山田優ブログ→http://yamada-yu.ameblo.jp/


「ブログ」という媒体が大きな口コミ宣伝にもなり、商売にも繋がるという事をみんな分かってきている。僕も二年前は、「世界に向けて発信する媒体」を持っていなかったが、簡単に作られるブログという媒体を手に入れて、日本語の分かる人なら誰でも、僕のブログに接する事ができるという状況になった。これは、放送・通信にとっても「脅威的メディア」になる可能性を秘めている。

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「14回転、ギネスブックのジェットコースター」があの「富士急ハイランド」にできた。

2006年07月08日 | エッセイ・日記・意見
山梨県富士吉田市の富士急ハイランドに7月19日、走行中の回転数がギネスブックに登録されたジェットコースター「ええじゃないか」が登場する。

軌道は宙返りが2カ所、ひねりが5カ所、他に7カ所が「回転部」と認定され、計14回転。英国の遊園地の10回転を塗り替え、最高時速126キロで走り抜ける。

同園のコースターは過去に速度など8項目でギネスに載ったが、世界の遊園地がしのぎを削る中、すべて更新されていた。新機種による会心のリベンジに、関係者も「気分がええじゃないか」。
(毎日新聞より)


ちなみに総工費36億円。ジェット・コースター好きの僕としては是非乗ってみたい。http://www.eejanaika.jp/

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「アメリカ横断ウルトラクイズ」・・・他の情報。

2006年07月08日 | テレビ番組
各回の挑戦者数·視聴率·特徴

回数(年) 参加者 視聴率 その他
第1回大会(1977年) 404名 約25% 日本テレビ開局25年記念番組、初開催。
第2回大会(1978年) 700名 23.9% 新東京国際空港(現:成田国際空港)開港
第3回大会(1979年) 1362名 23.9% ドボンクイズ、バラマキクイズ初登場 テーマ曲がこの回から固定
第4回大会(1980年) 2707名 29.9% ○×ドロンコ初登場 唯一の女性チャンピオン
第5回大会(1981年) 6473名 27.2% 第1問を球場前で発表 メキシコ初訪問 奇襲クイズ·通せんぼクイズ初登場
第6回大会(1982年) 7332名 27.2% アラスカ初上陸 双子神経衰弱クイズ初登場
第7回大会(1983年) 10203名 34.5% サポートアナ初同行 史上最大の敗者復活戦王者、予選免除されるもグアム敗退 カナダ初上陸 急病で脱落者発生 最高視聴率
第8回大会(1984年) 11048名 23.1% 初の全都道府県からの参加 大声クイズ・ジョギング(マラソン)クイズ初登場 海底クイズでバハマ初入国
第9回大会(1985年) 11751名 22.2% ヨーロッパ初上陸、パリ決戦 団体クイズ初登場
第10回大会(1986年) 17162名 26.8% ジャンケン→腕相撲 成田で第1CP 南北分裂ルート、南北王者ニューヨークで激突 ※放送ライブラリーで視聴可能
第11回大会(1987年) 18017名 20.4% 福留引退を宣言するも、徳光と高島忠夫の説得で宣言撤回 久伊豆(クイズ)神社で第二次予選 米墨国境一足飛び タイムショック初登場、唯一の3人決勝
第12回大会(1988年) 20774名 17.9% 定年45→50歳に延長 東京ドームで初開催 アラスカからフェゴ島まで南北アメリカ大縦断 放送時間が再び短縮 五週連続の放送に
第13回大会(1989年) 24115名 16.6% 第1問新聞発表 ルート紹介がCG オーストラリア·ニュージーランド初上陸 トマト戦争初登場
第14回大会(1990年) 26735名 15.0% 第1問早朝TV発表 タヒチ上陸 アメリカ本土をバスのみで横断 バックトゥザフューチャークイズ登場
第15回大会(1991年) 28523名 18.1% 厳しいサバイバル重視の大会に。福留功男引退、福澤朗登場 電飾ルート紹介が復活 一次予選通過者130名に拡大、敗者復活廃止 ジャンケン一本勝負 ドミニカ共和国で涙の新大陸獲得クイズ 再び四週連続の放送に
第16回大会(1992年) 26121名 14.6% レギュラー開催最後の年 ラサール石井が参加、東京ドーム敗退 再びルート紹介がCGに 敗者復活が復活(ジャイアント馬場のビデオメッセージ) ○×ドロンコ無し(第6回以来) 
今世紀最後(1998年) 50453名 21.2% 6年ぶりの復活 年齢制限撤廃 ピカイチ芸予選 相次ぐ新機軸形式クイズ NYで準決勝 生放送○×ドロンコ決勝 ※放送ライブラリーで視聴可能


ルート
総ての大会に於いて、ニューヨークでクイズが行われている。ニューヨークで決勝戦が実施されなかった第9回と"今世紀最後"でも、チェックポイントとしてニューヨークは重要な位置に置かれた。

第1回(参加404人) - 後楽園球場(80人通過) → 羽田空港(40人通過) → 機内(30人通過) → グアム(20人通過) → ハワイ(10人通過) → サンディエゴ(6人通過) → フェニックス(5人通過) → ダラス(4人通過) → ニューオリンズ(3人通過) → アトランタ(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第2回(参加700人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(50人通過) → 機内(40人通過) → サイパン(20人通過) → ハワイ(10人通過) → サンフランシスコ(9人通過) → レイクタホ(8人通過) → リノ(7人通過) → デンバー(6人通過) → シカゴ(5人通過) → ナイアガラ(4人通過) → ボストン(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第3回(参加1362人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(50人通過) → 機内(40人通過) → サイパン(20人通過) → ハワイ(10人通過) → ロスアンゼルス(8人通過) → グランド・キャニオン(7人通過) → ツーソン(6人通過) → サンアントニオ(5人通過) → ヒューストン(4人通過) → マイアミ(3人通過) → ワシントンDC(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第4回(参加2707人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(50人通過+1人復活) → 機内(最下位1人サイパンに置き去り/40人通過) → グアム(20人通過) → ハワイ(10人通過) → サンフランシスコ(9人通過) → ソルトレイクシティ(8人通過) → イエローストーン(7人通過) → コロラドスプリングス(6人通過) → アルバカーキ(5人通過) → ニューオリンズ(4人通過) → プエルトリコ(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第5回(参加6473人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(50人通過+5人復活) → 機内(45人通過) → サイパン(20人通過+10人復活) → ハワイ(14人通過) → ホノルル空港(ロサンゼルスで結果発表/13人通過) → ラスベガス(12人通過) → アカプルコ(11人通過) → メキシコシティ・プラサメヒコ(10人通過) → テオティワカン(9人通過) → フェニックス(8人通過) → エルパソ(6人通過+1人復活) → ヒューストン(6人通過) → メンフィス(4人通過) → ノックスビル(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第6回(参加7332人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(49人通過+1人復活) → 機内(40人通過) → サイパン(20人通過+帰国直後に4人復活) → アラスカ(12人通過) → ロスアンゼルス(11人通過) → バーストー(10人通過) → モニュメントバレー(8人通過)→ ダラス(7人通過) → ニューオリンズ(6人通過) → ルイビル(5人通過) → ワシントンDC(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第7回(参加10203人) - 後楽園球場(100人通過) → 成田空港(50人通過+1人復活) → 機内(40人通過) → グアム(24人通過) → ハワイ(12人通過) → バンクーバー(11人通過後、1人急病のため帰国) → ジャスパー(9人通過) → ロスアンゼルス(8人通過) → デスバレー(7人通過) → レイクパウエル(6人通過) → セントルイス(5人通過) → ナイアガラ(4人通過) → オルバニー(3人通過) → ボストン(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第8回(参加11048人) - 後楽園球場(100人通過+1人復活) → 成田空港(51人通過+3人復活) → 機内(40人通過) → グアム(25人通過) → グアム2(24人通過) → ハワイ(12人通過) → サンフランシスコ(11人通過) → リノ(10人通過) → フェニックス(9人通過) → ラピッドシティ(8人通過) → ダコタ(6人通過+1人復活) → インディアナポリス(6人通過) → キーウエスト(5人通過) → バハマ(4人通過) → フィラデルフィア(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第9回(参加11754人) - 後楽園球場(100人通過+1人復活) → 成田空港(50人通過+9人復活) → 機内(45人通過) → グアム(30人通過) → ハワイ(15人通過+3人復活) → サンフランシスコ(12人通過+4人復活) → ヨセミテ(14人通過) → ロスアンゼルス(13人通過) → ラスベガス(12人通過) → アルバカーキ(11人通過) → ナッシュビル(10人通過) → オーランド(9人通過) → アナポリス(8人通過) → アトランティックシティ(6人通過+1人復活) → ニューヨーク(6人通過) → ロンドン(5人通過) → ドーバー(4人通過) → ドーバー海峡横断(2人通過) → パリ(優勝者決定)
第10回(参加17162人) - 後楽園球場(100人通過+10人復活) → 成田空港(55人通過+15人復活) → 成田空港2(35人通過、敗者35人は敗者復活戦へ) → 機内(33人通過+10人復活) → グアム(28人通過) → ハワイ(21人通過+1人復活) → シアトル(17人通過) → モハーベ砂漠(16人通過) → ロスアンゼルス(15人通過) → モニュメントバレー(13人通過) → エルパソ(12人通過) → ダラス(11人通過) → アトランタ(10人通過→北米・南米ルートへ5人ずつ) → 【北米】オーランド【南米】ラパス(それぞれ4人ずつ通過) → 【北米】マイアミ【南米】チチカカ湖(それぞれ3人ずつ通過) → 【北米】ナイアガラ【南米】リオデジャネイロ(それぞれ1人ずつ通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第11回(参加18017人) - 後楽園球場(100人通過+4人復活) → 久伊豆神社(103人通過) → 成田空港(52人通過。敗者は名古屋での敗者復活戦に回り、7人復活) → 機内(40人通過。それとは別に、敗者復活者7人も機内でクイズを行い、うち3人通過) → (勝者便40人中成績下位3人と敗者復活者3人による"入れ替え"クイズを行い、うち3人通過) → グアム(28人通過) → ハワイ(21人通過+3人復活) → ロスアンゼルス(12人通過) → パームスプリングス(11人通過) → デビルスタワー(10人通過) → バッドランド(9人通過。うち2人は次チェックポイント免除) → リンカーン(6人通過) → チチェンイッツァ(7人通過) → カンクン(6人通過) → マイアミ(4人通過+1人復活) → ワシントンDC(4人通過) → ニュージャージー(3人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第12回(参加20774人) - 東京ドーム(100人通過) → 成田空港(50人通過+5人復活) → 機内(40人通過) → グアム(20人通過) → バロー(15人通過+3人復活) → アラスカ鉄道〈フェアバンクス→アンカレッジ〉(15人通過) → サンフランシスコ(14人通過) → パシフィカ(13人通過) → ラスベガス(11人通過) → モハーベ砂漠(10人通過) → サンパウロ(9人通過) → イグアス(8人通過) → ブエノスアイレス(7人通過) → フェゴ島(5人通過+1人復活) → ゲインズビル(5人通過) → ワシントンDC(4人通過) → ゲディスバーグ(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第13回(参加24115人) - 東京ドーム(100人通過+4人復活) → 成田空港(52人通過+3人復活) → 機内(40人通過) → グァム(25人通過) → グァム2(24人通過) → ゴールドコースト(18人通過+4人復活) → モーリー(14人通過) → ブルーマウンテン(13人通過) → シドニー(10人通過+1人復活) → クイーンズタウン(10人通過) → ショットオーバー(9人通過) → ロサンゼルス(7人通過) → ツインレークス(6人通過) → チムニーロック(5人通過) → メンフィス(4人通過) → ボルティモア(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第14回(参加26735人) - 東京ドーム(100人通過+1人復活) → 成田空港(50人通過+5人復活) → 機内(40人通過) → グァム(24人通過) → タヒチ(12人通過+5人復活) → タヒチ2(16人通過) → オレゴン街道(12人通過+1人復活) → グランドテイトン(12人通過) → ソルトレーク(10人通過) → アーチーズ(8人通過) → ツインレークス(7人通過) → レバノン(6人通過) → エリー(5人通過) → レイクミシガン(4人通過) → キティホーク(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第15回(参加28523人) - 東京ドーム(130人通過) → 成田空港(65人通過) → 機内(40人通過) → グァム(26人通過) → ハワイ(13人通過) → ロサンゼルス(12人通過) → モハーベ(11人通過) → サンシティ(10人通過) → エルパソ(9人通過) → ジャクソン(8人通過) → ニューオリンズ(7人通過) → ドミニカ共和国(6人通過) → オーランド(5人通過) → オーランド2(4人通過) → ヨークタウン(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
第16回(参加26121人) - 東京ドーム(100人通過) → 成田空港(50人通過+5人復活) → 機内(40人通過) → グァム(24人通過) → ハワイ(12人通過) → ハワイ2(11人通過) → サンフランシスコ(9人通過) → キャメロンパーク(8人通過) → レイクパウエル(7人通過) → サンタフェ(5人通過+1人復活) → アトランタ(5人通過) → フロリダキーズ(4人通過) → フィラデルフィア(2人通過) → ニューヨーク(優勝者決定)
"今世紀最後"(参加50453人) - 東京ドーム(100人通過+28人復活) → 成田空港(70人通過。うち1人は一足先にアメリカ本土上陸) → 機内(42人通過) → グァム(21人通過) → グァム2(20人通過) → ハワイ(10人通過) → (一足先にアメリカ本土上陸した挑戦者に対し"合流クイズ"出題→正解し、合流決定。挑戦者数11人に) → サンフランシスコ(8人通過) → レイクパウエル(7人通過) → シルバートン(6人通過) → デュランゴ(4人通過+1人復活) → テキサス(4人通過) → ニューヨーク(2人通過) → 西インド諸島(優勝者決定)

歴代優勝者/優勝賞品
第1回/松尾清三(京都)/ラスベガスの土地1エーカー(砂漠のど真ん中)
第2回/北川宣浩(東京)/ニューヨークの最高級ホテル宿泊権(家族2人を呼んで1泊)
第3回/宗田利八郎(福島/愛称"ブッチャー")/競走馬一頭(数え年8歳)
第4回/山口由美(千葉/愛称"ハチマキ娘/当時の姓は"上田")/1人乗り小型飛行機(自分で組み立てなければならない)
第5回/真木法男(東京/愛称"メガネカマキリ")/テキサスの油田採掘権(出るかどうかの保証なし)
第6回/高橋直樹(静岡/体重100キロの巨漢)/世界一周の旅(ローマ→アテネ→カイロ→バンコク→ホンコン、1週間で回った)
第7回/横田尚(東京/新宿駅前の旅館の若旦那)/カナダ産ログハウス(自分で丸太を切って組み立てなければならない)※カナダ西部のカムループスで贈呈
第8回/石橋史行(東京)/高級クラシックカー(自分で組み立てなければならない)※マイアミで贈呈
第9回/金子孝雄(埼玉/愛称"林真理子")/1人乗り小型潜水艦("お母様やった号"と命名)「ウェット型」と言う形式で潜水艦内部に水が入ってくるため乗員はアクアラング等が必要※サイパンで贈呈
第10回/森田敬和(東京)/熱気球(3人乗りの本格派・中古品)※アルバカーキで贈呈
第11回/稲川良夫(岐阜/名古屋で敗者復活)/カナダ東部のノバスコシアに浮かぶ"島"(満潮時には畳一畳分を残して水没する)
第12回/瀬間康仁(京都)/バイオマリンスポーツセット一式(馬1頭と水上スキー)※フロリダ州のウィンターヘブンで贈呈
第13回/長戸勇人(京都)/冷凍人間保存の会員権(上手く利用すれば、永遠に生きられるかも?)
第14回/佐藤光邦(東京/愛称"田園調布の黄門様")/ラスベガスのカジノのオーナー権(ネバダ州ではなく、ニューメキシコ州ラスベガス村の"牛糞ビンゴ")
第15回/能勢一幸(埼玉/優勝経験のないクイズ番組常連)/プライベート温泉(熱い源泉と川の水を自分で混ぜ合わせた)後に「クイズ$ミリオネア」で一千万円を獲得。
第16回/田中健一(東京/愛称"ミニラ")/ワイン用ブドウ畑(1列のみだが、それでもビン500本分のブドウを収穫できる)
今世紀最後/小川圭太(京都)/高級ハウスボート(すぐさま爆破して魚礁に)
優勝商品の多くはほとんど(あるいは全く)役に立たないものであり、役に立つものであっても税金などの経費負担が重く結局手放さなければならない場合がほとんど(初年度のみ日本テレビが諸経費を負担。第16回のブドウ畑など)だが、中には第11回の稲川が獲得した島のように、その後長期に渡って保有している例もある。

テーマ曲
トランペット奏者メイナード・ファーガソンの「Theme From Star Trek(スタートレックのテーマ)」。最後の部分だけ同じメイナード・ファーガソンの「The Cheshire Cat Walk(チシャ猫のウォーク)」が繋げられている。この曲は第3回~第16回、『今世紀最後』で使用された。
第16回ではリニューアル版が使用され、番組オリジナルサントラにも収録されているが、第3回~第15回と『今世紀最後』にて使用された原曲に人気があるようである。
第1回・第2回では別の曲が使用されている。第1回大会で使用された曲は、ヘンリー・マンシーニ楽団の「THEY'RE OFF!」という、映画「THE GREAT RACE」の中で使用された曲。第2回大会で使用された曲は、クインシー・ジョーンズの「Champ Change」という曲である。



とにかく、第1回からすべての回を見た。出場したかった。自宅にビデオで残っていたものをすべてDVDに焼き直し、「永久保存版」としている。この番組は「とてつもなく大規模のクイズ番組でありながら、『人間ドキュメンタリー』だった」。日テレらしい、他局ではできない企画。元々は「テレビマンユニオン」の考えた企画と聞いたが、それにしても、それを17回もやるのは、日テレしかありえない。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」も大好きだった。今ではああいう無茶な番組は放送できないだろう。規制緩和といいつつ、テレビ番組の「おふざけ度」に関して、視聴者・・・というより社会の目が厳しくなっている。テレビって、何でも飛び出す「オモチャの缶詰」と僕は思っているのに・・・
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そして、「決勝戦」は・・・

2006年07月08日 | テレビ番組
決勝戦
ニューヨーク(但し、第9回はパリ)で行われた決勝戦は第1回から一貫して、オーソドックスの早押しクイズが行われた(お手つき・誤答は-1ポイント)。10ポイント先取者がその年の優勝者(クイズ王)となった。

各回とも決勝戦まで勝ち残れたのはたったの2人(第11回のみ3人)。

"今世紀最後"の決勝戦は番組初の衛星生中継として西インド諸島のサン・サルバトル島での開催。クイズ形式も視聴者の意表を突く形となり、これまでの早押しではなく「突撃○×泥んこクイズ」が行われた。この時は両挑戦者に5問ずつが出題され、正解数の多い方が優勝というルールであった(正解数が同じ場合は6問目以降サドンデス)。


歴代決勝地

ニューヨーク・パンナムビル屋上(第1~8回)
パリ・トロカデロ広場(第9回)
リバティ島・自由の女神像前(第10・11回)
ハドソン川を流れる客船"プリンセス号"デッキ(第12~16回)
西インド諸島の砂浜(今世紀最後)
クイズ終了後、表彰式が行われ、優勝者には番組の審査委員長から優勝旗が、その年の"ミス・ニューヨーク"から花束を贈られた。さらに、特大のグラスに注がれたシャンパンを飲み干すという特権が与えられた(優勝者が下戸の場合や体調が悪かった場合には、シャンパンの代わりにサイダーが注がれていたというが、特に番組内でそれに関する言及は無かった)。ちなみに敗者はクイズ終了後、司会者から労いの言葉をかけられることもなく(とりあえず画面上では)、コメントをする機会もないなど、準決勝までとは違った意味での罰ゲームを受ける形となる。

表彰式終了後、優勝賞品を受け取るべく賞品地へ向けて出発。ここで優勝賞品を受け取っていた。


「パンナム」というアメリカ大手の航空会社も倒産。歴史を感じる。

また、是非是非「アメリカ横断ウルトラクイズ」をやって!!!!!日テレさ~ん!!!!!

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「アメリカ横断ウルトラクイズ」詳細、その2.

2006年07月08日 | テレビ番組
機内ペーパークイズ
成田空港での国内第2次予選を勝ち抜いた挑戦者はグアム(サイパン)行きの飛行機に搭乗。その飛行機内(第1回はパンアメリカン航空、第2回~第10回と『今世紀最後』ではコンチネンタル・ミクロネシア航空、第11回~第16回は木曜スペシャルのスポンサーでもある全日空)で3択式のペーパークイズに挑戦した。問題数は第1回が800問、第2回は500問、第3回以降は400問。1問あたり5~6秒のペースで答えなければならず、まさに時間との戦いでもあった。着陸後に結果発表。第1回のみは客室乗務員の機内アナウンスにより発表されていたが、第2回以降は飛行機から降りるタラップの最下段に敷かれた「ブーブーゲート」によって発表された。挑戦者が1人ずつタラップを降り、ブーブーゲートを踏む。もし、“ブー”とブザーが鳴ってしまった場合はここで失格。異国の地を一歩も踏むことは許されず、同じ飛行機でそのまま日本へ帰国(強制送還)となる。

第10回では飛行機が2つ用意され、「第1チェックポイント」として○×クイズで搭乗機を選択。正解機と誤答機でペーパークイズの通過基準を変えていた。このときの問題は1978年に成田空港が開港したときの一番機に関するものだった。(ペーパークイズはウルトラクイズ史上唯一第2チェックポイントとして行われた)

第15回ではブーブーゲートを改造し、「ピーピーゲート」という機能が加わった。ボーダーライン前後挑戦者10名程に対し「ピーピー」音が10秒ほど鳴り、その後「ピンポン」とチャイムが鳴れば勝ち抜け、「ブー」とブザーが鳴れば失格となった。

第16回では着陸直前にグアムを台風が直撃。一時は着陸不能も懸念されたが、操縦士の腕前が上手く機能し、無事着陸に成功。しかし、空港での結果発表はとてもできる状態ではなく、このため“緊急避難”として挑戦者全員を一度飛行機から降ろすことに(飛行機に乗った全ての挑戦者が異国の地に上陸したのは公的には後にも先にもこの時だけだが、実際には第6回も空港の都合で全員がグァムに降りてホテルに泊まっている)。その後、バスで当日宿泊するホテルに向かい、到着後に結果発表。バスから降り口に設けられた“ブーブーステップ”(原理は“ブーブーゲート”と全く同じ)によって発表された。失格者はホテルへの宿泊を許されず、同じバスで空港へ逆戻り。そのまま日本へ送還された。

この400問ペーパークイズは挑戦者の実力を測る試金石であり、また、ペーパークイズによって各挑戦者の得意分野・苦手分野などをチェックする目的があった。歴代優勝者をみると、このペーパークイズにおいて概ね好成績をおさめている。

“今世紀最後”では3択クイズを廃止。「フィッシュorチキンクイズ」が行われた。クイズ前に客室乗務員から希望の機内食(魚料理か鶏肉料理)を尋ねられ、「魚」と答えた人は魚の種類を、「鶏肉」と答えた人は鳥の種類を知っている限り漢字で書くというものであった(漢字が合っていれば1ポイント、読みも合っていればさらに1ポイント)。


突撃○×泥んこクイズ
主に、グアムで行われたクイズ形式で、番組の名物クイズの一つとして挙げられる。○と×が描かれた2枚の大きなプレートの向こうに泥のプールが掘られている。挑戦者はどちらかのプレートに向かって飛び込む。正解の方にはマットが敷かれているが、不正解の場合は泥のプールの中にそのまま突っ込むこととなり、全身泥まみれとなる(第13回の敗者復活戦では「逆泥んこクイズ」なるものが行われた。これは文字通り、通常の「泥んこクイズ」とは逆のルール。即ち、泥んこのプールに飛び込めば正解、マットに救われれば不正解というものであった)。

第4回で初登場(ちなみに、このクイズでの"犠牲者"第1号となったのは前々回優勝者であった北川宣浩氏であった)。好評のため、翌第5回でもサイパンでの敗者復活戦として実施されたが、怪我人(手本で飛び込んだスタッフ)の発生もあってか、第6回では行われなかった。第7回でドロンコプール拡大の対策と共に再登場。その後はグアム名物として、すっかり恒例化した。

しかし、第14回ではクイズ当日に台風直撃。前夜に作り上げた泥んこクイズのセットは"壊滅"状態となってしまった。このため、急遽「○」か「×」どちらかのボードを掲げて答える形式に切り替えられた(正解は福留アナが口頭で発表)。なお、クイズの会場は当初の予定通り、泥んこクイズのセットが設けられたビーチ。そのため、挑戦者は全員雨でずぶ濡れという悲惨(?)な状況となった。中には、"壊滅"状態の泥んこプールに自ら飛び込む"元気な"挑戦者も多数いた。また、第16回では前日に台風が直撃。この影響で電気も水道もストップして泥んこクイズのセットを作ることができず、空席待ちの早押しクイズに変更された。

"今世紀最後"では、このクイズ形式が決勝(西インド諸島)で登場している。

なお、同局バラエティー番組「ロンブー龍」でこのクイズをモチーフにしたオープニング映像が使われていたこともある。


1対1対決・早押しクイズ
主にハワイ等、挑戦者がまだ多い段階で行われていたクイズ。各挑戦者が1対1で早押しクイズを行い、敗者はその場で何らかのペナルティを受けるのが通例となっていた。

これまで行われた1対1の対決型早押しクイズは下記の通り。

第1回:ハワイの船上にて行った。3ポイント勝ち抜け、お手つき・誤答は-1ポイントで、-3ポイントになると失格。
第3回:ハワイの船上での"ダイビングクイズ"。挑戦者はサーフボードに乗りながらクイズに挑戦。2ポイントで勝ち抜け。敗者は真下の海に落とされる。このクイズは第4回、第9回、第16回でも行われた。
第6回:アラスカの大氷河をバックにして行った。2ポイントで勝ち抜け。
第11回:ロサンゼルス・ハリウッドでの"戦車ロシアンルーレット"。早押しクイズに正解したところで、戦車5台のうち1台を指名。指名した戦車から砲弾が発射されれば勝ち抜け(砲弾が発射される戦車は2台)。
第14回:タヒチのビーチでの"カヌー引きずり"クイズ。2ポイントで勝ち抜け。敗者はカヌーで沖へと引きずられて行く。
第15回:ハワイの砂浜でのクイズ。挑戦者はあらかじめ用意された穴に入り、ここでクイズに挑戦。1問正解するごとに相手の穴にバケツ3杯分の砂が入れられる。3ポイントで勝ち抜け。敗者は首から下が砂で完全に埋められる(ウルトラクイズ史上、罰ゲームが非常に厳しすぎるクイズ。罰ゲームを受けた挑戦者は、余りにもつらかったに違いない。また、視聴者からも苦情が多く、ウルトラクイズファンからも厳しい過ぎるの声もあった。)。
今世紀最後:ハワイ上空4000メートルでのクイズ。2ポイントで勝ち抜け。敗者はその場からスカイダイビング(勿論、インストラクターが同伴)。


一問多答・団体戦クイズ
主に挑戦者が多数残っている、序盤のチェックポイントあたりで行われていたクイズ。第9回のサンフランシスコで初めて登場した。

チーム対抗で競技を行い、勝ったチームに解答権が与えられる。問題は一つの問題に複数(最低でもチームの人数以上)の解答がある問題で、チームの各メンバーが1つずつ答える。全員正解したらチーム丸ごと勝ち抜け。最後まで残った1チームが失格となるが、多くの場合は敗者復活戦が行われる。

"人間ピラミッド"で行われた第12回のバロー(第3チェックポイント)では一問多答クイズに全員正解後、歌詞と音声を省いたカラオケの映像のみを見せ、曲のタイトルを答えるという"通過クイズ"に挑戦。正解したところで勝ち抜け決定となっていた。
第13回のゴールドコースト(第4チェックポイント)では海水浴客を守るライフセーバーに見立てたクイズ、「"ライフセーバー"のようなクイズ」が行われた。遭難している人に見立てたメンバーの1人が沖で待機し、他のメンバーがライフセーバーのような立場になり助けに行く。一番早く戻ってこれたチームに解答権が与えられた。
第14回のオレゴン街道(第5チェックポイント)ではマラソンクイズ(後述)と合体したクイズ「大団体戦!幌馬車マラソンクイズ」が行われた。1チーム4人構成で、幌馬車の後部に設置された早押し機にて初め1問1答クイズを行い、メンバーの2人が正解すると、残りの2人に対して1問2答クイズが出題された。正解すれば勝ち抜け、誤答ならまた1問1答クイズからやり直しとなった。


奇襲クイズ
真夜中、挑戦者が熟睡している所を司会の福留やスタッフに叩き起こされ、寝ぼけた状態でクイズを行わなければならない。クイズ形式は○×クイズまたは早押しクイズ。○×クイズの場合、挑戦者が一斉に○×の札を上げるが、挑戦者には正解を教えず視聴者にだけこっそり教える。そしてクイズ終了後、挑戦者に不安な状態のまま解散させて、次の日に失格者を発表するのが代表的な例。

初登場は第5回ホノルル空港(ハワイ)。グアムやハワイ等、挑戦者の人数が多い初期のチェックポイントで実施されることが多かったが、第15回では残り5名となった時に実施され、まさに奇襲であった。「ウルトラクイズって信じちゃいけない番組だったんですね」という名ゼリフを生んだのもこの形式。


「今世紀最後」では、グアムでのチェックポイント終了後のお買い物タイム中に行われた。 集合時刻(お買い物終了時刻)ちょうどに移動のバスの前でクイズスタート。 当然、優雅に買い物していた人は、出だしの何問かを答えることが出来なかった。 さらに「今世紀最後」の奇襲クイズはまだ終わらず、この「バス前○×クイズ」で 全問不正解だった3人に、最下位決定戦が深夜に行われた。


バラマキクイズ
モハーベ砂漠などの広大な場所で、ヘリコプター等を使い上空からクイズの問題が入った封筒がばらまかれる。挑戦者たちは解答席からその地点まで走り、その中から1枚を拾って出題者の元に戻り、そこで出題者が開封して出題された問題に解答する。大抵1問1答問題(例外的にラッキーチャンスとして封筒の中に2問、問題が入っていて、しかも正解がしりとりになっているというものもあった。ただしこの場合は2つとも答えられなければ不正解となった)。封筒の中には、毎回様々な確率で"ハズレ"と書かれた、問題の入っていない封筒が存在した。司会者が「これを何と読む!」などと言って封筒の中身がハズレであることを知らせると、挑戦者は再び封筒を取りに行かなくてはならない。初登場は第3回ツーソン。以来、第16回まで毎年開催(第14回のソルトレーク(第7チェックポイント)では敗者決定戦に使用)された。


大声クイズ
一問一答クイズであるが、解答権を得る為に、早押しボタンを押す代わりにマイクに向かって大声を叫び、一番先に一定音量をマークした挑戦者が解答権を獲得できる方式。旅行の途上で名付けられたニックネームや挑戦者にちなんだフレーズが、大声を叫ぶ言葉として司会の福留功男、福澤朗より与えられた。初登場は第8回リノ、第9回のヨセミテで初めて声量メーターが導入、その後第16回のレイクパウエルまで毎回実施された。


リレークイズ
早押しでなくあらかじめ解答権がある挑戦者から解答していき、不正解の場合は隣の人に解答権が移る方式。解答出来るのは1人につき1個だけが基本だが、時間内なら何個でも解答出来る回もあった。また、解答権が1巡しても正解が出なかった場合、次の問題に移るパターンと、正解が出るまで何巡も繰り返すパターンがあり、後者の場合は途中でヒントが与えられた。

初登場は第2回レイクタホ。第6回以降はほぼ毎回実施され、第13回チムニーロックでは巨大コンボイやヘリコプターを使っての大掛かりな舞台で行われた。なお、第11回のリンカーンでは一問多答問題が出題され、早押しボタンで解答権を得た挑戦者が1つだけ解答し、続けてリレー方式で解答するという複合型であった。


双子神経衰弱クイズ
クイズ開始前に複数の双子(中には三つ子もいた)を紹介。彼らはその後、用意されたパネルの裏に隠れる。

クイズの形式は一問一答の早押し。ただし正解してもポイントになるのではなく、パネルをめくって双子(三つ子の場合は3人)を揃えて初めて1ポイントとなる。知力に加えて時の運も重視されることから、優勝候補といわれた挑戦者が苦戦する場面も見られた。

初登場は第6回ニューオリンズ。第10回オーランドでは双子と親子が入り乱れての神経衰弱となった。

また12・13・16回では子供が登場し、母親を当てる「私がママよクイズ」、15回では本人が登場し、若かりし頃の写真を当てる「クイズあの時君は若かった」と進化版と考えられるクイズが登場した。


マラソンクイズ
その名の通り挑戦者たちが走りながら早押しクイズを行う方式。早押しボタンは走行しているトレーラー(第14回は幌馬車)後方に付いている。

初登場は第8回のインディアナポリス。この時はジョギングクイズという名前だった。現在の呼び名になったのは第9回のニューヨークから。この他、第10回、第12回、第14回~第16回でルールにプラスアルファの要素を加えたりしながら実施された。


通過クイズ
第4回で初登場。以来、準決勝定番クイズとして定着するようになる。

早押しクイズで一定のポイントを獲得したところで"通過クイズ"挑戦権獲得。この"通過クイズ"は1問限定で出題され、正解すればここで決勝進出が決定。不正解の場合はポイントが0となり、もう1度通常の早押しクイズに戻る。

第4回ではこの"通過クイズ"は他の挑戦者に解答権はなかった。このため、他の挑戦者は不正解を願う以外になかった。

続く第5回からは"通せんぼクイズ"に改められ、ルールも一部変更となった。早押しクイズ3ポイント獲得で"通過クイズ"挑戦は前回と変わらず。(出題する問題は、複数の用意された問題用紙が入った封筒から"通過クイズ"挑戦者が選択する。)しかし、ここでの"通過クイズ"は他の挑戦者にも解答権が与えられる。即ち、他の挑戦者は"通過クイズ"挑戦者に対し"通せんぼ"を仕掛ける形となる。もし、"通過クイズ"を他の挑戦者が正解した場合、"通過クイズ"挑戦者のポイントは0となり、通常の早押しクイズに逆戻りとなる。また、"通過クイズ"挑戦者自らがお手つき・誤答をした場合も「0ポイント→通常早押しクイズ逆戻り」となる。他の挑戦者がお手つき・誤答をした場合は、もう1問出題される。

初登場の第5回ノックスビルで早速、激戦が展開された。その後も6・8・10(天国ルートのみ)・12~16回、『今世紀最後』で実施されたが、中でも第13回のボルティモアでは、通過席進出→阻止が繰り返され、ウルトラクイズ史上最大とも言われる大激戦が繰り広げられた。この回の優勝者である長戸勇人氏の著書によると、用意した問題が底を尽き、日本から新しい問題を送ってもらうため1時間ほど休憩を入れたそうで、「もしあと50問ほどやって決まらなかったら4人ともニューヨーク行き」だったという(この場面はテレビ放映では収録されていない)。この第13回は当初19:30~21:00(90分)×5週の放映予定だったが、この激戦を伝えるため最終第5週は19:00~21:00の120分放映に急遽切り替えられたほどである。

第7回の準決勝ボストンではビンゴ形式を採り入れた(この回の途中、バンクーバーで急病のための脱落者が1名出たため準決勝に残ったのが3名となったこと、事前のチェックポイントで予定していたビンゴクイズが悪天候でできず、その機材を流用したこと、などの事情もあり変則方式となったと思われる)。先ず、各挑戦者は5マス×5マスのパネルに1~50までの好きな数字を埋め込む。早押しクイズに正解すると、数字を1つ指定し、引っ繰り返すことができる。縦・横・斜めのいずれか1列(5マス)全てが引っ繰り返ったところで"通過クイズ"挑戦権を獲得。なお、他の挑戦者の指定した数字が自らのパネルにあった場合、それを引っ繰り返すことが可能。このため、極端な場合、自分は一問も答えずに"通過クイズ"挑戦権を得ることもできていたのである。

第11回バッドランド(第7チェックポイント)ではこの形式のクイズが行われた(名称は「国境越え一足飛びクイズ」)。早押し2ポイント獲得で"通過クイズ"に挑戦。正解すると、次チェックポイント(リンカーン)が免除され、一足先にメキシコへ行くことができた。なお、次チェックポイント免除者は2人だけで、残りの勝者は2ポイント獲得でリンカーン行き。

"今世紀最後"ではニューヨーク入りする前に挑戦者全員にアイマスクを付けさせ、このままの状態でクイズを行った。目隠しされているので、"通過クイズ"専用の解答席はなく、"通過クイズ"挑戦時はその場に立つという形式であった。このときはクイズの前から罰ゲームの音楽が流れ、ウルトラクイズ史上初「クイズの前から罰ゲーム」と言って視聴者を驚かせた。勝ち抜けた時点でアイマスクを外すことを許された。一方、敗者は罰ゲームとしてニューヨークの景色を見ることなく、アイマスクを付けたまま帰国の途に就かせられた(ニューヨークの空港から離陸して、約1時間後にようやくアイマスクを外すことができた。勿論、敗者の視界の先にはもうニューヨークの景色はなかった)。


他にも印象的なのは、「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」クイズ。「トマト戦争」クイズ、「コンボイ」クイズ等・・・思い出しても心が震える。


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「アメリカ横断ウルトラクイズ」詳細、その1.

2006年07月08日 | テレビ番組
司会(出題・海外リポーター)
福留功男:第1回~第15回(第1問正解発表まで)ならびに"今世紀最後"を担当。 決まり文句は「ニューヨークへ行きたいか~っ!!」「罰ゲームは怖くないか~っ!!」)
福澤朗:第15回(第2問以降)~第16回を担当。決まり文句は 「ニューヨークへジャストミート!!」

歴代総合司会(スタジオ司会)・リポーター
高島忠夫 (総合司会:第1回~第12回/第11回では敬老会(当時の年齢上限45歳チーム)代表として第一次予選にも参加)
石川牧子 (総合司会:第1回~第12回/海外リポーター:第7回・第8回)
徳光和夫 (“敗者の味方”国内リポーター:第1回~第11回&1998年『今世紀最後』/コンピュータ予想:第1・2・4・8~第11回/挑戦者として第12回・第13回の第一次予選に参加)
渡辺正行 (“敗者の味方”国内リポーター:第12回~第16回)
小倉淳  (総合司会:第15回/海外リポーター:第12回~第14回&二重音声クイズでは福留と共に出題を担当)
永井美奈子 (総合司会:第15回/コンピュータ予想:第12回)
伊東四朗 (スタジオ司会:1998年『今世紀最後』)
松本明子 (スタジオ司会:1998年『今世紀最後』)
白岩裕之 (コンピュータ予想:第3回・第6回)
小林完吾 (コンピュータ予想:第5回・第7回)
日高直人 (海外リポーター:第9回・第10回/国内リポーター:第11回/第10回では南米・地獄ルートの出題も担当)
増田隆生 (海外リポーター:第11回)
鈴木健  (国内・外リポーター:第14回/国内リポーター:第15回/予告ナレーター:第16回)
菅谷大介 (第一次予選リポーター:1998年『今世紀最後』)
柴田倫世 (第一次予選リポーター・成田第二次予選一次審査司会:1998年『今世紀最後』)


名物クイズ

○×クイズ
国内第一次予選(第11回まで後楽園球場、第12回以降は東京ドーム)で行われたのは、○×の二択式クイズ。原則として、1問不正解で即失格。即ち、勝ち抜け決定となるまで正解し続けなければならない。但し、勝ち抜け決定者が出た問題に関しては例外で、この場合は不正解者が次の問題に挑戦することになる(不正解者から残りの勝ち抜け者を決定する形となる)。勝ち抜け決定者が規定数に達したところでクイズ終了。ちなみに、予選通過人数は100人であった(但し、第1回は80人、第15回は130人)。

第1回は一塁側内野席で行われ、この時は「○」か「×」のパネルを掲げる方式であった。

第2回以降はグラウンドで行われるようになり、お馴染みとなった"走り"(内野で問題を聞き、外野の「○」か「×」のサークルへ走る)形式が採用されるようになった。"群集心理"によって同じサークルへ大人数が一気に押し寄せるのを避けるため、第3回以降は「○」「×」サークルの手前にカラーボールのエリアが設けられた。「○」の場合は赤、「×」の場合は白のボールを拾ってから該当のサークルへ移動するというもので、ボールを拾い忘れたり、ボールの色を誤ると失格。実際にそれで失格となった挑戦者もいたようだ。

参加者の増加に伴い、第5回以降は球場の入口で第1問が発表されるようになり、○が三塁側、×が一塁側のスタンドに移動する形式をとった。これにより、第1問不正解者はグラウンドに入ることが許されなくなったのである。第1問目は出題から球場に入るまで数時間の猶予が与えられた。そのため、家族・友人・知人等に電話を掛け、正解を調べるという光景が随所で見られるようになった。

第1問は、毎回、アメリカの自由の女神に関する問題であることが恒例である。例外は第1回、第3回、第9回。第1回では上野動物園のパンダの夫婦の名前、第3回では、「水戸黄門は徳川家康の孫である」、第9回は「エッフェル塔に正面があるか?」という問題(決勝地がフランス・パリだったため)が出題された。

クイズ終了後に“敗者の味方”徳光和夫(第11回まで)・渡辺正行(第12回以降)が、大勢の敗者を味方に付け、福留功男に敗者復活戦を要求。毎回(お約束のように)大がかりな敗者復活戦が行われ、若干名が復活者として第2次予選への出場権を獲得していた。例外として第12回では、復活の条件に該当する人がいないことが最初からわかっている「敗者復活戦」を行い敗者の顰蹙を買った。また第15回は国内第一次予選通過者人数が130名に増やされた代わり敗者復活戦の廃止を宣言したとおり敗者復活戦は1度も行われていない。第2次予選ではあたかも敗者復活があるかのごとく振舞われていたのに最後まで行われなくて敗者の顰蹙を買った。また、福澤に食って掛かって来る事もあった様である。

大会中、最も多くの挑戦者の参加するイベントが国内第一次予選であるため、「予選」とは名付けながら、全ての挑戦者が楽しめるようセレモニー的な要素(前年度優勝者の優勝旗返還、“敗者の味方”登場とイベント的な敗者復活戦など)も含まれ、ある意味、大会中最も盛り上がりを見せる“一大イベント”となっている。

ジャンケン
主に、成田空港(第1回のみ羽田空港)で行われた国内第二次予選(または"国内第三次予選")で行われていた方式。なお、番組上では「成田空港」と表記されていたが、実際は空港に隣接するホテル成田エアポートレストハウスで行われていた。

後楽園球場・東京ドームでの国内第一次予選を通過した挑戦者は第2次予選前日に東京都内の日本テレビに集合。番組が用意したバスで成田エアポートレストハウスに向かい、ここで1泊。翌朝に予選を行った。

各挑戦者が1対1でジャンケンを行い、先に3回勝った方にグアム行き(但し、第2・3・5・6回はグアムではなくサイパン行き)のチケットが与えられた。一方、敗者は空港の送迎デッキから勝者の乗る飛行機に"負け犬の遠吠え"とも取れるシュプレヒコールを浴びせるのが恒例化した。

第6回では予選方法が「クイズ」に改められたが、そのクイズの解答権を得るのは"ジャンケンで先に3回勝った方"であった(不正解の場合は負けた方に解答権が移る)。

第7回では"敗者の味方"こと徳光和夫アナの要望により、全50組中10組についてはジャンケンで先に3回"負けた"方にグアム行きのチケットが与えられた。

第9回では当時入社1年目の新人アナ日高直人による腕立て伏せの回数によって"ジャンケン"か"全員通過"かが委ねられ、この結果、"全員通過"となった。しかし、その直後、"国内第三次予選"としてジャンケンが開催された。

第10回では徳光アナの"ジャンケン撤廃"のシュプレヒコールが実を結び、"腕相撲"に切り替えられた。なお、公平を期すため、"男対男"または"女対女"で、体重も出来る限り近い者同士という組合せで行われた。しかし、この"腕相撲"は不評だったようで、翌年の第11回ではジャンケンに戻っている。

第11回では日本テレビ集合後、成田ではなく埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の"久伊豆神社"へ向かい、ここで国内第二次予選を行った。挑戦者1人ずつおみくじを引き、「凶」を引いた人のみが早押しクイズに挑戦。実際に「凶」を引いてしまったのは3人。この3人によってクイズが行われ、1人が「大凶」として失格(なお、この失格者は名古屋での敗者復活戦に回ることになる)。残りの挑戦者は改めて成田へ向かい、翌日に国内第三次予選としてジャンケンを行った。

クイズ番組なのにクイズとは全く無関係の方式であるユーモアさがこの番組の特徴であった。また、“敗者の味方”徳光(第11回まで)・渡辺正行(第12回以降)が、毎回のように「ジャンケン撤廃・全員通過」を求めて、様々な作戦を立て、福留に詰め寄る場面が恒例であった。しかし、腕相撲となった第10回以外はことごとく福留に一蹴され、結局ジャンケンに落ち着いていた。

"今世紀最後"ではジャンケンではなく"ピカイチ技"で競った。挑戦者がそれぞれ特技(ジャンル不問)を披露するというもので、番組審査員からの支持を得た者がグアム行きのチケットを獲得。"ピカイチ技"を通過できなかった挑戦者はゆで卵の"ポン食い"に回り、残りの勝者を決定した。また勝者の中から2人(挙手で決定)がジャンケンを行い、ジャンケンの勝者がグアム、ハワイをスキップしてサンフランシスコまで行くことができた。ジャンケン敗者はグアム行きチケットを剥奪され、ピカイチ技敗者と共に自分が失った1枚のグアム行きチケットをかけて大ジャンケン大会に参加した。この大ジャンケン大会に勝った1名がグアム行きの飛行機に追加搭乗できた。


「成田空港」の「ジャンケン」は「運」・・・面白かった。




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僕の大好きな番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」!!!!!

2006年07月08日 | テレビ番組
『アメリカ横断ウルトラクイズ』(アメリカおうだんウルトラクイズ)とは、日本テレビで放送されたクイズ番組。

1977年、「日本テレビ開局25周年記念番組」として第1回を放送。以来、年に1回ずつ制作・放送され、1992年の第16回を最後に一度放送終了となったが、1998年に「日本テレビ開局45年記念番組」として、1回限りの復活を果たした(なお、この時は"第17回"ではなく、"今世紀最後"と銘打たれた)。

毎回の番組名は『史上最大! 第○回 アメリカ横断ウルトラクイズ』。英語表記は『TRANS AMERICA ULTRA QUIZ』。タイトルロゴには『TRANS AM ULTRA QUIZ』と表記された。

概要
「知力、体力、時の運」を合言葉に、広大なアメリカ大陸を横断しながら1000問以上に及ぶクイズに挑戦。決勝地ニューヨーク(1985年・第9回の決勝地はフランス・パリ、1998年・"今世紀最後"の決勝地は西インド諸島であった)を目指すというもの。途中、各地(チェックポイント)にて風土や名所等に合ったクイズを行い、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進めるが、敗れると現地で厳しい罰ゲームを受けた後、日本へ強制送還させられるというルール。

数々のチェックポイントを勝ち抜き、決勝地に辿り着けたのは各回たったの2人(1987年の第11回は3人)。ここで最後のクイズを行い、優勝者(クイズ王)が決定された。優勝者には豪華賞品が用意された(しかし時としてオチが付いた。 後述)。昨今、様々なクイズ番組の優勝者を"クイズ王"と呼ぶことがあるが、開催規模・参加人数・番組の量、質・視聴率等のいずれを以てしても当番組での優勝は他のそれを圧倒しており、「ウルトラクイズのクイズ王こそ真のクイズ王」という声も大きかった。

タイトルはクイズであっても、参加者のクイズ外での表情、スタッフとの触れ合いなど、人間ドラマを色濃く描かれた演出が特徴的であり、また当番組の醍醐味であった(後述)。番組で旅を共にしたのを機に、挑戦者同士がその後も何らかの形で交流を続けるようになったケースも少なくない(実際に挑戦者同士が結婚したケースもある)。

司会を務めたのは、当時日本テレビアナウンサーで、現在はフリーの司会者として活躍する福留功男。第1回から実に14年間司会を務めてきた"Mr.ウルトラクイズ"。1991年の第15回(福留が日本テレビを退社した年でもある)で、「体力の限界」を理由に第1問正解発表を以って司会を引退。

福留から司会を引き継いだのは、福澤"ジャストミート"朗。当時、入社4年目の27歳。全日本プロレス中継の実況等で活躍していた若き成長株。この年から全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ)でも福留の後任として司会を担当するようになっていた。彼は着任早々、番組の"名物"となっていた敗者復活戦の全面撤廃を宣言。そして、サバイバル性を重視し「明るく楽しい生存競争」をモットーに妥協を許さない進行振りを発揮し、新しいウルトラクイズの歴史を作っていくことを宣言したものの、翌1992年の第16回を最後に番組は終了。福澤司会のウルトラクイズが開催されたのはわずか2回だけとなった。

レギュラー開催終了から6年後の1998年、「日本テレビ開局45年記念番組」として、『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』と題して6年ぶりの復活を果たす。司会を務めたのは"Mr.ウルトラクイズ"こと福留。彼にとっては、実に8年ぶりの司会となった。7年前、「体力の限界」を理由に司会の座を福澤に譲っていたが、この"今世紀最後"のために走り込み等を行い、体力を養っていたそうで、番組の制作発表の席では「まだまだ若い者には負けません」と意気込みを見せていた。なお、この回は「第17回」とは称されず、ウルトラクイズのスペシャル版という意味合いのほうが強かったようである。なお、これ以降は続編の制作・放送はされていない。

第1回の参加者は404人であったが、回を重ねる毎に参加者は増え続け、1983年・第7回では初めて1万人を、第1次予選の会場が後楽園球場から東京ドームに改められた1988年・第12回では2万人を突破した。そして、1998年・"今世紀最後"では実に50453人が参加。なお、この"今世紀最後"では7万人を超える応募があったそうで、実に2万人を超える人々が東京ドームに入ることすら出来なかったということになる。かつては第1問が出題された時に、挑戦者らが知人に相談するため近くの公衆電話に駆け込む姿が恒例だったが、"今世紀最後"では6年の間に普及した携帯電話やインターネットを駆使する姿が多く見られた。

単にクイズの優勝者「クイズ王」を決める為だけの番組ではなく、番組の主眼は“挑戦者の人間模様”そして、クイズに敗れた“敗者”に向けられ、「クイズ形式の人間ドキュメンタリー」というコンセプトがあった。そのためか、海外行きを決める大事な第二次予選でクイズとは全く関係のない「ジャンケン」を採り入れたり、敗者復活戦が随所にあったりする。

数万人の頂点に立つ「クイズ王」の優勝賞品は“砂漠の土地1エーカー”、“満潮が来ると沈む島”、“もらった瞬間に爆破してしまったハウスボート”といったひとクセもふたクセのあるものであったり、逆に“ニューヨークの超高級ホテルに家族全員ご招待”、“世界一周旅行”、“熱気球”、“ワイン用ブドウ畑のオーナー権”といった、日常では経験できないような賞品が用意された。普通の人々が体験する未知の冒険や人間模様が画面全体に溢れ、番組が終了した現在も国民的人気を得ている。

テレビ放送は、第16回までに関しては、当時木曜日に放送されていた「木曜スペシャル」の枠で毎年10月~11月の間に放送されていた。第1回は2週のみ(それでも当初は1週のみの放送予定が2週に拡大)の放送であったが、参加者の拡大や内容の充実などにより、第2~4回では3週、第5~11回ならびに第15~16回は4週、第12~14回は5週に分けて放送された。一方、"今世紀最後"に関しては、既に「木曜スペシャル」が放送終了となっていた関係もあり、11月22日と23日の2夜連続での放送となった。

ちなみに第1回ウルトラクイズの企画段階での仮タイトルは「ジャンボクイズ」だった。しかし当時「木曜スペシャル」のスポンサーだった全日空はジャンボジェット機を保有していなかったため(しかもライバル・日本航空は既にジャンボ機を保有していた)、「スポンサーのライバルを連想させる名称はよくない」とのことで「ウルトラクイズ」と名称が改められたという。


史上最大の敗者復活戦
1982年12月31日に日本テレビ開局30周年記念特番として、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」という特別企画が行われた。これは、これまで後楽園球場に行かなければ予選に出場できなかったものを、全国各地で予選を実施し、その地域に密着したユニークなクイズを出題しようという試みだった。
24642名が挑戦した各地の予選通過者82名が全国大会に進出し、高尾山でペーパークイズなど様々なクイズに挑戦。通過者8名が日本テレビのスタジオで過去の優勝者と直接対決するクイズに挑戦し、そこで勝ち上がった4名が成田空港で行われた7分間早押しクイズ(準決勝)、さらに勝ち上がった2名がジャンケン7本勝負(決勝、家族も参加)にコマを進めた。
優勝者には家族そろってニューヨーク旅行に招待すると共に、翌1983年の第7回大会のシード権(国内予選と機内ペーパークイズの免除)を獲得できるというものだった。
優勝者は第7回で一足先にグアムに上陸したが、ペーパークイズでの通過者40名とだぶったため、ペーパークイズを最下位で通過した者との○×クイズに挑んだがあえなく敗退。結局ペーパークイズ失格者と共に帰国した。
この企画が好評を博し、翌1983年に「ウルトラスペシャル・全国高等学校クイズ選手権」の第1回大会を実施するきっかけを作った。全国高等学校クイズ選手権は、当初、夏・冬の年2回に渡って行われたが、1986年以降夏のみの開催となり、ウルトラクイズが終了した現在も続いている。
福岡放送など日本テレビ系列のNNN、NNS各局でウルトラクイズの亜流ともいうべき大人数参加のクイズ番組が制作、放送されていた。各系列局のアナウンサーやタレントではなく、当時現役司会の福留功男や福澤朗が司会を担当するなど、ルールやセット、BGMなどに関しても本家を踏襲したものとなっていた。



1982年12月31日に行なわれた「史上最大の敗者復活戦」に、僕は出た。会場は今は無き、「大阪球場」だった。第一問、第二問が同時に出て、○○、○×、×○、××の四つのグループに分かれ、僕は××を選択したのだが、正解は○○だった。この三ヵ月後、僕はテレビ局に入り、この年の夏、「第1回高校生クイズ」がスタート!

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