いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

今日の練習

2010年07月16日 | ピアノ・音楽
 今日もベートーヴェンソナタ5番第1楽章をメトロノーム16分音符240で片手づつから弾いたのですが。。。遅くて時間がかかります。うっかりすると3拍子だということも忘れそう。それなのになぜ16分音符でカウントするようにしたかというと、最初の付点4分音符の長さを正確に出したかったから。そしてそこが出せたと思ってもその後の音符や休符の長さが正しくとらえられるかも不安だったから。
 しかしあまりの遅さと流れの悪さに対する反動がきたので、その後はメトロノームを外して弾いてみた。最初の付点4分音符は16分音符でカウントすると6になるので、6カウントを忘れずに弾こうとしてみた。しかしうっかりすると6カウントを忘れる。一方カウントを正確にして弾こうとしたら、再び遅い演奏に。
 最後は6カウントもひとまず忘れ、3拍子だということを頭に入れて練習してみた。一気にノリがよくなった感じがするが、最初の付点4分音符のある小節が正確に弾けているかが不安でもやもやした感じ。他のところも間違えやすくなった。弾けているような気がする、というようなちょっとあいまいな感覚が残っている。3拍子一拍ずつのカウントでメトロノームをかけてみるのもよさそうだけど、却って不安になりそうだったので先延ばしにした。この曲の課題の一つに、拍子感覚も保ちながら、音符や休符の長さも正確に弾く、ということがあげられそう。
 
 3拍子の曲は演奏が難しいと言われるし、演奏も得意ではないのだが、私は3拍子の曲が好き。浮遊感を味わえるし、わくわくした気分になれるから。そして3拍子の曲の中でも、すぐに3拍子だととらえやすいものもあれば、「これは3拍子だったんだ」と改めて認識しないとちょっととらえにくいものとがあると思う。3拍子系の楽曲だと定義づけられているものはとらえやすい。特に舞曲はやっぱりとらえやすい。もっとも典型的なのがワルツ。ショパンのワルツはすぐに3拍子だと分かる。サティの「君が欲しい」もそんな感じ。ピアノではないけれどヨハン・シュトラウスもそう。メヌエットもワルツほどではないけれどとらえやすい。マズルカやポロネーズは、3拍子とすぐにとらえやすいものととらえにくいものとがあるように思えたが比較的分かりやすい。それからバラード、ショパンのバラードは確か3拍子だが、バラードが3拍子に限るという定義はないので要注意(他の作曲家のバラードも調べてみたほうがよさそう)。
 一方3拍子なのに3拍子だととらえにくいのは、先ほど書いたように3拍子系の楽曲の中に入っていないもの。最近弾いた曲で典型的なのがあのメンデルゾーンの「浮き雲」だった!そうなんです、ちゃんとした4分の3拍子なのですが、うっかりしていると拍子感覚がなくなってしまいそう。拍子感覚は持たなければならないけれど、「浮き雲」の場合は舞曲のように1拍目を強調して。。。などというように明確に持てばよいというものではないのが曲者。詩的で歌うような感覚がさらにややこしくしている。そして、全くタイプは違うはずのこのソナタ5番第1楽章も3拍子だとはとらえにくい3拍子の曲。強調するところも単純に1拍目ではない、と示してあるところもあったりする。そこが魅力的でもあり、ややこしくしているところでもある。
 こうなったらあせらずに取り組んだほうたよさそうだな。

 西村由紀江は中途半端な感じでたくさん間違えながら通した。今日はシューマンも弾いた。こちらも譜読みはゆっくりしたほうがいいと思う。ついつい早く合わせたくなってしまいたくなるのだけど。今はこの世にある頑張れば弾けそうな曲はすべて譜読みしたい気分になっている状態なのだが、実際のところ今日はベートーヴェンだけでひいこら言っていた。

 広島県は大雨で大変だったようですが、こちらは今週はずっと太陽がぎらぎら照りつけていて暑かったです。このまま夏へと突入するのでしょうか。夏にはあまり強くないのでちょっと憂鬱。

 しかし明日から山のほうでしばらくリフレッシュしてきます。

シュワッチソナタ

2010年07月16日 | ピアノ・音楽
  ショパンのソナタ第3番第1楽章(ここでは微妙に編曲も施しているカツァリスの動画をリンクしている)の出だし部分「ソファ♯レシファ♯ーシード♯ーラ♯ーファ♯シド♯レミ」から何かを連想する、と思っていた。その連想するものがやっと判明した。ウルトラマンのシュワッチだ。「ソファ♯レシファ♯ー」は急速に腕を上げると言うシュワッチ開始動作そのもの。スタッカートで構成される「ラ♯ーファ♯シド♯レミ」はそのまま戦闘シーンの開始場面。登場人物の変身場面に持ってきてきてもしっくりくる。そしてそのシュワッチは繰り返し登場する。3人か、と思っていたらとんでもなかった。その後たたみかけるように6回登場するのでたちまち3倍の9人。ゴレンジャーではなくてナイトレンジャー!(と思ったらナイトレンジャーはハードロックのバンドだった(汗))そして「シ♭ラソファーミ♭レ―ドレー」で全員集合。
 
 そのようなことを連想していたら、「ロールプレイングゲームのシーンの音楽に使いたい曲」というサイトを発見した。データが豊富。想像力もかなり豊富で面白い。ただこのサイトの作者の想像力に頼り切ってしまわないことも大切だと思う。残念ながらショパンソナタ第3番第1楽章は載っていなかったが。

 シュワッチでYoutubeを検索していたらこのような動画も発見した。
シュワッチ!してる? スペシウム光線オリジナルムービー 説教篇
シュワッチ!してる? スペシウム光線オリジナルムービー 会議篇

 というわけで、ショパンは多くの人類の味方のようだ。(話が飛躍しすぎ?)

 (おことわり)この記事の内容は、私個人の妄想です。記事を読むことによって読者の皆さんの持っている曲に対するイメージが大幅に崩れるということがあってはいけないので、受け入れられない場合は読み流していただけたらと思います。今後もときどきこのような妄想を書くことがあると思うので、その点についてもご理解いただけたらと思います。
 

某メルマガより 太平洋の呼吸とくしゃみ

2010年07月16日 | 読書
 某メールマガジンにこのような名言が書いてあった。
(引用)

「自分が行動することで他人に与える影響は
 自分が思っているよりもはるかに大きい。
 だから決して自分を過小評価してはいけない」

(引用ここまで)

そしてその名言の作者は「太平洋」。

この名言を残した太平洋は
そのあまりにも大きい図体のせいで
ちょっとしたことで周りのあらゆるものに
影響を与えてしまっている。

例えば彼が呼吸することによって発生する
「波」
ふつうの「波」ならいいのだが
ときどき起こってしまう「津波」になると大変なことになる。

その原因について太平洋に尋ねてみると
このような答えが返ってきたそうだ。(以下引用)

「津波の原因ですか…
 いやぁ、私もホントは
 津波なんて起こしたくないんですが
 くしゃみって誰だってしちゃうものじゃないですか。
 なるべくガマンはしているんですけど
 どうしてもって時はねぇ…
 してしまうんですよ」

(引用ここまで)

本当に困ったことだが、これも太平洋にとっては生理現象である。それをせずには太平洋も生活することは不可能とのことだ。

そしてその後メルマガには言葉の大切さについて書いてあった。
先ほどの文章を書いた直後に届いたこのメールマガジン。なんということだ(驚)

ちなみにそのメールマガジンの名前は「心に残るヒト以外の名言集」だ。ヒト以外だから作者が勝手に作ったのだと言えばそれまでまでなのだが。まぐまぐで検索したら出てきます。

ホリー・ガーデン

2010年07月16日 | 読書
 江國香織さんの「ホリー・ガーデン」を読んだ。
 高校まで女子校の同級生同士だった果歩と静枝。失恋の傷が癒えず、静枝や女友達を招き料理をふるまったりひとりピクニックに行ったりしながらも、仕事関係で知り合った男性と刹那的な関係を持つ果歩。向上心を持ち続けられると言いながらかなり年上の男性と不倫の関係にいる静枝。そしてその思いは報われないと知りながらも驚くほど楽天的に果歩を慕い続けているさとる。作者は常識から考えたら眉をひそめたくなるような不安定な生き方をしている登場人物たちの心の襞に寄り添い、こまやかに描いている。それぞれの登場人物にスポットライトを当てているときは、その登場人物の気持ちになり切って。。。本当は、困った事態なのかもしれないけれど。

 高校の美術教師の静枝は恋愛関係にいる男性とは東京と岡山という離れた距離に住んでいる。その男性と岡山で出会ったあとの気持ちの描写が印象的だったので引用する。

 「すっかり見馴れた岡山駅についたとき、静枝は、これが一週間前ならいいのにと思った。これが一週間前で、これからあのひとに会いにいくところで、この一週間のできごとのすべてを、もう一度くり返せたらいいのに。
 (中略)
 そして、そう思う気持ちの百倍くらい強く、静枝は早く東京に帰りたかった。
 いつもそうなのだ。芹沢と過ごす時間が楽しければ楽しいほど、早くそこから逃げ出したくてたまらなくなる。窒息しそうになるのだ。」

 不安定な気持ち。そういうことはやめればいいのにと思う。しかし、その文章を引用した理由は別のところにある。「これから会いにいくところならいいのに」と「早く東京に帰りたかった」という矛盾した感情。そういう言葉にしにくい分裂した感情、本人が他の人に言葉に出して言ったりしたら困ったことにもなりかねないかもしれない感情をも見事に掬いあげて書いているところがすごいと思った。言葉にすると何かが型にはめられて、気持ちも状況も限定されてしまう面が多いように思えていたが、そのような限界も彼女は見事に超えていた。江國さんお見事。ただこの話、ストーリー的には中途半端な面も多く、オチを期待したらがっくりきそう。
 音楽にも言葉と同じく感情の襞ともいえそうな複雑なものが表現されていることがある。それをもし言葉にしようとしたら、どのようなものになるだろう。数人のを集めたら、共通点の多い言葉になりそうなものもあるし、人によって全く違う言葉になりそうなものもありそうだ。ちなみに江國さんは音楽もやっている人だ。彼女の小説を音楽にしようとしたらどのようなものになるのだろうか、と思った。ただ、動機はそうではなかったとしても、「常識から考えたら眉をひそめたくなる」という状況からは関係ないよ、ともいうことができる点で音楽のほうが逃げ道を作りやすい。音楽が独り歩きするようになったりしたらますますそういうことができるかもしれない。しかしそういう逃げ道を作らず言葉によって限定しあえて自分を危険な面にさらすところが小説家のすごいところだとも思う。

 一方先日買った網野氏の著書「日本の歴史を読み直す」は読めていない(汗)。本当はとても面白いとのことだが。乏しい理解力をフルに動かせるように、そして投げださないように、急がずちびりちびりと読んでいこうと思う。