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越後に尽くした武田菱

2015-11-07 07:27:59 | 日記




 新潟市木場の文化財センターの敷地に移設されている「旧武田家住宅」の家紋の「武田菱」
 ネットで調べたらどうも「割り菱(四つ割り菱)」みたい。



               



 穏やかな日差しの中で立派な建物が建っていた。
 甲斐から越後に逃れて割元(庄屋を支配した村役人の最上位)を務めた家系・・西川町曽根で割元を務め、困窮する農民の為に尽力し、長岡藩に処刑されてしまう。
 
 今の燕市に逃れた妻子がその後黒埼に移住して建てたものとされている。

 *同様な話が巻にも伝わっている・・旱魃に苦しむ農民の為に名主が馬堀用水を掘削し、その責任を問われ?長岡藩に処刑(自決?)されたと言う。



               



 当時の蒲原平野は水害に悩まされ、増築された部屋は一段高く作られています。



               



 この建物の一番の売り?は二階の大きな窓・・水害の時いざとなったらこの窓から船で逃げるのだそうだ。
 ただし今は舟は入っていないそうだ・・建物の裏側なのでうっかりすると気が付きません。

 *「常在戦場」なんて勇ましい事を言っていた長岡藩だが裏でこんなおぞましい事に手を染めていたなんて・・戊辰戦争で敗れ、7万石余りのその跡地には今は何も残っていない。
 蒲原だけでは無い様です・・栃尾郷では大規模な一揆が起こったとか、なんだか分る様な気がするのです。

 西川町・・割元 高橋源助(武田家の曽根時代の祖先)
 巻町 ・・名主 田辺小兵衛
 新潟市・・明和義人 涌井藤四郎
コメント
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