DAIRY

のぼの日々考えすぎ!?日記

ストレッチ

2021年06月28日 21時34分59秒 | 日常

意外と三女が一番柔らかいのかもしれない

真似っ子してたらいろいろとできるようになるといいね

 

『ほぼ日』、『今日のダーリン』いい感じね

 

・じぶんから「わたしには痔がありまして」と言うのはいい。
 他人が「あの人は、痔だ」というのはよくない。

 なにか容貌だとか身体についてのことだとか、
 出自だとか人種だとか、家族関係だとか、経済状況だとか、
 変わった癖だとか、ひとりで思っていることだとか、
 そういうこと、どれも、
 じぶんから、ここで言うと決めてじぶんで言うのはいい。
 しかし、他人がそれを知っていたとしても、
 それを言うのはルール違反なのだと思う。
 重いこと、軽いこと、冗談になるようなことならないこと、
 すべて、じぶんの言いたくないことは言わなくていいし、
 他人が言うのもいけないのだと思う。

 よく「自由」ということについて語られるけれど、
 その「自由」の根幹にあるのは、
 じぶんについてのことは、言うか黙すかを
 じぶんで決められるということがあると思うのだ。
 これが大事にされている世界は、おそらく住みやすい。
 不要な詮索をしないとか、噂話を遠慮しようとか、
 そんなルールもつくれるかもしれないが、
 もっとシンプルなことのように思う。
 礼儀正しい人は、そういうことをしない。
 そして、そんな礼儀正しい人は、人から信用される。

 とにかく、いまは「言う」ばかりが盛んだ。
 言わなきゃわからない、ちゃんと言え、と言われる。
 しかし、言うに至る前の気持ちや、考えもあるし、
 いまここで言うべきでないと判断することもある。
 特に、じぶんのことについては、じぶんで決められる。
 悪いことじゃないのだから、包み隠さずなんでも言え、
 というのは、礼儀としてまちがっている。

 こういうことについては、ずっと
 こどものころから考えてきたような気がする。
 父と母が離婚してじぶんに母親がいないことを、
 事実だけれど他人に言う気にはなれなかった。
 ましては、他人にそのことを言われたくなかった。
 それは、人にとっての「自由」というものだと、
 いまごろになって説明できるようになった。

なんだかストレスの多い1日だったなぁ

仙人的な生活がしたいね

 

123 Days to Mitokomon-manyu Marathon

Today's Run 2K(173K

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする