お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「泣きながら生きて」を観た友人からのメール

2009年12月07日 | エッセイ・日記・意見
泣きながら生きて予告編




ぐったりするほど泣いたのは久しぶりでした。
まだ目が痛いです。
CX(張さんら)は、帰国した現在の丁さんも
引き続き追っているのでしょうか。。。
私も絶望せずに、
夢と希望を持って生きて行かなければと
思いました。
(友人からのメールより)

是非是非、このドキュメンタリーhttp://nakinagara.net/を観て下さい。そして、コメント下さい。


泣きながら生きてはフジテレビで放送されたドキュメンタリー番組 である。

2006年11月3日に金曜プレステージ枠で放送された。再放送されていない。 2009年11月28日から新宿バルト9を皮切りに全国で劇場公開が行なわれる。


番組概要
中華人民共和国の文化大革命、下放政策により教育を受けられなかった中国人男性丁尚彪が日本の大学への入学を目指し語学留学する。

留学先は過疎化が進む北海道東部阿寒町(現在は釧路市)であった。

来日にあたり、借金をしておりその返済と日本語の勉強を両立しなければならない。

しかしながら阿寒町は過疎化が進む地域だったのでアルバイトもままならず、日本語学校を飛び出した。ビザの延長申請が認められず不法滞在の身になった。

番組は丁尚彪が日本で過ごした15年を追いかけたものである。




15年に渡る日本での生活
1989年(平成元年)
中国人相手の日本語学校飛鳥学院阿寒校に入学するため35歳で来日。




1996年(平成8年)
丁尚彪は自身の大学入学をあきらめ、有名大学進学の夢を中国屈指の名門復旦大学付属高校に通う一人娘に託した。

昼間の工場勤務、夜間の中華レストランでのアルバイトをしながら働き、稼いだお金を中国の家族に送金した。

独学で日本語を学び、仕事に困らないように、フォークリフト運転者、クレーン運転士等の資格を取得した。

丁尚彪の妻は中国で働き、丁尚彪からの送金には手をつけず娘の大学留学資金に貯めた。




1997年(平成9年)
娘が名門ニューヨーク州立大学に合格、産婦人科医師になるため留学する。

東京経由ニューヨーク行きの飛行機で来日した娘は8年ぶりに父と再会した。




2002年(平成14年)
妻の12回目の申請で査証がおりたのでニューヨークの娘に会いに行く。

上海発東京経由ニューヨーク行きの飛行機で来日した妻は13年ぶりに夫と再会した。

72時間のトランジットを使い浅草寺など東京観光をした。




2004年(平成16年)
丁尚彪は中国に帰国した。それは15年住んだ日本に二度と入国できないことも意味する。 帰りの飛行機の中で彼は号泣していた。

娘はアメリカの病院に勤務しながら勉強を続け大学を卒業、医学博士となった。




印象的な発言
国家の代表者には国を良くしていく責任があるように私には、親として子供を育てる責任があります。




音楽
フジテレビで放送されたテレビドラマ『白線流し』や『Age,35 恋しくて』などで使われたBGMが使用されている。

製作スタッフ
企画、プロデュース 張麗玲
ナレーション 段田安則



特別感謝 前田純司(フジテレビジョン)
特別協力 株式会社大富、大倉商事株式会社
技術協力 TSP



プロデューサー 横山隆晴


劇場公開の動き
放送後DVD化や再放送を望む声は大きかったが、様々な理由で実現していない。

放送を見ていた一人の大学生が関係者に働きかけて、2009年11月28日新宿バルト9より全国公開が決まっている。

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死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた

2009年12月07日 | 本・雑誌・漫画
死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた
大津 秀一
致知出版社

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内容紹介
ほとんどの人は死を前にすると後悔するという

では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
本書は、終末期医療の専門家である著者が、
1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付けられます。
例外なく、死はすべての人に訪れます。
だからこそ、1人でも多くの人に後悔の少ない人生を送ってほしい。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が
綴った切実なメッセージが心に響く1冊です。


死ぬときに後悔すること25

1たばこを止めなかったこと
2感情に振り回された一生を過ごしたこと
3遺産をどうするか決めなかったこと
4故郷に帰らなかったこと
5仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
6会いたい人に会っておかなかったこと
7結婚しなかったこと
・・・など



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大津 秀一
1976年生まれ。茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、日本尊厳死協会リビングウイル(LW)受容協力医師、2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、日本最年少のホスピス医(当時)として京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち、平成20年5月より東京都世田谷区の松原アーバンクリニックに勤務し、入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない終末期医療の実践を行っている。現在多数の終末期患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



後悔、先にたたずと言うが、後悔せんように生きていこう。
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44歳上川隆也が19歳年下の元女優と結婚

2009年12月07日 | エッセイ・日記・意見
  俳優・上川隆也が7日、所属事務所を通じて4日に元舞台女優で19歳年下のAさんと入籍したことを発表した。上川は署名入りFAX文で「守るべき家庭を持つことで、役者として、一人の男として、日々精進しまい進していきたいと思います」と結婚したことの決意を語っている。

 Aさんについては「今年に入り体調を崩し引退を致しました舞台役者です」とした上で、交際については「4年ほど前に出会い、幸せな時も苦しい時も、互いを認め合い励まし合いながら、今日まで交際して参りました」と説明している。
(ディリースポーツより引用)


離婚せんように・・・
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死ぬのに適した日などない

2009年12月07日 | 本・雑誌・漫画
死ぬのに適した日などない
釈正輪
ソフトバンククリエイティブ

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内容紹介
やくざの父を持ち、母親からもうとまれた青春時代、自らも自殺の淵に立ち、千日回峰行により見性を得た老師が説く――
心の弱ってしまったあなた、そして、家族や友が心配なあなたに贈る珠玉の説教、熱き魂のメッセージがここにある。


10年以上にわたって、日本の自殺者は3万人を超えている。自殺大国日本という現状を、私たちはなんとかしなければいけないと思った。本書は、そのために立ちあがった一人の僧侶によって著されたメッセージだ。
宗門からはアウトローだが、独自の宗教観により、あらゆる宗教の垣根を超え、平和と人々の幸福を祈念する世界的ネットワークを築く、その僧侶の名前は、釈正輪。
彼の説法を聞けば、仏教というものがいかに身近で、私たちを助けてくれるものかということがわかる。
本書は、そうした仏教の枠を超え、今、心が弱った読者を救う、あるいは友や家族を救いたいと思う人に届ける、熱き魂の叫び。”魔が差す”ことを妨げるための、たくさんのヒントとノウハウが詰まった一冊だ。



内容(「BOOK」データベースより)
やくざの父を持ち、母親からもうとまれた青春時代、自らも自殺の淵に立ち、千日回峰行により見性を得た老師が説く―心の弱ってしまったあなた、そして、家族や友が心配なあなたに贈る珠玉の説教、熱き魂のメッセージがここにある。



著者について
釈 正輪 Shorin Shaku
1959年、愛知県一宮市出身。正眼短期大学宗教学部禅学科卒業、佛教大学文学部仏教学科中退。
禅、真言・天台の各宗を研鑽した。中部の霊峰高賀山において、「千日回峰行」を満行し、密教の荒行「入水往生」や山岳回峰行「六社巡り」を復興。さらに、独自の宗教観により、メッカ巡礼、世界宗教聖地巡礼を行い、さらにマザー・テレサの信仰実践とダライ・ラマ14世の宗教的覚醒に触れる。




死んだらあかん。絶対あかんでーっ。
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Vプレミアリーグ観戦

2009年12月07日 | Weblog
昨日は録画しておいたJTとトヨタ車体、久光製薬とデンソーの試合を観た。キムヨンギョンの入ったJTは強い。石川夕紀も廃部になった武富士から移籍。スタメンで出ていたのが嬉しかった。久光製薬の狩野舞子の復帰が間に合わなかったのが残念。
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3日間の撮影でスチール1000カット

2009年12月07日 | Weblog
スチールは撮影のテストの時、撮る。本番はシャッター音が入ってスチール撮影NGだからである。1000カットから記者の皆さんにリリースするカットを一枚ずつ見ながら選んでいく。今日は午後1時過ぎからやり、打ち合わせを挟んで午後9時までかかった。その他、ポスタービジュアルの入稿や何やかやで撮影は無いのに遅くなってしまった。連続ドラマが入っている時の楽しみは飲食と週刊誌を読む事くらいか。楽天カードが知らぬ間にリボ払いになっており、高い利率の利息を取られていたので、先月末一気に返済したら、かなりの金欠になってしまった。昼食は京都王将で、天津飯大とギョウザ。本も週刊誌以外は買わない。年末闘争の終わりがみえないので、ボーナス時の入金も無く、年を越しそうだ。キンコーズに発注している年賀状の校正が明日あがる。師走だなぁ。それにしてもお腹が減った。晩御飯を食いそびれたのだ。お金が無いから帰宅して食べよう。間もなく新宿。
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