譜読み中心の時期。弾くと決めた曲を譜読みするのはもちろんだが、人前で弾く予定はなくても弾きたいと思った曲は譜読みしてみることにした。現段階ではこの曲の本番の前提ではなくても、弾く時がやってきてもいいように。
たとえばこっそり弾いていた西村由紀江の曲。今は人前で弾く予定ではなくても、弾けるようになるまで譜読みしようとしたら、なかなかのものだった。ハーモニーがクラシックと違うところがあって新鮮。こうなったら心癒せるように弾けるようになるまで練習したくなってきた。
ベートーヴェンのソナタ5番第1楽章はメトロノーム。16分音符240で鳴らすようにしたらちょうどよい練習ができた。それでもとっても遅いけど。ねじ式のメトロノームではすぐにねじが切れて大変だと思えたので、デジタル式のメトロノームを使った。デジタル式のメトロノームは、このように細かく鳴らしたいときにも重宝すると思った。ただたくさん鳴らしていたら電池がすぐになくなりそうな気がするが。。。
弾いている曲の中にぞくっとするようなメロディーやハーモニーが一瞬でもあったらとてもうれしい。ベートーヴェンのソナタ5番にもそういうところがあった。すすり泣き箇所。どこかは秘密。そういうところをどう弾くのがベストなのかはまだ分からないが、そういうところは試行錯誤して、すすり泣いたように弾きたくなる。譜読みのときは、そういう想像を自由に張り巡らせられるからいい。特に最初のレッスンを受ける前の時期が楽しい。(不届きだな)ただレッスンで、自分が思っていたところがスポットライトを浴びたり、新たにそういうぞくっとするところが他にもあると分かることもあるのだが。
それが長く弾いているうちに、そういう新鮮なわくわく、ぞくぞく感が薄れることがある。先週まで弾いていたメンデルスゾーンの2曲、こう弾かないといけない、というところがところどころにあったのだが、どうしてもそのように弾けないところがあった。そうなると支配するのはわくわく感よりも自分の力のなさに対する無力感。そういう無力感に支配されそうになると危険。そして長く弾いているとそれに伴い「飽き」というのもやってきたりする。おこがましいことだと思うのだけど。しかもそういう「飽き」って、どんなに長くてドラマチックな曲を弾いていてもやってくることがあるのだから困ったものだ。ただそのような危険がやってきそうな時期には、曲はひとまず弾けるようになっていることが多いと思うので、、自分自身の力のことなどはひとまず棚に上げよう。楽譜を見て、頭の中で音楽を鳴らし、こういうところでわくわくしたなあ、ぞくぞくするはずだ、だから大切に弾こうと思いなおしてみるのも必要だと思う。
音色についても、せめてこのぞくぞくする箇所だけでも、心をこめて思ったように鳴らそう、と試みてみると、練習が楽しくなることが多そうに思えた。
いきなり賑やかに書きすぎちゃったな(^^;)言葉にすると音にしにくくなることがときにはあるから時々怖いのだ。言葉にしたのに音に出来ないのよりも、言葉にしなくても音に出来るほうが格好いいと思うから。しかしときには言葉の力を借りるのもありだ。折角書いたからには音にも反映できたらいいな。
たとえばこっそり弾いていた西村由紀江の曲。今は人前で弾く予定ではなくても、弾けるようになるまで譜読みしようとしたら、なかなかのものだった。ハーモニーがクラシックと違うところがあって新鮮。こうなったら心癒せるように弾けるようになるまで練習したくなってきた。
ベートーヴェンのソナタ5番第1楽章はメトロノーム。16分音符240で鳴らすようにしたらちょうどよい練習ができた。それでもとっても遅いけど。ねじ式のメトロノームではすぐにねじが切れて大変だと思えたので、デジタル式のメトロノームを使った。デジタル式のメトロノームは、このように細かく鳴らしたいときにも重宝すると思った。ただたくさん鳴らしていたら電池がすぐになくなりそうな気がするが。。。
弾いている曲の中にぞくっとするようなメロディーやハーモニーが一瞬でもあったらとてもうれしい。ベートーヴェンのソナタ5番にもそういうところがあった。すすり泣き箇所。どこかは秘密。そういうところをどう弾くのがベストなのかはまだ分からないが、そういうところは試行錯誤して、すすり泣いたように弾きたくなる。譜読みのときは、そういう想像を自由に張り巡らせられるからいい。特に最初のレッスンを受ける前の時期が楽しい。(不届きだな)ただレッスンで、自分が思っていたところがスポットライトを浴びたり、新たにそういうぞくっとするところが他にもあると分かることもあるのだが。
それが長く弾いているうちに、そういう新鮮なわくわく、ぞくぞく感が薄れることがある。先週まで弾いていたメンデルスゾーンの2曲、こう弾かないといけない、というところがところどころにあったのだが、どうしてもそのように弾けないところがあった。そうなると支配するのはわくわく感よりも自分の力のなさに対する無力感。そういう無力感に支配されそうになると危険。そして長く弾いているとそれに伴い「飽き」というのもやってきたりする。おこがましいことだと思うのだけど。しかもそういう「飽き」って、どんなに長くてドラマチックな曲を弾いていてもやってくることがあるのだから困ったものだ。ただそのような危険がやってきそうな時期には、曲はひとまず弾けるようになっていることが多いと思うので、、自分自身の力のことなどはひとまず棚に上げよう。楽譜を見て、頭の中で音楽を鳴らし、こういうところでわくわくしたなあ、ぞくぞくするはずだ、だから大切に弾こうと思いなおしてみるのも必要だと思う。
音色についても、せめてこのぞくぞくする箇所だけでも、心をこめて思ったように鳴らそう、と試みてみると、練習が楽しくなることが多そうに思えた。
いきなり賑やかに書きすぎちゃったな(^^;)言葉にすると音にしにくくなることがときにはあるから時々怖いのだ。言葉にしたのに音に出来ないのよりも、言葉にしなくても音に出来るほうが格好いいと思うから。しかしときには言葉の力を借りるのもありだ。折角書いたからには音にも反映できたらいいな。