旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

日光道中・奥州道中紀行2 草加宿~越ヶ谷宿~粕壁宿~杉戸宿

2017-02-12 | 日光道中・奥州道中紀行

09:00 「新越谷入口交差点」
 冬型の気圧配置、関東は快晴なのだが冷え込んでいる。
今日は新越谷入口交差点から甲州道中(県道49号)を北へと発つ。 

 

Navi9. 瓦曽根ロータリー交差点(直進) → <県道52・325号> → 陸橋入口交差点 5.7km

 

09:30 「越ヶ谷宿」
 瓦曽根ロータリー交差点で旧道に入ると越ヶ谷宿だ。
宿場は、本陣1、脇本陣4、旅籠52軒と大規模で、街道筋では千住宿に次ぐ。
本陣・脇本陣は残っていないが、延長2キロの宿内には趣のある建物がちらほら残っている。
レンガの立派な卯建を持つのが塗師屋、その隣が雑貨商だ。

越ヶ谷宿は宿内の中程を元荒川が流れ、南側の越谷と北側の大沢に分かれている。
越谷側は商家と旅籠が混在し、大沢側は純粋な宿場だったと云う。
元荒川に架かる橋の袂には、日本橋から6番目の越谷一里塚があった。今は痕跡がない。

橋を渡って左手のパン屋さんが福井本陣が在ったところだが、何の遺構も残っていない。
遠くに見える高層マンションが宿場の日光方入口(北越谷駅前)だ。

 

越ヶ谷宿を出るとやがて東武伊勢崎線の高架橋を鉤型に潜って元荒川の堤にぶつかる。
この堤上を往くのは、日光道中・奥州道中が整備される前の「古奥州道」だ。
低い堤の規模が人力で築かれたことを想像させる。
堤下に見つけた三基の道標は古奥州道時代のものだ。

09:55 「宮内庁埼玉鴨場」
 鴨場は、皇族が皇室関連行事や、駐在外交官あるいは海外からの賓客を接待する場だ。
伝統的鴨猟の紹介を通じで日本の自然・伝統・文化・歴史を伝えているそうだ。
元々は幕府や紀州藩の鷹場であり、家康もこの地を訪れで鷹狩りなどに興じたそうだ。
明治の世になり、正式に宮内庁埼玉鴨場として創立している。

注)宮内庁埼玉鴨場の先で県道325号は右に折れてしまうが、日光道中・奥州道中はあくまで直進。

10:20 「間久里の立場」
 東武伊勢崎線の大袋駅近くの間久里は、越ヶ谷宿と粕壁宿の中間にあたる。
旅人の休息所である立場が設けられ「八軒茶屋」と呼ばれ、ウナギが名物だったようだ。
下間久里香取神社付近に所在した、日本橋から7番目の下間久里一里塚は何の痕跡もない。
街道はせんげん台駅手前で国道4号に合流する。

Navi10. 陸橋入口交差点(直進) → <国道4号線> → (春日部)一宮交差点 5.5km

武里駅入口手前には大枝香取神社、この街道沿いには下総国一之宮香取神社の末社が多い。

 

右手に古利根川が近づいてくる辺りに国道4号線の33キロポストが立っている。
反対側の歩道には備後一里塚跡碑を見つけた。
退屈な国道を歩くこと70分、東武野田線のガードを潜ると春日部の市街地に入ってくる。
一宮交差点を斜め左に入る。この辺りが粕壁宿の江戸方入口となる。

Navi11. 一宮交差点(斜め左) → <県道2号線> → 新町橋(西)交差点 1.1km

  

宿場入口には東陽寺、山門脇には「伝芭蕉宿泊の地の寺」の碑が在る。
通りには “粕壁宿めぐり” の立派な道標が立つが、街道風情を味わうことはできない。
ビルには空きテナントが目立ち、東京近郊とは云え地方都市の中心商店街は寂しくなりつつある。

11:50~12:30 「粕壁宿」
 曾良の日記には「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」とある。
粕壁宿の規模は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋1軒だ。
唯一趣がある蔵造りの商家「問屋場田村本家」、軒先には天保五年(1835年)の道標が立つ。
「南西い八つき(岩槻)、北日光、東江戸、右乃方陸羽みち」と刻まれている。

 

 街道から1本路地を入った昔ながらの中華屋「宝来家」で腹ごしらえ。
ボリュームたっぷり、中華そばに玉子丼のセット、4つの小皿が嬉しい。
粕壁宿は正面に最勝院を見て新町橋西交差点を右折して終わる。この辻には高札場があった。

Navi12. 新町橋(西)交差点(右折) → <県道319号線> → 小渕(南)交差点 0.8km 

 

 新町橋は、江戸時代には大橋と呼ばれ、古利根川に架かる唯一の橋であった。
長さ16間、横3間の板橋で高覧が付いていた。
新町橋の上流には、上喜蔵河岸と呼ばれた船着場があり、石垣の一部が現存している。
江戸時代には高瀬船などで米や生活物資を運搬したそうだ。

 

街道は小渕交差点で国道4号線に合流するのだが、少し手前に関宿道との追分がある。
小さな道標は宝永六年(1709年)の建立、「右方せきやど道、左方あふしう道」とある。
日本橋から9番目の小渕一里塚もこの辺りのはずだ。

Navi13. 小渕交差点(斜め左) → <国道4号線> → 堤根交差点 3.6km

12:55 「小渕観音院」
 左手現れる立派な山門、小渕観音院は正嘉二年(1258年)開基と伝わる古刹だ。
山門の左右で睨みを利かす仁王像は、時代がさがって元禄年間に建立されたものだと云う。

 

東洋ケミカル埼玉工場を過ぎて旧道を斜め左に入る。この辺りは堤根立場となる。

Navi13-2. 東陽ケミカル埼玉工場(斜め左) 旧道を700mでR4に戻る

 

13:20 「堤根立場」
 九品寺の境内に庚申塔には「左日光、右江戸」と刻まれ道標の役割も兼ねている。
並びの古民家はなかなか立派な門構えだ。

国道に戻ると右手に見える旦照山馬頭院観音寺、本尊は伝教大師最澄の作と云われる。

Navi14. 堤根交差点(斜め左)→ <県道373号線> → ホンダカーズ埼玉中・杉戸店 2.6km

 堤根交差点で国道4号線を離れて旧道に入ると、日本橋から10番目の三本木一里塚跡。
文政五年(1822年)創業の関口酒造の銘柄は “杉戸宿” なのだ。 

 

老舗の鶴牧せんべい本店で風味の良い青海苔入りの堅焼きを求め、齧りながら歩く。
高札場が復元してあるこの辺りが江戸方の入口だろうか。

14:05 「杉戸宿」
 杉戸宿の規模は本陣1、脇本陣2、旅籠46軒、残念ながらここにも旧い遺構はない。
本陣跡に建つ民家の門が思いがけず立派なのだが本陣門なのだろうか。
日光道中・奥州道中の旅2日目は、新越谷駅入口から越ヶ谷宿、粕壁宿を経て杉戸宿まで。
19.8kmを5時間5分かけての行程となった。ゴールはその名も本陣跡地前交差点だ。

 


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