『意味がなければスイングはない』村上春樹著
村上春樹、恥ずかしながら、今までほとんど読んてこなかったのだが、ある方からこの本のことを教えていただき手に取った。そして読み始めた途端、あまりの面白さに目が文章に吸い付けられるようになった。
クラシック、ジャズ、ロック、Jポップ、あらゆる音楽シーンから選んだ11名の音楽について書かれている。印象に残った人物や音楽について書こうと思う。
シューベルトのピアノソナタといえば長くて意味や目的がくみ取りにくい印象があるのだが、村上春樹はそんなシューベルトのピアノソナタが好きなのだそうだ。そして最も愛好している曲が、第17番D580という、構築が甘く意味も見えにくく良さがわかりにくいと言われ、録音もなかなか行われなかった曲とのこと。そしてその愛聴している第17番を新旧15のピアニストで聴き比べて率直な感想を述べていた。アンスネス、バドゥラ・スコダ、ワルター・クリーン、クリフォード・カーゾン、ユージン・イミストンを一押し、シフ、内田光子、ギレリス、リヒテルはなんとか評価、そして辛口を書かれたピアニストたちもいた。とにかくよく聴きこまれていて脱帽状態だったが、個人的に、私も好きなワルター・クリーンとクリフォード・カーゾンの演奏を一押ししていたのが嬉しかった。ただ今まで私が聴いてきた彼らの演奏はモーツァルトばかりだった。彼らのシューベルトもぜひ聴きたいと思った。先日の音楽入門講座 シューベルトとシューマン 以来シューベルトの音楽が気になる度合いが明らかに増えているところだし。そして、アンスネスやバドゥラ・スコダも聴いてみたいと思った。こんなことを書いていたらきりがない。
ゼルキンとルービンシュタインはまさに対照的で持ち味が全く違う二人。ルービンシュタインが16歳年上だが二人とも東欧出身のユダヤ人で少年時代は貧しい生活だった。しかしルービンシュタインは抑圧に対して反抗的、練習嫌い、その一方でゼルキンは少年時代に家から離れ演奏会を開き困窮した実家を支えていた。ルービンシュタインは楽天的で自由奔放、危機的な状況も天才的な才能にささえられたはったりで乗り切ることもあったとのことだが、ゼルキンはどのようなピアノでも弾けるように家には劣悪の状態のピアノで何時間も練習していたというストイックな人だったとのこと。私が愛聴してきたルービンシュタインのショパン演奏の背後には華やかな彼の人生があったのかと感じたとともに、厳しい状況の中で真摯に音楽に向き合ってきたゼルキンの演奏をぜひ聴いてみたいと思うようになった。
ブライアン・ウィルソンは、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでボーカルだが、村上氏は彼のことを、稀代の天才だと語る。ザ・ビーチ・ボーイズと言えば、ビキニの娘、サーフィン、改造車、青い海に象徴される1960年代から70年米国西海岸若者文化を象徴した太陽のように明るく元気いっぱいの音楽の印象があり私もいいと思っていた時期があったのだが、太陽がきらきらとさすような口当たりの良い音楽というのは、なんと彼らの長いキャリアの中ではほんの数年間だった。そしてブライアン・ウィルソンにイメージがつきまとったために、ポップ性が薄まった内面的な音楽を作ろうとしたとき、どんなに天才のきらめきが感じられる音楽でも聴衆に受け入れられず、苦悩に陥りドラッグ漬け、創作意欲の低下という試練に陥る羽目になる。しかし仲間の死をきっかけに、とことん落ち込んでいたブライアンは生活を立て直し、音楽人生の第二章を作り上げた。ビーチ・ボーイズの音楽に対して、一時期の表面的な印象しか抱いていなかったのだが、その後、彼らが大変な試練を乗り越えながら違う面を持った音楽を作り上げていたということをしり、かなり衝撃を受けた。
スタン・ゲッツといえばとろけるように甘いサックスの印象があり聴いていて心温まる音楽の印象が強いのだが、当のスタン・ゲッツ氏はヘロインの常習者であり、演奏もヘロインの助けを得ながらしていたことが多かったとのこと、そして、人生にも闇の時代があった。自己矛盾のある人生でありながらも、天上的に美しい音楽をひたむきに現役奏者として奏で続けてきた彼は、ジャズを「夜の音楽なんだ」と秘密を打ち明けるように語ったという。
ブルース・スプリングスティーンと言えば「ボーン・イン・ザ・USA」が思い浮かぶが、この曲はアメリカの希望を語るどころか、その反対の、怒りと絶望と悲しみに満ち溢れた内容だった。そして、労働者階級から紆余曲折を経てロックンロール歌手になったブルース・スプリングスティーンは酒もたばこもドラッグもやらず放埓な生活もしないという堅実な人物だとのこと。
ほかの紹介人物、音楽についても、細やかに、愛情深く書かれていて、読みごたえがたっぷりだ。
この本を読んで、記憶の背後に隠れていた音楽を掘り起こし、新たな音楽との出逢いを切り開きたくなった。非常に面白かった。紹介してくだった方に感謝の気持ちしかない。