昭和の時代、信州の子どもたちの最大のイベントは海水浴だった。
吞み人が育った長野市から直江津までは75キロ、もちろん上信越道も北陸新幹線もなかったからね。
電気機関車が牽くすし詰めの客車列車で信越線を2時間半揺られる。
或いは、父の運転するコロナでR18を往くなら、果てしない渋滞に我慢する。憧れの海は遠かったのだ。
県境を越えると行程も半ば、左手に仰ぎ見るように妙高山(2,454 m)が夏の雲を突き抜けて聳えている。
列車のときは "冷凍みかん" を頬張りながら、車のときは "焼きとうもろこし" をかじりながら見上げたっけ。
海水浴の思い出に山?って不思議に思うでしょう、でも賛同いただける同郷の方、多いんじゃないかな。
さて、直江津からは北陸線に乗り換える。あの頃はまだ蒸気機関車。車なら左折してR18からR8へ。
西へ転じると北陸線もR8もほどなく谷浜海岸へ抜ける郷津のトンネルに潜り込む。
はるか遠くに感じる出口の光点が次第に大きくなる、っと少年の期待ははち切れんばかりに膨らむ。
一瞬、フラッシュを焚かれたように目が眩む、窓から潮の香りがなだれ込む、青がキラり煌めくのだ。
シンデレラサマー / 石川優子 1981