のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

我が子、我が孫の命名エピソードを思い出しました

2021年09月06日 18時34分19秒 | ニュース・記事

おそらく9月6日が祝日になるころには
私は、父と一緒に石の下でしょう
母や梅ちゃんも一緒だと思います・・・

現時点で、2番めの皇位継承順位を持つお方が
15歳の誕生日をお迎えになられました

それを伝える記事には、
最近は、お母様に対して荒ぶる態度を
お見せになることもあられるとのこと
ご立派に、正常に成長されていらっしゃるのでしょう

悠仁親王と書いて、ひさひとしんのうと読むようです

おもえば、私の第一子が生まれたときに
名前をどうしようと父として悩みました
姓名判断の本も読みました

そして、いくつかの案を作って
神社に持って行った記憶があります
(もう30年も前の記憶ですから、違うかもしれませんが・・・)

一文字は、私の名前を継いでもらい、
もう一文字を姓名判断の本に頼りました

ちなみに、
私の名前の画数では10歳まで生きられないだろう
と言われたと、母が話しておりました
いまは63歳です(^^)v

たしかにあまりよくない画数でした

それはともかく、我が子の名前
私的には、『仁』の字をつけ、『ひと』と呼びたかったんですが、
結局は神主さんのチョイスで今の名前になりました

『仁』はどことなく高貴なお方のお名前だったのでしょう

そして、それから30年後
『仁』を付けられなかった我が子が成長して
次の世代の父になりました
祖父祖母として初めて病院で彼に会いに行ったときに
ベットの頭の上に書かれていた
名前がの一文字目は『悠』でした。
二文字目は父の名前を継承しています。

もしも、私が我が子に『仁』の字をつけていたならば
我が孫は、
皇位継承順位2番目のお方と同じ名前
になっていたかもしれません。

皇族の方々はあまりお名前で呼ばれることがないため、
知りませんでしたが、
今日お誕生日という記事で、お名前を知ったときに、
我が子、我が孫の命名のエピソードを
思い出させてくれました。

※尊敬語、あっているでしょうか(^_-)-☆



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