呑み鉄番外編、上信電鉄線で高崎から富岡を経て下仁田へと上州路を走る。
駅ビルの階段下から200mほど進むと改札口、プラットフォームは0番線の表示だ。
佇んでいる2両編成の電車はどこかでお会いした顔、たぶん西武鉄道ではないだろうか。
電車は2つめの佐野のわたし駅で烏川を渡ると、進行方向を西に転じて下仁田をめざす。
ローカル私鉄ならではの細く継ぎ目の多いレールに、電車はガタガタと大袈裟に揺れる。
旧富岡製糸場では40分のガイドツアーに参加した。ガイド氏の詳細かつユーモア
溢れる説明に、明治初頭に国の近代化、殖産興業に努めた人材の想いに触れた。
教科書だけでは解らないことは沢山ある。本物を見て聞いて触れ合うことは貴重な体験だ。
再び車中の人となって終点をめざす。上州富岡から下仁田までは20分少々の旅だ。
終点の二つ手前の南蛇井(なんじゃい)までは、鏑川に沿ってほぼ直線的に緩やかな
勾配を上がってきたのだが、様子が少し変わってきた。
千平にかけてかなりの勾配になり、さらに鏑川に合わせて線路大きく蛇行を始める。
短めのトンネルを2つ潜ると、最後の直線をモーターを唸らせてラストスパート、
やがて電車は見頃の終わった紫陽花が咲く下仁田のプラットフォームに終着する。
上信電鉄の名に込めた信州への夢は、県境まで10kmほどを残して下仁田駅で潰える。
恐慌、戦争、モータリーゼーション、理由は様々だけど峠を越えなかった鉄道は多い。
真昼間から焼き鳥屋とも鰻屋ともつかない香ばしい空気が流れてくる。
旅館常盤館に下がった「こんにゃく料理」の暖簾を潜る。香りの主は「とり重」だ。
この辺りは生糸、製材、こんにゃくで潤い、芸妓さんの置屋もあって賑わったそうだ。
通された部屋に飾られた写真を見ながら和風美人(それも結構な)の若女将が話してくれた。
まずは名物の "刺身こんにゃく" をアテに、息子に注いでもらったスーパードライで一杯。
そして香ばしい "とり重" をいただく。とても美味しい日曜日となった。
上信電鉄・上信線 高崎~下仁田 33.7km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
ただお前がいい / 小椋佳 1975年